2020.08.10
■平野啓一郎/小説家×石井洋/LEON編集長
カッコいい大人とは自分の内面を自然体で更新していける人
「カッコいい」という概念は20世紀の文化に大きな影響を与えてきたという小説家の平野啓一郎さん。この言葉に様々な視点から独自の分析を行って、明確に言語化した著作『「カッコいい」とは何か』を上梓されている平野さんに「カッコいい」の本質とは何かを伺った。
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写真/中田陽子(Maettico) 文/井上真規子
2016年出版、2019年に映画化されたベストセラー作品『マチネの終わりに』をはじめ、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞『決壊』、読売文学賞受賞『ある男』など多くの人気作品で知られています。
平野さんは作品を執筆していく中で、20世紀の文化に大きな影響を与えてきた「カッコいい」という概念についてきちんと論じられている本がないことを知り、様々な視点から独自に分析を行い、明確に言語化した著作『「カッコいい」とは何か』を上梓されています。
そんな「カッコいい」を知り尽くす平野さんに、大人たちに向けて“カッコいい”の正体とは何か、そして“カッコいい大人”として今、何が必要なのかを小誌・石井編集長がたっぷりと伺いました。
そもそも“カッコいい”は、しびれる、鳥肌が立つといった素朴な体感(平野)
平野 「ありがとうございます」
石井 「著書では、自分にとっての“カッコいい”とは何か?を考えることは、いかに生きるべきかを考えることであり、カッコいい人は人生の指標になりえると。今回の特集では、“大人のカッコいいを取り戻す”ということがテーマなのですが、今はカッコつけることは、カッコ悪いと捉えられる時代でもあるわけですよね」
平野 「そもそも“カッコいい”は、しびれる、鳥肌が立つといった素朴な体感で、自分はこういうものにしびれるんだ、という自己発見でもあります。一方、カッコつけるというのは、その対象に憧れて実質が伴ってないのに表面だけを繕うというイメージです。
メッシを目指してサッカーの練習を頑張っている少年は、表面ではなく実質を磨いているわけで、カッコつけるとは言いませんよね。カッコつけるというのは、最初からネガティブなニュアンスがあったんです。カッコつけマンなんて言葉もありました」
平野 「とくに今の時代は、表面だけを取り繕っても見透かされやすい時代です。SNSで晒されたりしてすぐにボロが出てしまう。メディア環境のせいで、カッコつけているのがバレやすく、難しいからあまり流行らないところもあるでしょう」
石井 「普段は3枚目なのに接してみたら男らしかった、というような表面と内面の逆のギャップがある方が今はカッコいいと言われたりしますよね」
平野 「結局みんな、全方位的にカッコいいなんていうのは不可能だと感じているんです。カッコいいだけなんて、なんか嘘くさい、そんなはずはないと」
石井 「確かにそうですね。こういう時代だからこそ、みんなリアルを求めるようになっている。しかし、そう考えると“カッコいい”というのは非常に大きなボリュームをつかんでいるように思いますね。そして時代とともに、“カッコいい”も変わっていく」
「カッコいいからああなりたい」という憧れとしてのカッコ良さの力はまだまだある(平野)
そして対抗的に何か新しい価値観を提示する時に、今までダサいと思われていた価値が次の“カッコいい”になるかもしれない。それもまた広まるとカッコ悪いになる、というサイクルです。ファッション業界はそのサイクルをビジネス化したわけですよね。その回転が早くなりすぎて、結局みんな疲れちゃいましたけど」
石井 「コロナをきっかけに、アルマーニさんも働き方について表明しました」
平野 「そうですね。#MeTooが叫ばれているような今の時代では『俺に黙ってついてこい』みたいのは、あり得ないですよね。正しい、正しくない以前に、最早カッコいいと思えない。『「カッコいい」とは何か』を書く時に、みんなの価値観がどれだけ変わっているか、女性に『男性に感じるカッコ良さ』についてリサーチをしたんです。そしたら、家事を分担してくれるみたいな身近なことが多かった」
石井 「優しいとか、そういったことがカッコいい男性像につながる時代なんですね」
平野 「そういう時代だし、それはいい話でもありますよね。男子厨房に立たず、みたいなことより、皿洗いしてくれる男性のほうが女性だってうれしいですから。アメリカでは『do the right thing(正しいことをやるべき)』といったことをよく言いますが、日本は宗教の力も弱く、人のために行動するとか、倫理的に正しいことをするという発想が少し薄いのだと思います。だから、どうやって生きていったらいいかというはっきりとしたお手本がいないのです。なのに、同調圧力ばっかり強いという」
平野 「例えばジョージ・クルーニーが、ダルフールの紛争(※)にコミットしたり、レオナルド・ディカプリオが環境問題に取り組んだりといった、ハリウッドセレブの慈善活動が、“カッコいい化”されて日本にも伝わってきました。最近、日本のタレントに政治的な発言をする人が増えたのも、やっぱり、影響があると思います。
そこには、倫理的に正しいからというだけでなく、カッコいいからやる、というインセンティブを感じられるようになったからだと思います。『カッコいいからああなりたい』という憧れとしてのカッコ良さの力は、まだまだあると思っています」
平野 「はい。ジョージ・クルーニーの例のように、皆の憧れになる人が、倫理的な正しさも持っているということは、社会的にも重要な意味があると思います。昔、ジョン・レノンが『Love and Peace』といって戦争反対を唱えたことが“カッコいい”とみなされたように」
石井 「そこは昔から変わっていないのですね」
いかに新しいものと触れ合いながら、自然に更新されていっているかが大切(平野)
平野 「昔から、ジャズミュージシャンのマイルス・デイヴィスに憧れていました。彼の何がカッコいいかというと、常に変化し続けたところです。また、黒人として差別を受けていたのに、本人は誰に対しても偏見がなく、とてもオープンでした。ジャズは黒人の世界だから白人に対して逆差別があったのですが、彼は『演奏が上手いなら肌は何色でもいい』と決して差別しなかった」
石井 「なるほど。あくまでフラットだった」
平野 「カッコいい大人でいるためには、自分が更新され続けること、そして考え方が自由であることが大切です。拘束されて排他的になっていくのではなく、いいものを吸収していく力を持つことです」
平野 「なかなか難しいですね。マイルスの場合は、ある時期からバンドのメンバーに年下しか入れなくなりました。会社勤めの人なら、若い世代とは積極的に接したり、一人で仕事している人でも積極的に若い人と仕事をするといいと思います。若いだけでなく、センスがいい人と接することも重要。僕も自分より下の世代が何を考えているか、そしてそれを受け入れていくことが大切だといつも思っています」
石井 「自分を更新するには、センスの優れた若い人と積極的に接して、考え方を吸収していくということ。それは僕も感じています」
平野 「それには、若い人たちとどう接するかが重要になってきます。例えば作家は、本人が望まなくても“偉く”なっていってしまう。僕は三島由紀夫が好きですが、彼は45歳で亡くなる頃にはすでに大家になっていて原稿はいつもノーチェックでした。編集者が何も言えなくなっていたんですね。でもそれはよくなかったと思う」
平野 「はい。だから僕は編集者が意見を言えるように、その場で反論はしません。やり込めてしまったら何も言えなくなってしまうので。でも編集者が気づいてくれることって、結局レビューとかで読者に指摘されることなんです。だったら刊行前に解決しておくべきだなと」
石井 「僕も編集者の端くれとして、とにかくいろいろな世代の人に感化されようという意識でやっています。感化されて1回身を委ねないと何もわからないなと思ったり」
平野 「人と接する時は、与えるよりも吸収したほうが得ですよ。僕もすごいなと思う人には年齢関係なく教えを乞います。ただ、なんでも吸収すればいいわけでもない。吸収した後、どう生かしていくかは自分で決めることです。編集者が気づいてくれた違和感に対して、どう解決するべきかは自分で考えて改善しています。そこで個性を発揮できればいいですよね」
平野 「更新しながら新しいことを取り入れていくのはカッコいいけれど、一方で、それがちぐはぐだったり、無理している感じが出てしまうと、カッコ良くは見えない。いかに新しいものと触れ合いながら、自然に更新されていけるかが大切なのかと」
石井 「“カッコいい”という文脈においては、更新のされ方も一つ重要なポイントなんですね」
平野 「そうです。『俺が俺が』っていうのもカッコ悪いし、急に若者言葉を使うとか若者に媚びるようなのもおかしい。その間のちょうどいい感じが、カッコいいな、といいう感覚をもたらすのでしょう」
平野 「『恰好が良い』の元々の意味は、『理想的な姿と調和している』でしたが、戦後は新しいものが来た時に取り入れる評価基準として次第に重視されていきました。ですから、新しいものを受け止める時に、いいと思わないものまで無理に吸収して調和がとれていない状態は、“カッコ悪い”となる。自分が体感的にカッコいいなと感じるものを、ただ好きだという理由で吸収していくのがよいのではないでしょうか」
自分のすべきことが、わかっている大人はやっぱりカッコいい(石井)
平野 「的外れな意見かもしれないけど、一番は体調管理に心がけることですね。40代前後は、ミドルエイジクライシスといって心身を壊すことが多い時期です。僕自身も30代後半に、このまま仕事を続けたら鬱になるかもと思った時期があって。よくあることとはいえ、なったらやっぱりしばらく大変ですし、予防的に体調管理をする必要があると感じました。まずは、睡眠をしっかりとる、酒量を年相応に控えるといった基本的なことですが」
石井 「なるほど。まずはそこですか!」
石井 「それはわかる気がしますね」
平野 「仕事には、やりたいこと、できること、やるべきこと、という3つの軸があって、プライオリティを考えることが大事です。20代はやりたいことを絶対にやるべきで、その中で自分としてできることと、携わっているジャンルの中でできることを考えていく。するとやるべきことを考えるタイミングがくるはずです。そのうちに自分の中のテーマのようなものがわかってきて、自分の活動の残り時間も意識するようになります」
石井 「平野さんご自身もそのように考えていらっしゃったんですか?」
石井 「今、お話を伺ってみて、自分のすべきことがわかっている大人はやっぱりカッコいいのかなと思いました。責任・覚悟みたいな話でもあるのかもしれませんけど」
平野 「はい。後はやっぱり勉強が大切です。特に作家の世界は如実で、どんなに才能があっても勉強しない人は枯渇していきます。どんなジャンルの人でも、やりたくない勉強は必要ないですが、関心のある領域についてのインプットは不可欠です。それは読書や若い人との出会いなど、色々なことです」
こんな時代だからこそ真面目な人がカッコいいと思われる時代になってほしい(平野)
平野 「『カッコつける』にしても、ミニマムからマックスまでレイヤーがありますよね。カッコつけるということは、憧れる対象に近づこうとしているわけで、どこにそれを置くかなんです。憧れる対象が大スターまで飛躍するのか、電車でさり気なくお年寄りに席を譲っている人に向くのか。スターは難しくても、何気ない素振りがカッコいい人には、誰でもなれますよね」
石井 「平野さんはどちらに?(笑)」
石井 「側から見てたら、そういう人ってなんかカッコいいなと感じますね」
平野 「憧れる対象って、大きなこともたくさんありますが、日常の中でもお手本にしたいと思えることってたくさんあると思うんです。小さなことを日常的にやって、それが習慣になれば、どこかで人の目に触れて、『あの人ってさり気ないけどカッコいい』となるんじゃないですかね」
石井 「身の丈にあった、自分にできることからやっていくカッコ良さですね」
石井 「そのぐらいの心持ちで、自分も楽しみながらやっていくことで、“カッコいい”に近づく気がしますね」
平野 「そうすると感謝もされるし、自分に自信がついてきます。最近、アメリカのセレブで最もかっこいい人の一人として注目されているのが、キアヌ・リーブス。ホームレスと一緒に道で普通におかしを食べたり、親しげに話したりする姿が撮られて。
初めは馬鹿にされていたけど、彼の不幸な境遇や、映画の制作費が足りない時に、まず自らのギャラを下げてくれた、みたいな人の良さが知られて、この人こそ実はカッコいいんじゃないかと言われ出しています。自由に生きて、人に親切で、そういうところにみんな憧れていますよね」
平野 「ジョージ・クルーニーみたいな正しさも、キアヌ・リーブスのような身近な行いも、どちらもカッコいいですよ。ダルフールの紛争となると簡単にはコミットできないけど、偉ぶらずにその辺の人に優しく接しているというのもとてもカッコいいですよね」
石井 「日本は、特にそういう当たり前の親切や振る舞いができない人が多いように思いますね」
平野 「殺伐としてますよね。コロナ渦でそれが如実に現れて、みんな優しさに飢えている。だから優しいだけでも十分カッコいい時代だと思います。今の日本は、悪いことし放題で、開き直ったもん勝ちみたいになっているところがある。これでは、この社会に生きていること自体がストレスですよ。
石井 「真面目な人間がカッコいいって話や、その人の先に未来が見えるとか、簡単に言えばああなりたいなって思わせられるかというのは、誰が聞いても“カッコいい”の答えになっている気がしますね」
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●平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)
1975年愛知県生まれ。小説家。京都大学法学部卒。1999年、『日蝕』で第120回芥川賞受賞。以後、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞の『決壊』、Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞『ドーン』、渡辺淳一文学賞受賞『マチネの終わりに』、読売文学賞受賞『ある男』など、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。エッセー・対談集には『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「カッコいい」とは何か』など多数。