2024.11.26
三上博史「若い頃は、どうしたらみんなが“げんなり”するかばかり考えていた」
今や伝説と化している三上博史さんが演じた舞台『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』。初演から20年を経て、再び(今回はライブ・バージョンとして)三上さんがヘドウィグとして舞台に立つことが発表されました。その心中やいかに。さらに三上さんの謎多き私生活にも迫ります。
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文/長谷川あや 写真/玉井美世子 スタイリング/勝見宜人(Koa Hole inc.) ヘアメイク/赤間賢次郎(KiKi inc.) 編集/森本 泉(Web LEON)
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』はカルト的ファンも多い作品で、今や伝説と化している三上さんのヘドウィグが再び降臨するというニュースは当時を知る多くのファンを喜ばせています。そんな三上さんに現在の心境や、多くの人が心待ちにしている舞台への意気込みを聞きました。1979年にデビューし今年で45年、力強い眼光と卓越した個性は今も健在です、というかさらに鋭くなっている……⁉
山に住んでYouTubeを見て、テレビゲームにも夢中になった
三上博史さん(以下、三上) よろしくお願いします。ヴェルサーチ、着てくればよかったかな(笑)。
── (笑)大丈夫です。いきなりすみません、三上さん、山に住んでいるって本当ですか?
三上 はい、数年前から山に住んでいます。東京の住環境がなくなり、手軽なところが見つからなくて、山に住むことにしました。ただ、山に住んでいても、生活は都会にいる時とあまり変わらないです。東京に住んでいる時も、あまり出歩かずに家にいることが多かったので。20代の頃はいろいろな国を行ったり来たりしたけれど、実はどこに住んでいても同じかもしれない(笑)。
── 家では何をしているんですか。
三上 映画も観るし、詩も書くし、本も読むし、プレステもします。やることは結構たくさんあって、あっという間に1日が終わってしまいます。プレステを始めたら、半日経っていることもあります(笑)。
三上 でしょう(笑)? 30代、40代の頃かな、けっこう時間ができて。自分がこれまでやってこなかったこと、自分から最も遠いところにあることをやってみようと思ったんです。そこで、「そうだ、ピアスを開けよう」と思い、女友達に相談したら、「ピアス? え、私は嫌だな」って。なんだよ、偉そうにと思ったのですが、「男の人でピアスが似合ってる人ほとんどいないし」って言うんです。それは当たってるなと。似合わないものをあえてする必要はないなと、ピアスは断念しました。
── ピアスにしても、ゲームにしても、三上さん、人の意見をちゃんと参考にされるんですね……。
三上 (笑)。え、それって、僕が人の意見を参考にしないように見えているってことですか。
── すみません。でもそんなイメージ、なくもないです(笑)。
三上 すご~く謙虚ですよ(笑)、特に知らない世界に関しては。
舞台を観た知人が「この人、信用できるなと思った」と言ってくれた
三上 「みなさんの応援があったから」的な、とりあえず言っておけばいいみたいな感じはあまり好きじゃないんだけど、やっぱり愛だなって思います。僕のことを面白がって、支えてくれる人がいる。本当にありがたいことです。ちょうど今日、マネージャーと話していたんです。「ここ数年、ほぼ活動していなかったのに、ちゃんと声をかけてくれる人がいるってすごいことだよね」と言うと、マネージャーは、「本当ですよ。3年間、何もやってないのに」って(笑)。
今年1月に久しぶりに舞台をやって、11月には『HIROSHI MIKAMI / HEDWIG AND THE ANGRY INCH【LIVE】』が控えています。僕は、SNSをやってないんですけど、バンドのみんなが「こんな反応があるよ」って、「三上博史、今年は精力的」「やりまくり」といったコメントを送ってくれました。3年間、ほとんど活動してなかったのに、今年は正月と暮れに活動するので、みなさん驚いているようです(笑)。
三上 『三上博史 歌劇』の時、あの寺山(修司)の膨大な世界をどうやって表現しようか、すごく悩んで、初日が開いてからもずっと揺れ続けていたんです。でも、ある知り合いが舞台を観てくれて「この人(三上さん)、信用できるなと思った」と感想をくれたんです。その瞬間、「ああ、やって良かった」と思えました。「自分はちゃんとやれていたんだ、それが伝わったんだ」とすごくうれしかったですね。すみません、泣けてきてしまった……。だけどそこまで持って行くのには、かなりの体力と気力が必要です。今回のヘドウィグも、不安はありますが、なんとかしてちゃんと最後まで務めたいなと思っています。
当時は10センチのピンヒールを履いていたけど、さすがに今は無理
三上 ちょっと長くなりますよ(笑)。
── はい! 存分に語ってください。
三上 そもそも僕、寺山から「お前は俺の演劇に出なくていい」と言われていて、自分は演劇には向いていないと思っていたんです。そして40歳を迎え、もう役者稼業を引退しようかと考えていた時に、寺山没後20年記念としてPARCO劇場で上演した『青ひげ公の城』(2003年)という作品に出演させてもらいました。そこで、「こんなに自由に泳げる場所があったんだ」と一気に演劇に傾倒していきました。
『青ひげ公~』の公演後、当時自分のアパートがあったアメリカの西海岸に帰り、たまたまふらりと入った劇場で、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を観たんです。とにかく音楽がものすごく印象に残って、「このちょっとグラムロックっぽい音楽を、自分が長年続けてきたバンドで演奏できたらいいなあ」と思いました。日本に戻った時に、『青ひげ公~』のスタッフにヘドウィグの話をすると、まさにこれから日本でも上演しようと思っているという話で。そこから紆余曲折あって、なぜか僕のところにその話が来たんです。
演じてみると、自分でも驚くほど自由に泳ぐように演じることができ、公演を重ねていくうちに客席側の熱がどんどん上がっていくことを実感しました。その流れで2年目のお話をいただき、3年目も、となったのですがそこで身を引きました。正直大変な作品ですし、ほかの人が演じるヘドウィグを観てみたいという気持ちもありました。
三上 今回、日本初演から20周年というタイミングで声をかけていただいたのですが、今の自分が、フルであの作品をやり切るのはしんどいなぁと。初演の頃みたいに、ギラギラもしていないですし(笑)。当時は10センチのピンヒールを履いていたけれど、さすがに今の自分にはちょっと無理です。
ある時、最初は音楽が印象的な作品だと感じたことを思い出したんです。だったら初心に帰って、今回は演奏だけというかたちでも良いのではないかと、初演以来付き合いのあるミュージシャンたちに声をかけたところ、ほぼ全員、当時のメンバーが集まってくれることになりました。みんなこの20年の間にいろいろありましたから、それぞれの人生がにじみ出て面白いことになるだろうし、深みも増しているはずです。……だけど、「芝居やんない」って聞いて、正直ガッカリしたでしょ?
三上 これまでずっとサディスティックに活動をしてきて、若い頃は、どうしたらみんなが“げんなり”するかばかり考えていたんです、僕。
── “げんなり”、ですか(笑)。
三上 そう、“げんなり”。20代の頃、ツアーライブで全国を回ったんです。映画が公開された直後ということもあって、お客さんは、音楽というより「見たい、会いたい」というノリだったんです。僕の音楽性なんてどうでもいいというのが、手に取るようにわかりました。なので、あえて素顔は白く塗って隠し、衣裳はタイツの股のところにこんもりしたパッドを装着したりして、とにかく、お客さんが“げんなり”するようなことばかり考えていたわけです(笑)。
──(笑)。ちょっと拝見してみたい気もします。
三上 でも今はそうは思っていなくて、待ってくれている人たちのことを、ガッカリさせたくはありません。そして、そういった人たちが何を求めているのか、手に取るようにわかるので……。三上博史がヘドウィグの曲を歌う、というだけではみなさんは許さないだろうな、と。
なので、扮装はします。そして、扮装は進化しています(笑)。僕は演者の個性に合わせたそれぞれのヘドウィグがいていいと考えていて。まだ構想中ではありますが、今回はお芝居はないけれど、隣のキュートなお姉さんみたいな、ちょっと毒があって突き放しているんだけれど、まるでセーフティーネットのように、ものすごく温かい。ヘドウィグがそんな存在であることは届けたいですね。
僕は初演時から「これは痛い女の妄想話だ」と解釈している
三上 そうなんですよ! それで、ジョン・キャメロン・ミッチェル(原作者)にメールをしてみたんです。今回ライブ・バージョンで上演するんだけど、20年経ってヘドウィグはどうなっていると思う? それをMCで語りたいんだけどって。そうしたら「アメリカ中西部かどこかの田舎町で、大学の客員教授かなんかになって、愛を教えてるんじゃない?」と返事が来たので、「すっげ~面白い! それをぜひ書いてよ」と返したら「時間がないんだ」と言われてしまって、その話はなくなりました(笑)。
三上 この作品を、「私の片割れ探し」とか「運命の赤い糸」とか少女趣味みたいな方向だけに持っていかれちゃうのは本意ではありません。僕は初演時からずっと「これは痛い女の妄想話だ」と解釈しているんです。中西部のどこかで生まれた、ちょっとメンタルをやられた女で、場末のライブハウスに行った時に見かけたギタリストがとっても素敵だったから、「私、あの人と付き合ってるの。それで私の作った曲を彼が盗んだの」と、そんなことを言っている話だと思っていて(笑)。
いるじゃないですか、そういう人。「東ドイツから出て来て」というのも嘘で、だから僕は映画版ではなく、舞台版が好きなんです。映画は子役が出て来て、お母さんも登場するからリアル過ぎちゃう。その点、舞台には、「全部、妄想です」って言えちゃう余地がある。妄想だからこそ、純粋で一点の疑いもない──、僕はずっとその解釈で演じてきました。
三上 劇場に足を運んでくださる方に、何かしらの愛を送りたいんです。「ああいうダサいことは絶対したくないよな」とか、全然反面教師で構わない。その人たちが違う道を見つけたりしてくれても良くて。「大丈夫だから、みんな、綺麗に生きよう!」ってことを伝えたいです。
言葉にすると、すごく大上段から押しつけがましくなっちゃいそうで嫌なんですけど、もう残りの人生、綺麗に生きたいんですよ、僕(笑)。昔は他人の目も気になりましたが、今はそういった思いは全然ないです。これ以上汚れたくないし、これ以上濁りたくないし、勝ち負けでもない──。そういったものを超越したところにいたいです。理想論といえば理想論だけど、「そんなに傷だらけにならなくてもいいじゃん。大丈夫だよ!」という気持ちを、歌に込めて届けたいです。
● 三上博史(みかみ・ひろし)
東京都生まれ。神奈川県立多摩高在学中に、寺山修司が監督・脚本を担当した映画『草迷宮』(1979年)のオーディションに合格し、15歳で芸能界デビュー。映画『私をスキーに連れてって』(1987年)、ドラマ『君の瞳をタイホする!』(1988年)など、数々の話題作に出演。トレンディドラマエースのひとりとして脚光を浴びた。近年は、福山雅治主演のドラマ「集団左遷!!」の銀行の常務取締役など、名バイプレイヤーとしても存在感を放っている。今年1月には、寺山修司没後40年記念公演『三上博史 歌劇―私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない―』で主演を果たした。
「PARCO PRODUCE 2024『HIROSHI MIKAMI / HEDWIG AND THE ANGRY INCH【LIVE】』」
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』は、ジョン・キャメロン・ミッチェルが台本・主演、スティーヴン・トラスクが作詞・作曲を手がけ、1997年にアメリカ・ニューヨークのオフブロードウェイで初演されたロックミュージカルだ。2001年には映画化もされた。
ベルリンの壁がある時代に東ドイツで生まれ、“愛と自由”を得るために性転換手術を受けるが、手術ミスで“怒りの1インチ(アングリーインチ)”が残ってしまったヘドウィグ。物語は、そんなヘドウィグが、アメリカでロック歌手になり、小さなライブ会場で、ライブステージを行うかたちで進行していく。
日本初演は2004年。三上がヘドウィグを担い、翌2005年も演じた。その後、2007、2008、2009年には山本耕史、2012年には森山未來、2019年には浦井健治、2022年には丸山隆平が演じている。日本初演20周年となる今年は、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』がライブ・バージョン「PARCO PRODUCE 2024『HIROSHI MIKAMI / HEDWIG AND THE ANGRY INCH【LIVE】』として、三上のヘドウィグが復活する。
公式HP/https://stage.parco.jp/program/hedwiglive/
東京/PARCO劇場
2024年11月26日(火) 〜12月8日(日)
京都/京都劇場
2024年12月14日(土)14:00公演/15日(日)14:00公演
宮城/仙台PIT
2024年12月18日(水)19:00公演
福岡/キャナルシティ劇場
2024年12月21日(土)18:00公演/22日(日)13:00公演
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