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授業の行われないキャンパスにあって、恩田が通っていたのは1年生から所属していた写真部の部室。当時、写真界では「コンポラ」と呼ばれるムーブメントが起きており、恩田青年もご多聞にもれず夢中になった。たとえばロバート・フランクによる日常の何気ないシーンなど、作者の心象を写し出す表現は、それまでのアンリ・カルティエ=ブレッソンなどによる“決定的な瞬間”を追究する手法とは異なる風景の切り取り方となる。「こんな表現もあるんだ」「写真ってかっこいい」……すっかりハマった恩田青年は、ハタチを迎えるころにはフォトグラファーになりたいと考えるようになった。
その当時、日本の写真界を牽引していたのは『カメラ毎日』の編集長であった山岸章二だった。多くの若手写真家を見出し、機会を与えていた山岸は『カメラ毎日』に掲載された恩田の写真を見て言った。
「きみ、ファッションやってみたら?」
山岸はその後、49歳で早逝しているため、その時、恩田のどこにファッション写真家としての芽を見出したのか、確かめるすべはない。しかし、その予言(?)が的中したことは、恩田のその後の仕事ぶりを見れば明らかだろう。
ふたりのジローとの出会い
「まだ雑誌カルチャーの草創期ともいえる時代でした。次郎さんとの仕事もめちゃくちゃで、たとえばNY特集なら、とにかく現地へ飛ぶ。そしてモデルも雇わずに『マディソンアベニューで誰かかっこいいヤツ探して撮ってこいよ』と言われるの。しょうがないから当時流行っていたブティックに行って、着こなしのいいスタッフを探して撮影させてもらったりね。え、おしゃれスナップ? 読者モデル? そんな言葉がまだない時代に、同じことをやっていたんですね(笑)」
当時はファッション撮影のみならず、静物撮影や旅の風景、果てはレイアウト用の複写*まで担当し、一冊まるごとが恩田の撮影によるものだったこともある。1979年に生まれた恩田の次男で、いまはやはりフォトグラファーとして活躍するGENKIは父について、「あまり家にはいませんでした。ロケで長く留守にして、海外のお土産をたくさんスーツケースに詰めて帰ってくる。しばらくするとまたいなくなるんです」と語る。
*註
雑誌や広告など紙制作物のデザインをする際、デザイン紙に写真の複写を貼り付けたり、トレースしてアタリをつけた素材を貼り付けたりしてレイアウトしていた。筆者の記憶では90年前後まで行われていた。
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「まず当時の彼はまだ知名度がいまほどなくて、フレッシュなのがよかった。その辺のモデルより存在感があったし、イタリア人らしい色気も雑誌の方向性と合っていたでしょ。でも最初のころはまだ彼もたどたどしくてね、予期しない動きをしたりするから楽しかったなぁ。カバー撮影のために用意した状況の中でジローさんが素の状態で楽しんだり、撮られている事を忘れて、少し自分の世界に入ってる瞬間の表情がぼくをひきつけましたね」
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「ぼくはそれを『ひびき』だと思っているのね。ぼくが捉えた一瞬の『ひびき』が見る人の心に新たな『ひびき』を生んでいく——ぼくが撮りたいのは、いま自分が人生を生きているという実感なんですが、それを見た人がいろいろ感じてくれたらいいな、と」
このほど、恩田と、恩田のアシスタントとして働き、いまはそれぞれフォトグラファーとして活躍する8人の弟子たちによるグループ写真展「ひびき」が開催される。そこで発表される作品群はまさに、恩田の写真世界の集大成となるだろう。どんな「ひびき」に出会えるのか、楽しみだ。(文中敬称略)
写真展「ひびき」
会場/目黒区美術館 区民ギャラリー地下1階
住所/東京都目黒区目黒2-4-36
電話/03-3714-1201
会期/2020年12月9日(水)~13日(日)
開館時間/10:00~18:00(最終入館は17:30、最終日は14:30まで)
インスタグラム@hibikiten