そこで、「モテ」に一家言ありそうな世の著名人、知識人の皆さまに幅広く意見を求める連載を始めることと相成りました。記念すべき第一回は脳科学者の茂木健一郎さん。もじゃもじゃ頭にいつも黒のTシャツ&ジャケットという、まぁLEON的ではない装いながら(失礼!)、実は科学者として「モテ」について人一倍考えてきた専門家でもあるのです。
意外や「モテる」について語り始めたらノンストップな茂木さん。膨大な知識と最新の知見を自在に使いこなした驚きの「脳科学的モテ論」をお届けします。
「従来型の男のファンタジー」に固執している時点で負け
でもだからこそ、「カッコ良く生きたい」「モテたい」という人たちをよく観察していました。自分自身は「モテる」人には入っていませんが、科学者的に言うと、膨大な観察データから「モテる」を語ることには自信があります(笑)。
今やAI(人工知能)やビックデータの時代ですよね。この状況で日本の男性に特に欠けているのは、「求められる男性像とは何か」についての研究です。LEONの読者は比較的研究熱心かもしれませんが、とはいえ、「従来型の男のファンタジー」の中で生きている方がまだ多い。
女性は、自分自身も「キレイ」や「カワイイ」が好きな人が多いし、同性から見ても異性から見てもそうでありたいという気持ちが強いから、メイクやファッションについてとても熱心に研究しています。男性も、女性が「キレイ」で「カワイイ」とうれしいでしょう。
だから、その研究は、女性自身にとっても男性にとっても、気持ちをアゲルことにつながっていく。一方で、男性って驚くべきことに、「女性にとってカッコいい男性」とはどういうことかってことをほとんど研究してないんですよ。
少女漫画のモテる男には、科学的な裏付けがある
例えば、男性がクルマを運転していて、何かトラブったとする。駐車場にクルマを入れたり、狭い道で対向車とすれ違ったりするとき、助手席の女性が何か言うと、世の男性って「うるさい、黙ってろ!」なんてつい言っちゃうでしょう。「運転してるのに気が散るから黙っていてほしい」ということだと思うけど、これはもうアウトですよね。だって、少女漫画でそんなこと言う男性は描かれていない。
男性はトラブルがあっても沈着冷静で、難局は自分で切り抜ける。その上で、「君、大丈夫だった?」「ごめんね、心配かけちゃって」と女性をいたわる。そういうパターンが少女漫画の中に溢れているわけです。
例えばクジャクの羽。あんなものを広げたら重いし動きづらいし、邪魔じゃないですか。それにもかかわらず、優雅に軽やかに動いていることが、生命としての卓越した能力を表している。だからメスが惹きつけられる。
おじさんは、圧倒的にパターン学習が足りない!
実は、そういう作品に出てくる男子には、いくつか共通するポイントがあるんですよ。
「困ったことがあっても人のせいにしない」
「人に当たり散らさない」
「自分で解決する」
「パートナーに気遣いがある」
男性からすると、「そんなの女のファンタジーじゃないか」って思うかもしれないけど、現実として女性は「そういう男性がいいな」と思っているわけです。
女性に突然、「君、ちょっと今日化粧が悪いねえ」とか、「なんかちょっと老けたんじゃないの?」「太ったんじゃないの?」っていうアプローチで声をかけちゃうおじさんがいるけど、そんな人、少女漫画に絶対出てこないでしょう(笑)。
LEON読者も少女漫画を読んでみたらいいと思うんです。僕、今、真面目に話してるんですよ。僕自身、少女漫画を読んでいて、脳科学や認知科学的な立場から、「男性は圧倒的にパターン学習が少ない!」と気がついたんですから。
「ボロは着てても心は錦」が本当のジェントルマン
出世とか権力とかお金とかが題材のマンガも多いでしょう。そういうことがカッコいいと思っちゃうと危ないよね。それはまさに「従来型の男のファンタジー」に過ぎないから。
僕、今朝イギリスから帰ってきたんだけど、イギリスって「ジェントルマンの国」というイメージがあるでしょう。でも「ジェントルマン」って、外見じゃないんですよ。今回はケンブリッジに滞在したんだけど、僕みたいにヨレヨレのTシャツにシワシワのジャケットでもちゃんとしているほうなんですよ。みんなもっとちゃんとしていない(笑)。
ある時、イギリスの田舎にあるカフェにいたら、金髪で鼻ピアスの怖そうな兄ちゃんがガンッてドア開けて店に入ってきたんですよ。「こいつにガンつけられたらやべぇな」って思うような外見でね。その兄ちゃんがドア開けたまま、また出て行くの。
何するのかなと思って見てたら、車いすに乗ったおばあちゃんを押して入ってきた。彼は見た目がそんな感じでも、中身がジェントルマン。「ボロは着てても心は錦」なんだよ。こういう人は、きっと少女漫画に出てくるよね(笑)。
「今日はフレンチ食べたくない」と言われたとき、どう振る舞えるか
例えば、すごく人気のあるフレンチのお店を苦労して予約したのに、当日になったら「私、行きたくない」なんて言われたとする。「今日はフレンチ食べたくない」とか、「やっぱり中華がいい」とか「お腹空いてない」とか。そんな時どうするか。
「お前なぁ、俺がどれぐらい苦労してここ予約したと思ってんだ!」とか、「食べたいって言ってたのになんで今日は食べたくないんだ」とか、そういう場面、よくあるでしょう。あれはNG。おそらく少女漫画だったら、「そうだね、今日はフレンチじゃないよね」とサッと切り替えて、笑顔で返す余裕がある人がジェントルマン。
恐らく今の日本の男性の息苦しさって、「男はこう振舞うもんだ」っていうパターン学習が古すぎて、新しい情報が入らないんです。つまり、時代に合っていないことばかりしている。
「カッコ良さ」って常に進化していくから、いろんな作品や、人の振舞いを見て、日々パターン学習していく必要がある。パターン学習すると、こういう時はこうしたほうがいいかなって脳がそれだけ体系化してもっとラクになるんじゃないかと思います。
学習すれば意外とすんなり先に行ける気がするんですけどね。とらわれて新しいものをインプットできないんじゃ、もったいないよね。
「すべき」にとらわれると生きづらくなる
でも、もしそこで、大学教授っていう立場にとらわれて、「大学の先生っていうのはもっと威厳があるもんだ」なんていう古いパターンにこだわっていると、ちょっと辛いかもしれないよね。僕はそういうことにはこだわらないから、毎日楽しい。
やっぱり、「こうするべき」とか「こうあるべき」とか言い出すと生きづらくなっちゃうよね。だって自分は変わらなくても人も社会も変わっていくから。最近の僕の対談本『生きる──どんなにひどい世界でも』の中でも随分そういう話をしたんだけどね。
つまり、「らしさ」にとらわれていると軽やかにはなれない。いろんな女性に僕が聞いた限りにおいては、立場や年齢関係なく、どんな男性でも「かわいい」っていうのが免罪符、救いになるみたいですよ。この「かわいい」っていうのがなんなのかが難しいんですけどね。「かわいいオヤジ」ってなんなんでしょうね(笑)。
カッコ良さのキーワードは「所有から経験へ」
やっぱり、永遠の5歳児ぐらいが一番いいんじゃないですかね。ここでちょっとLEON世代を褒めると、遊びに関しては充実しているかもしれませんよね。経済的に余裕があると、余暇が取りやすくなるから、その分、生活を楽しめているかもしれない。
でもそれも、従来型のおじさまゴルフじゃなくて、トライアスロンをしたり、トレイルランをしたり、クリエイティブで自分の体を張るような遊びをするといいと思いますね。今、元気なアクティブシニアはそういう人が多い。
今、カッコ良さは「所有から経験へ」がキーワードかな。経験の幅が広がっていることが新しいカッコ良さになってきてる気がします。
ジェームズ・ボンドにならなくちゃいけない
クレジットカードのブラック会員で、「リゾートの過ごし方はコンシェルジュに任せてる」なんておじさんも時々いるけど、あれはダメだよね。結局、それじゃあ自分のためにならないんですよ。
みんなある程度偉くなると、会社でも手配を人任せにするじゃない。「女の子と食事行くから、いい店選んでね」とか。でも、本当にいい感じの人って、そういうお店も全部自分で選びますよね。そういうことが「モテる」自分を作る秘訣だと思います。
あとね、ジェームズ・ボンドも、どんなに大変な目にあっても、「ああ大変だ」なんて言わないでしょ。これは前編で話したハンディキャップ仮説の最たるもので、どんなに死にそうな目に遭っても、涼しい顔をしているからカッコいいわけです。
例えば人間関係でも、どんな相手でもネガティブに捉えられてしまったり、どうしても行き違いが起こることがある。そんな時、感情の活動を前頭葉でモニターしたり、コントロールしたりすることが上手にできると、それをスルーできる。スルーするというよりも、本質だけ見抜いて集中すると、感情のコントロールがしやすいと思いますね。
ユーモアのセンスがある人は感情のコントロールも上手い
でもそれを恐怖と感じ続けていると、大事なスキンシップができなくなる。だから子どもはくすぐったいことを笑いに変えて、養育者とのスキンシップを肯定的に捉えるようになっていくんです。
それと同様に、不確実なことにチャレンジしようと思ったら、ユーモアのセンスを磨くのが鉄則なんです。冒険家や探検家は、みなさんユーモアのセンスがあるんですよ。
生命の危機的なシチュエーションを客観的に見て判断できなければ、まさに命取り。どんな危険に巻き込まれても、どんな非常事態に陥っても、それを笑い飛ばせるぐらいの感覚がないと、冒険や探検はできない。
僕たちも、実際に冒険や探検には出かけないとしても、自分の劣等感をユーモアで語れるようになると、かなり怖いもの無しになる。人間としてステージが上がります。
「自分らしさ」を常に更新していくことが「モテる」につながる
会社でも家族の中でも、一度「こういうキャラだ」と認識されると周りもそう扱うし、そういう風にしてたほうが自分もラクになっちゃう。でも、それが最大の罠なんですよ。
本来は、大人になったって人間はみんな常に更新されているし、変わっていけるのは間違いないんです。ただ、脳とドーパミン系の理屈では、とにかく予想外のことが起こらないとドーパミンは活動してくれない。
ドーパミン系が活動しないと、報酬系を通した前頭葉を中心とする脳の活性化が起こらない。不確実なこと、予想できないことを自ら作り上げないといけないわけですよね。おじさんとしては日々同じことの繰り返しになってしまいがちだから、心がけてやらないと厳しいですよね。
激動の中で自分もしなやかに変化しつつ、それでも変わらないものが「自分らしさ」。じゃあ自分にとって大切なものはなんなんだろうっていうことを今一度考えなくちゃいけない。
人ってやっぱり周りに流されちゃったり見失ったりするものだから、常に捉え直さなきゃいけないんです。それは仕事かもしれないし、家族かもしれないし、何かの価値観かもしれないんだけど。
僕は、そういうことを分かって実践している人がカッコいい人、モテる人だと思います。
● 茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
1962年東京生まれ。脳科学者。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。2005年、『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞受賞。『脳とクオリア――なぜ脳に心が生まれるのか』(日本経済新聞出版社)など著書多数。
茂木さんの一番新しい本はコチラです!
◆ 「生きる──どんなにひどい世界でも」
社会に蔓延する生きづらさの正体は何なのか。現代社会の病理はどこにあるのか。脳科学者・茂木健一郎さんと臨床心理学者・長谷川博一さんが対話し考察する。読み進めるうちに、「こうあるべき」という要請から解放され、ありのままの自分を受け入れることができるようになっていく。「世界の見え方」が変わります。
主婦と生活社刊/本体1400円+税