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2020.12.28

■安冨 歩/東大教授

気鋭の東大教授が語る「馬」と「女性装」と「カッコいい大人」とは?

我々は、先の見えない混沌とした現代にあっても、覚悟をもってしっかりと社会と対峙している大人を「カッコいい」とお伝えしてきましたが、そのカッコ良さには多様性があって当然とも考えています。今回お話を伺ったのは女性装の東大教授として知られる安冨歩さん。その優雅なビジュアルのむこうには社会の問題に鋭く切り込む戦士の凛々しさがありました。

CREDIT :

取材・文/木村千鶴 写真提供/安冨 歩

50歳にして女性装を始めた異色の東大教授、安冨歩さん。なぜLEONにと思われる読者もいるかもしれませんが、今回の特集「大人の“カッコいい”を取り戻せ」というテーマでこそ、安冨さんに話を聞いてみたかったのです。

それはなぜか? 京都大学卒業後、住友銀行勤務、現在は東京大学東洋文化研究所教授という経歴だけを見れば、順風満帆、エリート街道まっしぐらに歩んで来たように見える安冨さん。

けれどもご自身は、その一見満ち足りた人生にあっても、30代まではいつも「死にたいほど不幸だ」と感じて過ごしていたといいます。子供時代から安冨さんを精神的に強く支配し、常に成績優秀ないい子を求めてきた母親。さらに安冨さんの「京大卒・東大教授」という肩書だけを求めた配偶者からの執拗なモラルハラスメント。

そこから抜け出すために離婚を考えたものの、母親が配偶者とつるんで離婚を絶対阻止しようとし、自殺を考えるほど悩み苦しんだ安冨さんは、どうにか離婚出来たその経験をもとに、ハラスメントの研究を始め、そのことが安冨さんの学者としての大きなテーマに繋がりました。

さらに、徐々に心が解放されていく中で、その頃成功したダイエットのついでに何気なく始まった女性装。そこから50歳にして自らの新しい性自認に至り、以降は常に女性の姿で、仕事もプライベートも充実した時間を重ねてきたのです。

多くの困難に直面しても常に自分らしく生き生きと人生を歩むために果敢に戦ってきた安冨さん。そのお話には、先の見えない混沌とした今の時代を生き抜くための多くのヒントがあるのではないか。そう思って、今は長野の牧場で馬と暮らしながら研究生活を送る安冨さんに取材をお願いしたのでした。
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なぜ今、人々は「生きづらい」と言うのか?

── LEONは大人が自分らしく楽しく生きていくことに価値があると考え、それを「カッコいい」と思っています。でも実際には、なかなか難しい。生き生きと暮らすどころか、逆に「生きづらい」と感じている人も多いようです。

安冨 たぶんここ10年の間で、妙にみんなが「生きづらい」と言い出したように感じます。でも、まず私は、「生きづらい」という言葉そのものが、何か矛盾していると思っています。生き物というのは、生きることに喜びを求めるようにセットされているはずなんです。「生きる」と「つらい」が本気で結びついていたら、あらゆる生き物は死んでしまいますから(笑)。

例えば猫は、1日寝ていてもつらそうじゃないですよね。人間だって何もしないでブラブラしていても、死なないならいいんですよ。その状態で本来はつらいはずがない。なのに、猫みたいに過ごしているだけでも、凄くつらくて死にそうになる人がたくさんいるということが問題なんです。

── それはなぜなのでしょう?

安冨 これには“生きていることそのもの”を追求しなくてもよくなった、という背景があると思います。現代は福祉制度やインフラが整備されていて、戦争直後の人から見たら、天国みたいな生活ですよね。病気や失業など、あらゆる理由でじっと家の中にいるような生活が続いたとしても、福祉制度をきちんと活用すれば、簡単には死なない。本気で路上に留まることをしないとホームレスにもならないし、自殺しないと死なない、みたいな状況が前提にあります。

食べるため、生きるために必死だった戦中・戦後には「生きづらいわ〜」などと言っていられないじゃないですか。また高度成長期は忙しいけれど、働けば給料は増え、結婚して子供が生まれて学校に行かせてとなれば、「生きづらい」などと余計なことに気を取られる必要はありませんでした。当時は忙しさにちゃんと実質的なリアリティがあったんです。

でも90年代のバブルの崩壊で急にみんな暇になってしまった。いや、なんだか忙しいんだけれど、その忙しさの質が変化してしまった。顧客の奪い合いや、報告書を書くだとか、生産性のない仕事ばかりで、気持ちが盛り上がらないんです。そしてなぜかわざわざ忙しくする。そんな中でも「暇を味わう」ことが、なぜか許されないという社会構造があります。

── なるほど。忙しくないと不安になるということもあります。
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つらさから逃れるために一生懸命働く現代人

安冨 バブルの崩壊以降、日本はほとんど経済成長していません。今の企業は財政赤字で支えられているという状態で、「本当の忙しさ」を味わっている人がほとんどいない。その状態で失業したり、閑職に追いやられたりしたら、これは本当につらいと思うんです。そうなったら恐らく、会社にも家にも居場所がない。これを「生きづらい」というのでしたら、よくわかります。

私は、これって経済システムとか社会システムが日本人を全員つらい状態に追い込んでいるんじゃないかと思うんです。そういう状態が基本になるように、社会が人を育てていて、大人になった時にはそこから逃れるために、必死で働いて必死に消費する以外ないという状態に。

これは一般的な話ですけれど、「いるだけで苦しい」という状況に追い込んでおけば、人間は何かを達成しようとします。達成しなければ「私には価値がない」と思うから無駄でもなんでも頑張るんですね。そのエネルギーを集めて駆動させて、経済発展とか、軍事拡大とか科学の発展とかを実現するのが、近代社会の特徴なんです。

とても嫌なシステムですよね。でもそれが、近代という社会が成功を遂げてきた最大の理由だと私は思っています。

── 苦しい状態をつくって負荷をかけ、成長させるやり方なんですね。

安冨 そう、それは恐らく幼少期からですね。親や学校といった大人の影響によって、子供はつらい精神状態になるように育てられているから、基本的に小さい時からつらい。そのつらさから逃れるために勉強して、大人になってからも一生懸命働いて、それで得たお金で消費する。働くのと消費するのとでつらいのをごまかすんですね。
── 安冨さんご自身も、子供の頃から抑圧され、つらさを感じて生きてきたと仰っていますが、そのまま大人になってからは、どのような生き方だったのですか。

安冨 忙しくしていた30代、私は猛烈な仕事人間でした。大学にいて、もちろん研究自体が面白かったんですが、純粋に研究を楽しむというより、人々を唸らせて、いいポストに着くという野望の方が強かったのです。

── ご自身でもそういう出世欲のような気持ちを持っていたわけですか。

安冨 もちろん、そういう気持ちは凄く強かったですよ。そうじゃないと東大の教授になんかなれない(笑)。ただ、留学先のイギリスや、帰国してから勤めた大学でも、単なる権力構造や露骨な暴力、搾取が横行していることに気づき、本当に嫌になった。その構造の中に自分も住んでいるんだということを自覚して、どうにか抜け出したいと思ったんです。

その頃は結婚生活もうまくいかず、離婚したいと思い、悩みに悩んで、その中で、自分にもたらされていた母親や配偶者からのハラスメントにも気づきました。配偶者も親も、私の特質的な部分、肩書や学者としての才能といった、彼女たちにとって都合の良い部分だけを好み、私の全人格を否定しました。その頃は欠点を徹底的に攻撃される日々で、精神、肉体共に耐えがたい状態が続いていたんです。そこから研究を始め、ハラスメントについて理解しようとし始めたのが一つの転機だったと思います。
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馬と接することで身体的なレベルのコミュニケーション能力が身に付く

──自分が直面していた問題を研究テーマにしたところが凄いと思います。なぜ、そんなことができたのでしょう?

安冨 それは自分の置かれた状態を理解するための勉強だったんですが、やっぱり理解するだけではダメで、最終的に問題から離脱を始められたのは、馬との出会いがきっかけでした。馬に乗るようになって馬と接することが多くなってから、自然と怒りや恐怖といった感情が減り、いろんな変化が自分の「中」で起きるようになったんです。

── なぜ馬と付き合うことで人が変わっていくのでしょう?

安冨 まず、馬は個体識別が苦手とされています。犬や猫、牛も、慣れると向こうがこちらに合わせてくれる部分があるんですが、馬にはそれがありません。そしてとても怖がりで繊細。大きさも、人を上に乗せてくれるということも含めると、特別な生き物だと思います。

そんな馬とコミュニケーションを取るには、会社で人間が使ってるコミュニケーションメソッドは、まったく通用しません。だいたい身分の高い人ほど、馬は言うことを聞きませんから(笑)。すごく怯える動物なので、高圧的な態度や暴力性を感じると、怖がって動かなくなってしまうのです。概念的なことで言うと、人間同士の間でしか通用しない能力ではないものを身につけるというか。それによって人は変わっていけるのです。

── 実際、どんな変化が?

安冨 私は子供時代からずっと親に支配されてきましたが、それまでは親が自分に与えていたものが「愛情」だと思っていたけれど、それが誤解だとわかりました。親の「支配」という暴力を、「愛情」だと誤解するというセットが、自分の中に発生していたことがわかりました。

親も意図的にやっていたわけじゃないんです。彼女らは昭和一桁の時代に生まれて、少年時代を戦争中に過ごしているので、“靖国の母”精神みたいなものを心に埋め込まれているのですが、戦後にそれを私に適用したということ。且つ、それが私だけではなく、日本社会では普遍的なことだったのです。まぁ、うちの両親は強烈で、特におかしい人だったと思いますけれど(笑)。この気づきがなかったら、自分が抱えていた根源的な苦悩から解放されることはなかったと思います。
── なるほど。そこから人との接し方なども変わりましたか。

安冨 離婚をきっかけに親とも縁を切ったのですが、その苦悩から解放される過程で、私自身も、自分の子供たちに対してちゃんと愛情を抱いていなかったことを理解しました。それまでは自分なりの親としての義務感や責任感などが先にあって、それに反しないように子供に接していたんですね。でも、そんなものは愛情でもなんでもありませんでした。私自身が親からもたらされていた暴力を、私も子供に対して繰り返していたことに気づき、そこからようやく子供のことも愛するようになりました。

── 素晴らしい馬の効果ですね。

安冨 はい。だから私は企業でも馬を使った研修を導入するといいと思っているんです。全社員は無理だったら経営者だけでもいい。それでも随分とハラスメントとかは減ると思うんです。つまり、暴力を使わない、お願いをしない、金も使わない、決まりもつくらないで、人を動かす力が身につく。それがマネジメント力だと思います。コミュニケーション力と言ってもいい。馬と接することで、身体的なレベルでのコミュニケーション力を身につけることができるのです。
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違和感を認識した瞬間に元には戻れなくなった

── ところで、安冨さんといえば女性装のインパクトが強いのですが、馬と女性装は、それぞれ別々に、安冨さんの心に変化をもたらしていったのですか?

安冨 そうですね、まずは馬に乗るようになって、女性装を始めたのはその後です。当時ダイエットに成功したんですが、私は体型的に太ももだけ太くて、男物のズボンだと上半身とのバランスが悪いんです。その時に女性物のズボンを勧められてはいてみたらピッタリで気持ち良くて。それに合わせるように女性物のTシャツを着たら、その直後から男性物の服が気持ち悪くなって、触る気にもなれず全部捨ててしまったんです。

── 急に触るのも嫌になるというのはご自身でも衝撃だったでしょうね。それまで、自分の男性性に違和感をもっていたことはあるのでしょうか。

安冨 自分でもよくわかっていなかったけれど、きっとその時に50年間我慢して男性の服を着ていたということに気づいたんでしょうね。たぶん違和感はあったと思うんですが、でもそれを一切認識できてはいなかった。そして、認識した瞬間に元には戻れなくなりました。最初は女性物の服を着ているだけのつもりだったんですが、それじゃあ、なにか合わないということに気づいて。途中から女性の服が似合うように、徐々に見た目を変化させていったという感じです。

── 自分の中で「違うな」というものが芽生えたというよりも、女性装に合わせて外見を変化させていったというわけですね。性の意識として、今はご自分を男性とは思わないのですか?

安冨 到底男性だとは思えないですね、今のところは。ただ、人間は変化するものですから。例えば自分はゲイ、レズビアンだと言っていても、それは単に今まで好きになった人が全員同性でしたと言っているだけのことであって、次にどうなるか誰にも予想がつかないこと。私もこの先どう変化するかはわかりません。
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猫みたいに、暇でじっとしていても楽しそうな人がカッコいい

── ではそのような安冨さんにとって今の時代に求められる、カッコいい、理想的な大人というのはどういう人でしょうか。

安冨 20〜30年前には、忙しくワイワイやっている方向の、先頭を走っている人がカッコ良く見えたと思います。でも今みたいな行き詰っている状態では、ごまかしてくれるものがなくなりつつある。こんな時代になると、まだ表立っていないかもしれませんが、本当に心の優しい人に、人々が憧れる時代が来るんじゃないかという気がします。

── ここにきて本質と向かい合わなければならなくなった、と。

安冨 はい。このコロナの状況下で、前向きの発展型ストーリーを誰もが信じられなくなった。だからこそ、今はその人がいるだけで安心するような空間があるとしたら、人々が頼るようになるんじゃないでしょうか。そういうものがカッコいいというならば、それはカッコいいんだと思います。

そうそう。最初に、猫の話をしましたが、その意味では、猫みたいに、暇でじっとしていても楽しそうな人、をカッコいいと思うのではないかな(笑)。

── なるほど(笑)。
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安冨 もう一つ挙げるなら「子供」という存在を守れる大人でしょうか。守ろうとする人はたくさんいるんですが、実際に守れる人は少ない。ちゃんと子供とコミュニケーションが取れて、喜んでもらって、しかも舐められないようにできる人が、本当にカッコいい人だと思います。

── 安冨さんご自身も子供たちのためにずっと活動していらっしゃいますよね。

安冨 そうでもない、私は言っているだけです(笑)。やっていることは馬の面倒を見ているだけですから。でもそれは凄く大事なんですよ。「子供のために」なんて言っていると本当にろくなことがない。子供を中心に置いて、その子のために何かをしようとすると、大抵その子を破壊します。そうじゃなくて“ここに一緒にいる”というだけの状態がとてもいい。

── というと?

安冨 最近牧場に来る子供たちを見ていると、馬を恐れない子がすごく多いんです。馬を見ても「乗せて乗せて〜」という調子で全然怖がらない。でも、それは馬が怖いこと、乗ったら危ないということがわからないんですね。なんでそんなことが起きるかというと、大人が常に介入してるからなんです。

── 過干渉という言葉でよく言われますね

安冨 そう。社会システム全体がそうなっていると思います。子供がなにかの拍子にも怪我をする可能性が一切ないように社会が構造化されているんです。親自身もそう動きますが、社会構造全体がそうなっている。だから現代の社会で普通に親をやっていると、過干渉になる。

でも、それはもう暴力なんです。だってそういう子供たちって感受性とかが損なわれていくから。コミュニケーションにおいて馬が危ないと思わない以上、当然人間のことも怖いと思わない。誰かと距離を測りながらコミュニケーションをとることも全然できなくなってしまうわけです。

だけど人間社会というのはお互いに距離感を測りながらコミュニケーションして自分を守らないと、暴力を受けるんですね。そういう状態の子供が大人になって、普通に社会人として働き始めたら、ボロボロになると思います。

恐ろしくなって家の中に引きこもるか、ボロボロになっても働き続けるか、どちらか。となると、この人たちは必然的に生きづらいと言うと思うのです。

── 大人としてはどうして行けばよいと思いますか。

安冨 子供がもっている自分自身の意欲とか夢を実現できるように大人が助ける関係性をつくらないといけないと思いますね。そうして子供を守っていく。そういう大人がたくさん出てくるまで、状況は回復しないだろうと思います

── 我々は今、そのことに気づかないといけない?

安冨 はい。ただ、自分自身が守られたという経験をもった大人が凄く少ないので、自分が大人として子供を守るということがどういうことなのかがわからない人が増えている。自分の中にないことはできないですから。そこが問題だと思います。
※写真の衣装は、デザイナー酒井美和子さんの提供によります。撮影の様子はこちらをご覧ください。

安冨 歩(やすとみ・あゆみ)

東京大学東洋文化研究所教授、経済学者。1963年、大阪府生まれ。京都大学経済学部卒業後、住友銀行勤務。京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。東京大学総合文化研究科助教授を経て、09年より同大東洋文化研究所教授。著書『「満洲国」の金融』で第40回日経・経済図書文化賞を受賞。他にも『貨幣の複雑性』(創文社)『生きるための経済学』(NHKブックス)『生きる技法』(青灯社)など著書多数。

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