2017.09.27
DIESEL創始者レンツォ・ロッソ、インタビュー。ジーンズの天才は何を変えてきたのか?
プレミアムジーンズの先駆けDIESEL(ディーゼル)。その創始者レンツォ・ロッソにインタビュー! ジーンズの天才と呼ばれる氏は、どうやって数々のジーンズ革命を起こしてきたのか?
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写真/平郡政宏 取材・文/竹内 虎之介(シティライツ)
私にとってデニムは自由の象徴
そんな時代を切り開き、いまなおファッションとしてのデニムを牽引するのが、1978年に産声を上げたディーゼルだ。創始者のレンツォ・ロッソは「12歳で初めて新品のデニムに脚を通して以来、ずっとデニムをはいてきました。私ほどデニムを愛している男はいないでしょう」と言う。さらに彼は「私にとってデニムは自由の象徴。デニムが人生の扉を開いてくれました」と語る。ジェームズ・ディーンに憧れ、アメリカンマインドに強く惹かれた少年は、迷わずデニムの道へと人生の舵を切る。自分のデニムを作るなら生地は絶対にアメリカ製と決めていた。
完璧なものなんて退屈だ
なんと、いまやディーゼルの代名詞とも言うべき手の込んだウォッシュ加工やパッチワークは、ブランドのスタート地点からすでに存在していたのだ。しかも、当初は苦肉の策であったという事実。そんなエピソードも含め、やっぱりディーゼルは生まれながらのファッションなのだと感じた。さらにレンツォは、そうした発想の多くをヴィンテージデニムから学んだと語る。
「ヴィンテージデニムには破れていたり、リペアされていたりするものがたくさんあります。それらはいわば不完全なものですが、私はそこからさまざまな刺激を受け、多くのアイデアをもらってきました。それは今シーズンの広告キャンペーンテーマである『GO WITH THE FLAW(完璧なんて、ない。)』にもつながっています。デニム地は、あらゆる服地のなかで唯一、時間とともに変化する素材。しかも、どの時間も魅力的です。こんなにユニークで特別な素材はほかには絶対ありませんよ」
帰宅後もはき替えなくていいじゃないか!
「ジョグジーンズは私自身の純粋な欲求から生まれました。皆さんもわかると思いますが、夜、家に帰ったとき、デニムを脱いでスウェットパンツのようなものにはき替えるとすごくリラックスできますよね。じゃ、スウェットパンツのように快適なはき心地のデニムを作ったら、わざわざはき替えなくていいじゃないかと思ったんです。ところが仲間内や会社内での反応はイマイチ。発売後も唯一日本市場を除いては、マーケットの反応も芳しいとは言えませんでした」
それでもレンツォは、自らのアイデアが間違っていないことを確信していた。
「革新的な商品や考え方が浸透するのには時間がかかるものです。ジョグジーンズに関しても、デニムがもつ既存のイメージを変えるのに2シーズンほどかかった(日本を除いて)ということです。しかし、私には自信がありました。なにしろ私ほど長い時間デニムのこと考え続けている人間なんて、そう滅多にはいませんからね」
色落ちやリペアがなくちゃデニムじゃない
「いまや名だたるラグジュアリーブランドのコレクションにもデニムは欠かせぬ存在となりました。でも、そういう時代の礎を築いたのは間違いなく私たちディーゼルだと自負しています」
インタビューの最後に“ジーンズの天才”はそう言って胸を張った。
(敬称略)
● RENZO ROSSO(レンツォ・ロッソ)
ディーゼル創始者。1955年生まれ。1978年に「DIESEL」を設立。そのユニークなビジネスセンスで驚異的な成長と拡大を遂げ、各国で数々の賞を受賞しその名を世界中に轟かせています。レンツォ・ロッソは夢を追い求める情熱的な人物で、自らのモットーをこう語っています。「ディーゼルは私の会社ではない、私の人生そのものである」