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2020.08.05

■落語家 瀧川鯉斗

イケメンの元暴走族総長が惚れた落語のカッコ良さとは?

元暴走族の総長、落語界きってのイケメン……そんなふうに何かと枕詞の賑やかな落語家・瀧川鯉斗さん。確かにインタビュー後の写真チェックで、モデルを見慣れた編集部もザワついたほどの美形です。そんな彼は、紆余曲折を経て、なぜ落語の世界を選んだのか。そこで見つけた「落語家のカッコ良さ」とは?

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写真/トヨダリョウ 文/アキヤマケイコ 撮影協力/新宿末廣亭

先の見えない混沌とした現代にあっても、覚悟をもってしっかりと社会と対峙しているカッコいい大人を編集部の目でピックアップしていく今回の特集。3人目にご紹介するのは、2019年に真打昇進、現在36歳の落語家・瀧川鯉斗さんです。

情緒たっぷりの寄席・新宿末廣亭に着物姿で登場した鯉斗さんは、元暴走族の総長という、ちょい不良(ワル)どころか極悪の過去を感じさせない爽やかさ(笑)。艶やかな男ぶりですが、朗らかで軽快に話す様子は、やっぱり落語家さんです。彼は、落語のどこに「カッコよさ」を見たのか── インタビュー開始です。

Jリーガーになる夢破れ、暴走族になって思った「ここには先がない」

── 鯉斗さんと言えば、まずは容姿に恵まれていて、モデルさんみたいという声も多いですが……なぜ落語家に?
 
瀧川  子どもの頃は、サッカー選手になりたかったんです。Jリーグの選手に。小学校3年生で始めて、中学3年生まで続けていました。キーパーで、愛知県のトレセンメンバーだったんです。自慢じゃないですけど、県トレセンの試験を受けずに、キーパー専門の監督のスカウトで入ったんですよ。いろんな大会にも出させてもらいました。

でも、中学の途中から、バイクにもハマってしまって。ロン毛で金髪だったし、素行不良だしで、高校のサッカー推薦は受けられませんでした。入った高校も1日で辞めて、それから暴走族にどっぷりと両足、浸かってしまいました。

── 暴走族の総長だったんですよね。ちなみに総長って、どうしたらなれるんですか?

瀧川 そこは先輩からの推薦なんですよ。暴走への出席率とか、ケンカを売られても怯まないとか、そういうところで認められていくんです。でも17歳の終わりに、初日の出暴走を最後に引退しました。引退暴走では、走っている途中に、仲間が「ご苦労さま」「お疲れさま」って、次々に花束を渡してきて、最後は花束が走っているみたいになりましたね。

── きちんとしているんだか、なんだか分からない(笑)。でも17歳って、どんなスポーツより引退が早いですね。
瀧川 人の回転が早いんですよ、暴走族って。仲間内の暗黙のルールもあって、そろそろ……という雰囲気でもありました。それに、当時の仲間には悪いですけど、「ここにいたら将来はないな」と思っていました。それで、人生を一度、リセットしようと思って東京に出たんです。映画が好きだったから「役者になれればいいな」というような、大雑把な心持ちでした。

当然、食べてはいけないから、とりあえずアルバイトをしなきゃと思って、『フロムエー』に載っていたレストランに応募して働き始めました。そのレストランで、年に2回、うちの師匠(瀧川鯉昇。当時は春風亭鯉昇)が落語会をやっていて。そこで師匠の「芝浜」を初めて聴いて、衝撃を受けて、落語家になろうと思ったんです。

座布団一枚。その上で一旗上げると決めた

── 落語はそれまで一度も聴いたことがなかった? 「芝浜」というと人情噺の名作ですが、10代男子にウケそうな感じでもないですが……何がよかったですか?

瀧川 レストランのオーナーが元芸能人で、「役者を目指しているなら、落語くらい知っておけ」と、落語会の時に客席で観せてくれたんですけど、それまでは、落語の存在すら知らなかったです。

でも、1人で何役もやって、それでお客さんを笑わせたり感動させたりする芸で、すごいと思った。それに何より、うちの師匠が、圧倒的に上手かった。最初に聞いたのがうちの師匠の落語でなかったら、僕は落語家になってなかったでしょうね。

それで打ち上げの席で、「弟子にしてください」ってお願いしたんです。そしたら師匠が「寄席って知っているか? 新宿(末廣亭)と浅草(演芸ホール)と池袋(演芸場)にある。そこが仕事場になるから、見てみて、それでもよかったらいらっしゃい」って。もちろん寄席のことも知らなかったけれど、しばらくあちこち通って、師匠に改めて弟子入りのお願いにいきました。それで、翌日から弟子になりました。
── 寄席は素敵な場所ですけれど、10代の鯉斗さんにとっては、地味に思えませんでした?
 
瀧川 全然、思わなかったです。役者になりたかったのも、これまでのプライドとか全部捨てて、舞台で自分を表現したいっていう思いがあったから。そんな時に落語に出会った。役者なら主演でも舞台からはける瞬間があるけれど、落語はひとりで最初から最後まで務められる。

同じ噺でも、自分というフィルターを通して、いろいろな形で伝えていける。それが面白いと思ったし、うちの師匠の芸で凄さを感じたところでもあります。座布団一枚の上、話芸だけで人をひきつける。これで一旗上げるっていいな、自分はこれで生きていこうって思えたんです。

縦社会、上等。上下関係が自分を育ててくれた

── 落語をまったく知らない状態から弟子になって、かなり苦労されたんじゃないですか?

瀧川 1席目の噺を教わった時は、正直、大変でした。「新聞記事」という15分くらいの噺を覚えるのに、半年くらいかかりましたから。それまで頭を使って覚えるってことをしてなかったし、そもそも日本語とか漢字とかがよく分かってなかったんで。漢字の当て字は得意でしたけどね。夜露死苦とか(笑)。

うちの師匠から芸名をもらった時も、「鯉斗」「鯉茂」って紙に書いてあるのを見せられて、「どっちがいい?」って聞かれたんですが、僕は横に読んじゃって「鯉鯉って変だけど、師匠と同じ字がついているからこっちかな」って、上の方を指差してたくらい。話が噛み合わないから、師匠が気づいてくれて、「日本語は縦に読むんだよ」って教えてくれた。そんな状態でしたからね。
── 鯉昇師匠、優しいですね(笑)。途中で嫌になったりすることはなかったですか?

瀧川 ないですね。噺をだんだん覚えられるようになって、起承転結のある形で喋れるようになるのが楽しかったし、古い言葉を教わるのも新鮮でしたし。これを教えてもらって仕事にするんだっていう思いで、吸収していきました。

── 人間関係はどうですか? 落語界は基本的に徒弟制度、縦社会ですよね。サッカーでもスター選手、暴走界でもスター(?)を経験した人が、先輩にお茶出したり、着物畳んだりみたいなところから始めるのに抵抗はなかったですか?

瀧川 それも全然なかった。まったく知らない世界に飛び込んで、自分が一番下なので当然だと思っていました。師匠や先輩たちから教わった通りにして、この世界になじもうと、頑張っていましたよ。落語家って、こういうものなんだって、いちから教わって、それが新鮮でした。縦社会だから嫌だ、みたいなのはまったくない。それに、もともと縦社会には慣れていますから。部活、暴走族、コック、全部、縦社会だったし(笑)。

落語家の先輩たちとの付き合いも、すごく楽しかった。寄席の昼の席を終えた三遊亭小遊三師匠と先輩たちが、お酒を飲んでカラオケするのにず~っとお付き合いして、で夜11時ごろに「今から山梨行くぞ、ご来光見に」って言われて、僕が運転手してわ~っと行く、みたいな、そういう“芸人のノリ”が僕は好きでしたね。
── 古臭いな、と感じたこともない? 今の世の中は、実力社会なんていわれますけど。

瀧川 例えば、先輩から怒られると、すぐパワハラとか言う人がいますけど、教えてくれているんだからそうじゃないでしょ、と僕は思うほうですね。技術以外のことでも、人としての常識とか気遣いとか、そういうことができていなければ、怒られるのは仕方ない。その仕事をやりたくて情熱を持っていたら、怒られていることにちゃんと意味があるってことが分かりますから。

それに、僕たちは落語家なんだから、江戸時代から続いている芸事のしきたりっていうのは、むしろ大事にしていかなきゃと思います。師匠と弟子の関係とか、寄席での立ち居振る舞いとかも含めて。そういうところは、今どきのお笑い芸人やタレントさんと一線を画していると思います。

懐深くカッコいい、落語界の先輩たち

── 落語界には、鯉斗さんにとって尊敬できるカッコいい人がたくさんいそうですね。まずは鯉昇師匠ですか?

瀧川 そうですね。うちの師匠のカッコいいところは、なんといっても落語がうまいこと。師匠の落語はテクニックが豊富。その上で、いろいろと崩していますからね。頭も良くて、教え方も理論的です。まあ、僕には理論的に教えても分からないって思われていたでしょうけどね。日本語が苦手だったし(笑)。

師匠は器もでかくて、優しい。弟子は12人いるんですけど、そのひとりひとりをよく見て、言い方を変えて教えてくれています。それぞれの個性を伸ばして育てようとしてくれているなと感じますね。
── 鯉昇師匠以外では?

瀧川 小遊三師匠ですね。体育会系でパワフル、男気があって、すごく面倒見がいいんですよ。ずっとお世話になっています。

例えば、僕が地元の名古屋で独演会をやる時、たまたま小遊三師匠も三重県に学校寄席で招かれていたんです。そしたら「お前の会にゲストで出てやる」って、わざわざ名古屋で途中下車して来てくれたり。

そういえば、前座で初めて名古屋の落語会に出た時も、舞台の袖でちゃんと見ていてくれました。その時は、僕の知り合いがいっぱい聴きに来て、前座なのにすごく舞台が沸いたんですよ。それも「お前には黄色い声援が飛んでくると思ったら、『おー、直也~(鯉斗さんの本名)』って、どす黒い声ばっかりじゃねえか」って面白がって喜んでくれた。

懐が深いだけじゃなくて、実際にこういう行動で示してくれるところが、カッコいいですね。うちの師匠や小遊三師匠みたいに、弟子や、世代が下の噺家をよく見ていてくれて、落語界の伝統と情熱をしっかり伝えてくれる人は、本当にカッコいい。自分も、弟弟子や落語界に入ってくる若い人には、そうなりたいなと思います。

江戸の噺を、自分の体で語れることは、カッコいい

── 20年近く落語界にいらっしゃるわけですが、鯉斗さんが感じている落語の魅力、カッコいいところはどんなところですか?

瀧川 僕は、古典落語をやるんですが、古き良き日本のいいところ、粋や義理人情を伝えていっているところですね。粋や義理人情って、相手の気持ちがわかって、それに対して行動や言葉を返していくところから生まれてくる。そういう、筋が通っていて優しさもある世界を表現しているところに、心ひかれますね。

江戸や明治の頃に生まれた噺を、現代の自分というフィルターを通して伝えていけることも、面白いしカッコいいなと思います。古典なんだけど、僕がやることで新しいなって感じてもらえたり、また、お客さんなりの感性で楽しんでもらえたりしたらいいなと思ってやっていますね。
── 落語の登場人物で、鯉斗さんがカッコいいなと思う人はいますか?

瀧川 「大工調べ」の親方です。頭の悪い部下である与太郎に、親切に物の道理を教えてあげる。与太郎が困っていたら、一緒になって頭も下げるし、怒りもする。ケンカっ早いんだけど、悪いことは悪い、いいことはいいと言えるし、筋道をちゃんと通す。そういうところがカッコいいと思います。

唯一無二の落語家を目指して、精進は続く

── 昨年、真打に昇進されました。一番、何が変わりましたか?

瀧川 お客さんが、修業期間が終わった落語家として見てくれるようになって、やりやすくなったと思います。元暴走族ってことで、寄席でヤジを飛ばされたり、いじられたりってこともあったんですけど、そういうのが減りました。きちんと噺を聞いてくれる人が増えたのはうれしいことですね。

── 得意な噺は何ですか?

瀧川 そうですね、模索中、多分、一生涯、模索していると思いますけど(笑)。今、よくやるのは「紙入れ」「紺屋高尾」「片棒」……。そう、ちょっと艶っぽい噺をやることが多いかな。「宮戸川」とかね。今、30代の自分のキャラクターがいちばん活かせて、お客さんに楽しんでいただけるのが艶っぽい噺で、それをやるのも義務かなと思って、精力的にやっています。

── 今後は、どういうカッコいい落語家になりたいですか?

瀧川 せっかくなので、唯一無二の落語家になりたいですね。特に、芝居噺を後世に残せたらな、と今は思っています。ま、わかりませんよ、僕が60歳、70歳になって、うちの師匠みたいにハゲ散らかしてきたら、滑稽噺をやっているかもしれないです(笑)。そういう意味では、一生、考えていくんだろうなと思います。

僕らって、同じ噺でも、ブラッシュアップしていかなきゃいけない。古典落語だと、今はお客様が不快になるからとお蔵入りになっているものもあって、それをどうしたら蘇らせられるかなと考える作業もある。ずっと落語に向き合って、覚えたり稽古したりして、そして死んでいくんだろうなと。カッコいいかどうかわかりませんが、それが、落語家の生き方だなと思っていますね。

●瀧川鯉斗(たきがわ・こいと)

1984年生まれ、愛知県名古屋市出身。本名は小口直也。公益社団法人落語芸術協会所属。2002年、瀧川鯉昇(当時は春風亭鯉昇)に弟子入りする。2005年3月楽屋入り、2009年4月二ツ目昇進、2019年5月に真打昇進。出囃子は「むつのはな」

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