2024.08.17
セザール・トロワグロが語る、世代を超えて受け継がれる“料理芸術”の系譜とは
94歳のフレデリック・ワイズマン監督が撮った映画『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』が8月23日より公開されます。三代にわたりミシュラン三つ星を保持する世界で唯一のメゾンである「トロワグロ」。その歴史を四代目として繋いでいくセザール・トロワグロさんにインタビューしました。
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文/安田薫子 編集/森本 泉(Web LEON)
ワイズマン監督は映画『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』の中、独立したメゾンとして三代目ミシェルさんと四代目セザールさんが一家で繋いでいく料理への情熱と愛、真摯に味を追求する職人の姿を映し出します。この映画は、2023年全米映画批評家協会賞ノンフィクション映画賞など数々の映画アワードに輝きました。日本での公開に際し、フランスと日本をオンラインで結び、セザールさんにインタビューしました。
トロワグロ・ファミリーとワイズマン監督との出会い
セザール・トロワグロさん(以下セザール) ワイズマンさんはうちのレストランに食事をしにいらしたのですが、私は彼が誰か知らなかったんです。ホールのテーブルを回ってお客様にご挨拶をしに行き、コメディ・フランセーズ(国立劇団)のディレクター夫妻のテーブルにうかがいました。そのテーブルにワイズマンさんも同席していました。彼は最初何も話さず、じっと私を見て、最後に「ここであなたに映画を撮ってあげます」と言いました。
私はどなたか知りませんでしたから、「ありがとうございます、でもすぐにお答えできませんので」、と一旦は保留しました。とても高齢でしたので、もしかしてボケている方なのかなと思ったんです(笑)。でも、他のお客様にご挨拶したあと、いや待てよ、と思ってGoogleで調べてWikipediaをみて、ワイズマンさんがどういう方なのかわかりました。全然、ボケた老人ではなかったんです。
それで彼のテーブルに戻って、どなたか存じ上げず失礼しましたと詫びて、コンタクトを取り合って、映画撮影が可能か話し合いましょうと言ったんです。そして、数週間後にプロジェクトのメッセージを受け取りました。
── 2022年から撮影がスタートしたとのことですが、どのくらいの期間、撮影クルーがレストランにいたのですか? お客様を迎えつつ、撮影するのは大変だったのではないですか?
幸せそうな両親の姿を見て、料理人になりたいと決意
セザール 別の仕事をしようと思っていました。青少年期には音楽で身を立てたいと思っていたんです。だから、少し反抗していましたね。両親に対してではなくて、当然、料理人になるんだよねという周囲の人が考える“義務”に対してですね。何か違うことがしたいなと思っていました。でも、高校の最終学年の18歳の時に自分の将来について考えて、料理の道に進もうと思ったんです。卒業後は、ポール・ボキューズ学院に進みました。
── でも、どうして急に考えを変えたんですか?
セザール 多分早熟だったんでしょうね。思い返してみると、両親が幸せそうにこの仕事をしていましたから、きっといい仕事なんだと思いました。
セザール あると思います。クリエイティビティとか、毎日繰り返す仕事の反復とか。メソッド、知識。音楽をする人はクリエイティブであるためにはたくさんのレパートリーを持たねばなりませんが、それは料理でも同様です。私たちにはベースとなるレパートリーがあり、これが創造の大きな材料になるわけです。大勢で繰り返し作り、少しでも良いものを生み出す。
商業的な意味においても、例えば、ミュージシャンの世界ではディスクを販売したり、コンサートしたりしますが、私たちの仕事も一緒で、クリエイティブであると同時に、レストランはいつもお客様で満席でなくてはならない。テクニックは必ずしも人々が好むものではありませんが、人々が満足するものでなくてはなりません。創造性のアプローチの意味で、音楽と料理にはたくさん似ている点があると思います。
第一に大切なものは、食べたいという、とてもシンプルな感情です。シンプルであり、極めて的確なものであることが大切なのだと思います。何回聞いても飽きない音楽のように。
セザール ヒップホップもエレクトロニックも全部好きですね。私は、ドラム、パーカッションを演奏します。ギターも弾きます。アメリカのブランドのギターを2本、東京で買いましたよ。
── お父さんのミシェルはどう思っていたのでしょうか? 料理人の父親は「料理人は大変だから、息子には料理人になってほしくない」という方もいますし、料理人の息子さんの中には、料理人にならず、マネージャーになる人もいます。
セザール 両親は私に好きにさせてくれました。この仕事をするようにと言われたことは一度もありません。だから自分の好きな料理の道に進むのは私自身が下した選択でした。料理というのは夢中にさせられるもの、遊び心があります。やっていて楽しいんです。毎日美味しい食材を組み合わせて喜びを生み出し、非常におもしろい仕事だと思います。ホールのマネージャーも素晴らしい仕事ですが、手作業、創造性という面では料理人がいいなと思います。
セザール 仕事や人々への敬意、お客様やみんなへの愛情……。料理人という仕事の大きな特徴は、人を好きでないといけないということです。創造性やメソッドなど、父は私がたどる道を示してくれました。常に満足すること、そして好奇心など、たくさんありますね。
── あなた自身はあなたのお嬢さんや息子さんに何を伝えていきたいですか?
セザール 私が知っていることすべてです!
トロワグロの料理を特徴づける酸味へのこだわりを受け継いで
セザール いいえ。「ソモン・ア・ロゼイユ」は60年代に誕生し、メゾンのシグネチャーになりましたが、それはお客様が決めるのであって、シェフ自身が任命するものではないのではないかと思うのです。もちろん私が作ったものでお客様が大いに気に入ってくれて目立つ皿はありますが、しかし、私は、スタイル、エスプリ、フィロゾフィの方が重要なのではないか、社会が求めているのではないかと思うのです。
── 「ソモン・ア・ロゼイユ」 に象徴されるように、“トロワグロの料理には酸味が大切だ”と、あるインタビュー記事でミシェルさんが話しているのを読みましたが、それについてはどう思いますか? あなたも酸味を料理に加えますか?
セザール はい。私の料理には酸味を加えています。酸味が好きなんです。私の味蕾はそのように教育されてきて、酸味に寛大にできているのだと思います。教育の問題ですね。父は酸味好きで、すでにあった先代からの酸味の伝承をさらに発展させましたし、私もいつも酸味を加えて自分の料理のバランスを取っています。
色々な食材を使って酸味をつけます。酢、オゼイユをはじめとするハーブ類、柑橘類、発酵食品、乳製品、ピクルスみたいなマリネしたもの、レモン汁数滴などです。気を付けているのは、バランスと軽さです。
セザール 数年前に日本で知りました。独特な香りですね。後に、タネを見つけて、蒔いてみたんです。最初の年はうまくいかなくて、2年目にうまくいきました。そのタネがまた地面に落ちて、今や、たくさん生えていますよ。
日本で食べたシソを使った食品は、梅干しだったと思います。フルーティなアロマ、ちょっとクミンのような味、旨味がありました。とてもおもしろい。日本ではシソの葉をミントのようにほんの少し、かけらくらいではなくて、結構な量を食べますよね。とてもアロマのあるハーブですが、ほんの少しでは意味がない。私たちも、少なくともシソの葉を丸ごとあるいは半分くらい使います。
トロワグロ家と深いえにしを持つ日本と日本の料理への思い
セザール 最後に日本に行ったのは2019年なんですが、それより以前に行った八雲茶寮が素晴らしかったです。まず場所のデザイン、食事では米の料理が印象に残っています。米が土鍋で炊かれたのですが、下にカニが敷かれていました。シェフはシンプルに米とデリケートな味わいのカニをよそってくれました。カニの身にはヘーゼルナッツの味わいがあって、米と相まって素晴らしかった。シンプルでありながら、同時に作るのが難しいひと皿なのだと思いました。
デザートでは、美しい照明、オブジェで演出された隣の茶室に行って、餅を食べました。目の前で、即興で作ってくれて、みんなでそれをシェアする。そしてそれをすぐ食べる。
餅が最適なテクスチャー、温度になるようにコントロールされていて、また演出がとても美しかったのが印象的でした。畳にシェフが座り、小さなテーブルを置いて、後ろには日本庭園があって、美しい照明が空間を照らして。禅の世界といった感じでした。デザイナーがディテールまで凝って、まるで魔法のような経験でした。
セザール 日本は料理人にとってインスピレーションを与える素晴らしい国です。素材、食物へのリスペクトがあって、ミシュランガイドが特別にエネルギー、時間を注ぐのは無理はない。フランスのガストロノミー文化と同じかそれ以上に豊かだと思います。
1968年にトロワグロが初めて日本に来て、この“料理の宝”に魅了されました。私は日本の料理への敬意、たゆまぬ改革の姿勢にとても感心しています。日本の料理は正確さが際立っています。スタイル、食材、温度、味付けの正確さです。純粋さも素晴らしい。
東京郊外の蕎麦屋に連れて行ってもらった時のことです。ちょっと秘密のアドレスなんですけど、きぬたやという店で、とてもシンプルなんですが、同時にクオリティがとても高かった。確か、5、6種類の蕎麦を食べたと思います。違う産地の蕎麦を使い、いろいろな形にして、蕎麦を堪能させてくれるんです。たぶん、東京で最もおいしい蕎麦の一つだったんじゃないかと思います。
セザール お客様に近くて、家庭的なエスプリ(精神)を大切にする料理人です。フランスのガストロノミー界では、経済が低迷しています。独立したオーナーシェフがどんどん減ってきています。大きなグループや高級ホテルに対抗するのが商業的にとても難しい。資金力に差がありますからね。たった一つ対抗できるとしたら、メゾンや協力してくれる人を大切にするなど、エスプリの術です。それこそ大きなホテル業者、ビジネスマンができないことです。私たちはもともとそういったエスプリを大切にするようにできていますから自然にやっているのですが、今後さらに強調していきます。違いがはっきり出るのはこの点だからです。
セザール ええ、もちろんです。そのプロジェクトについて話し合っていますよ。いくつかコンタクトも受けていますし。でも私たちの新しい店を日本に開店するとしても、ガストロノミーの店ではありません。そういった店はすでに十分ありますから商業的な意味でもうまくいかないでしょう。ですから、私が開店したいのは、とてもクオリティが高いけれど、同時にシンプル、カジュアルで、いいレストランだけどミシュランの星を狙うようなものではない。立地も大切です。活気のある地区にあって、都会の生活、歩行者専用の道があって、店が道に開いていてヨーロッパの雰囲気がある。そんな店を出したいですね。
セザール・トロワグロ
1986年ロアンヌ生まれ。三代目ミシェル・トロワグロと妻マリー=ピエールとの間の長男。高校卒業後、ポール・ボキューズ学院で料理を学ぶ。卒業後、パリのミシェル・ロスタン、カルフォルニアのトーマス・ケラーの店などで腕を磨く。1年間の日本滞在を計画していたが、訪日直前に東日本大震災が起き、断念。トロワグロの店で働き、2022年メゾンのガストロノミー(高級美食料理)の邸宅レストラン「ル・ボワ・サン・フォイユ」を四代目として継いだ。
『至福のレストラン 三ツ星トロワグロ』
トロワグロは1930年、フランス中部ロアンヌにフランス料理店を開店。55年に渡り、ミシュラン3つ星を維持し続ける稀有なメゾンを舞台に、ドキュメンタリー映画に描かれたのは、料理を作り、客を迎えるトロワグロ家の日常。ミシェルとセザール・トロワグロとスタッフの毎日を追うことで、最高の美食を追い求める味への追求、細心のサービス、素晴らしい農作物の探索など、たゆまぬ努力から最高峰の料理の芸術が生み出されるプロセス、そして、その技やエスプリが代々受け継がれていく様に立ち会う。
監督・製作・編集/フレデリック・ワイズマン
原題/MENUS-PLAISIRS LES TROISGROS (2023年)240分
8月23日よりBunkamuraル・シネマ渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
セテラ・インターナショナル設立35周年記念作品
HP/映画『至福のレストラン 三つ星トロワグロ』公式サイト
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