2021.04.21
俳優・永瀬正敏が纏う唯一無二の存在感はどう作られたのか?
約30年、世界の第一線で映画俳優として活躍しながら、その姿をテレビでみることはほぼないミステリアスな存在、永瀬正敏。縁に導かれて素晴らしい出会いを重ねてきたと語る孤高の役者が、最新主演映画『名も無い日』と自らの人間関係の作り方について語ってくれました。
- CREDIT :
写真/内田裕介 スタイリング/渡辺康裕 ヘアメイク/勇見勝彦(THYMON Inc.) 文/牛丸由紀子
あえて最小限の発信で見る者の想像をかき立てるその姿勢には「ミステリアス」な魅力を感じずにいられません。30年以上にわたり国内外の監督に支持される彼の映画への想い、そして影響を受けた素晴らしきオトコたちとは? 6月全国公開予定の映画『名も無い日』に隠された自身の思いとともに、語っていただきました。
文字だけで判断せず、体感したい
永瀬 確かに世の中にはいろんな情報がありますが、僕は文字だけで判断するのではなく、やっぱり体感したいと思うんです。自分の感覚を信じたいというか。その上で必要な情報なのか判断したいと思っています。
例えば、僕は音楽が大好きで、中学生の頃は特にザ・クラッシュとかセックスピストルズとかのパンクバンドにすごく影響を受けていて、中でもイギー・ポップとかジョー・ストラマーは当時神様のように思っていました。いわゆるパンクって、過激で悪いことをたくさんやって何でもぶっ壊せ!みたいな感じじゃないですか(笑)。当時は僕も少なからずそんなイメージを持っていたんです。
ところが大人になって、イギー・ポップやジョー・ストラマー本人に会うチャンスがありました。ドキドキしながら話をしたら、本物はめちゃめちゃいい人だった。要は自分たちの生活とか社会とか、周りから無理やり押しつけられている理不尽なものに対しての「ぶっ壊せ!」であって、何でもかんでも壊せって言ってるわけじゃない(笑)。当たり前なんですけどね。体制に対する自分たちの主張を非暴力的に歌で表現しているのが彼らの音楽だったんです。
── 思いがけず本人を知ることで、実感として理解することができたんですね。
永瀬 そう。情報だけだったら、上っ面をカッコいいと思って真似しちゃいますよね。たぶん、僕も彼らに会わなければそうなっていたと思います。でも、本物は全然違った。そんな本質を知らなければただのエセ何とかになるだけ。それじゃカッコつけてても、大した事ないって強く実感したんです。
だから、まず疑ってみるっていうことも大事なんじゃないかなと。自分なりにリサーチして、自分のものにすべき。そうやって自分の肌で感じることが重要だと思います。
永瀬 自分からアプローチしたことはほとんどなくて。何しろ今まで生きてきて、僕は自分から何かを始めたことはひとつもないと思ってるぐらいですから(笑) 。でも、唯一自慢というか、誇りに思ってるのは“出会い”なんですよね。本当に素晴らしい出会いをいっぱいさせてもらってる。人だけではなく、作品もそうです。それはとてもラッキーなこと。本当に出会いに恵まれたと感じています。
── ご自身から積極的に会いに行ったわけではないんですね。
永瀬 そもそも役者という職業は、とても受け身の職業なので、自分からアプローチして何かが成立するってことはほとんどなくて。まずは映画の企画が通って、その作品を監督する人がいて、そこでこの役にどうですかというオファーをもらえないと、俳優は作品に出会えない。だから僕にとっては、出会った作品がすごくみんな良かったということなんです。作品だけではなく、共演者や監督・脚本家など映画にかかわるスタッフの方すべてとの出会いも同じです。
── 永瀬さんの神であるイギー・ポップとの出会いも?
永瀬 まったく偶然なんです。たまたまNYに遊びに行った時に、ジム・ジャームッシュ監督から「何してる?」と電話がかかってきて。「ヒマだよ」って言ったら、「じゃあおいでよ」と家に招かれたんです。家に着いたら彼が「きっと驚くよ。今日はスペシャルゲストがいるんだ」と言われ、中に入ったらもうびっくり! そこに僕の神様が座ってるんだから(笑)。
今やるべきことを一生懸命やった結果が縁を引き寄せる
永瀬 そうです。16歳の時、映画『ションベン・ライダー』(相米慎二監督)でデビューして以来、2本続けて映画に出ていたんですが、その後は撮影しても劇場公開されなかったり、5年近く映画に出演できない期間があったんです。そんな僕を、映画界にまた呼び戻してくれたのが、ジム・ジャームッシュ。その出会いがなければ、僕はずっと映画に戻れなかったかもしれません。
最初に会ったのは、日本で行われた『ミステリー・トレイン』のオーディション。でも会った時には、もう駄目だなと思ったんです。というのも、オーディションなのに映画の話が一切なかった(笑)。ふたりで音楽の話をして終わっちゃって。だから、もう見込みがないんだなと思って。
ただその時に、ロカビリーだったりパンクだったり、こんな音楽やアーティストが好きだという話はたくさんしたんです。だから僕がパンク好きなことは、その時から覚えてくれてたんですよね。
その後ザ・クラッシュのボーカル、ジョー・ストラマーもこの作品でジャームッシュが引き合わせてくれて。すべて本当に不思議な縁と出会いがつなげてくれたんです。
── 縁を引き寄せるのも、やっぱりその人の力だと思うんです。ご自身で表現するのは難しいかもしれませんが、永瀬さん自身はその力はどんなところから生まれてくると思いますか?
永瀬 縁を引き寄せるきっかけというか核になるもの……それはやっぱり映画なんです。だから言えるとしたら、とにかく映画に真剣に、精一杯向かっていくこと。映画って国籍や年代も関係なく、現場ではたくさんの人が動き、作品もいいものは必ず未来に残っていく。その時精一杯やった結果があるから、その後の出会いも多いんです。
3~4年前だったと思うんですが、たまたまNY行った時に写真を撮りたくて、知り合いに誰か被写体となってくれる人がいないか聞いたんですね。それで紹介されたのが俳優のマット・ディロン。彼のプライベートオフィスで会った時、彼が言った最初のひと言が「やっと会えたね」だったんです。もちろん僕は同じ世代なので『ドラッグストアカウボーイ』とかいろいろ観ていたんですが、彼も僕の作品を観てくれていたんですね。
本来なら「何だ? いきなり撮影?」となってもおかしくないのに、作品があったからこそ、コミュニケーションもスムーズになり、写真もいいものが撮れました。だから今やるべきことを、精一杯やることが一番の近道かもしれないと思います。あとは一歩踏み出す勇気かな。
永瀬 昔は本当にそうだったですね、何も考えずに(笑)。若い頃、海外の仕事はほぼ全部ひとりで行っていたんです。もう自分で自分のケツを叩いて踏み出さないとしょうがないと思って。
『アジアン・ビート』という日本を含めてアジア6カ国を1年かけて撮影して回るっていう大変なプロジェクトがあったんですが、それも全部ひとりでした。その立ち上げの時には泉谷しげるさんから、「おまえ、死ぬぞ」って言われたんですが、本当に死にそうなぐらい大変だった(笑)。
それを今やれって言われると、できるかなって思いますけど(笑)。でも人や作品に対する興味や好奇心は、今も変わらないです。
── 撮影現場で知り合った高校生の自主映画に出たこともあると聞きました。肩書きなどに関係なく、その人との関係性を大事にして行動してしまう?
永瀬 そうですね、こと映画に関してはカメラの前に立てば、もうキャリアも何も関係ないと思っているので。相手が高校生であろうと、監督であれば監督なんです。あとは、本当に興味ですね。僕が進んできた映画界の何かを伝えようなんてことはまったく思っていなくて、僕の方が勉強になることが多いんですよ。例えば、今の若い人は親子関係をこういう温度差で描くんだとか、気づきがたくさんあるんです。
観た後に人と話したくなる“余白のある”映画が好き
永瀬 たくさんのものを提示する映画もいいですが、ひとつの結論ありきで進んでいくのではなく、人の受け取り方がそれぞれ違う映画が、僕はとても好きなんです。昔はそういう映画がいっぱいあって、「このあと主人公はどうなったんだろう」とか「あの時のあれがきっかけなのかも」と観た人が話したくなる。観客の方に委ねる映画、“余白のある映画”というか。
── 永瀬さんが演じた主人公である達也を含め、次男のオダギリジョーさん、三男の金子ノブアキさんなどの小さなエピソードが、その感情や関係性を表していましたよね。
永瀬 今回はまさに説明ゼリフがほとんどないんですよね。でも弟が喋ることが、実は兄貴の心の中の言葉でもあったり、三男の妻である真木よう子さんの言う事が三男自身の思いだったりする。そこでお互いの関係性が見えて、だからふたりでいるんだ、だから兄弟、家族なんだとわかる。そんな言葉や映像がさらっと積み重なって出来ているこの作品が成立したというのは素晴らしいなと思いました。
永瀬 今回は監督の自伝的映画でもあるので、脚本をもとにあくまでも監督の分身として演じた部分が大きかったと思います。ただ、実は僕の祖父も写真師だったんです。戦前は鹿児島で写真館をやっていたんですが、戦後の混乱で写真館をたたみ、実家がある宮崎でカメラを食料に変えようとしたら、持ち逃げされてしまったことで廃業せざるを得なかったんです。
この映画では主人公が弟を亡くすところから話は始まりますが、実は僕も弟を赤ちゃんの時に亡くしているんです。1歳にもなっていなかったので遺影となる写真がなく、父が祖父に撮影を頼んだんです。でも祖父は写真が撮れなかった。廃業してから結局一切カメラを持たなかったんです。
── それはなぜだったんでしょう?
永瀬 祖父の中では何か、があったんでしょうね。だから、祖父が僕の弟の死に姿を撮れなかったということが、この映画で写真家の主人公が弟の訃報後、シャッターを切ることができないままでいる姿にリンクしたところがあって。
自分自身写真を撮るようになって、あの時祖父が僕の弟の写真を撮れなかったのは、なんとなくわかるんです。その思いがどこか心の中にあって、現場に立っていたかもしれないです。
── そうだったんですね。だからこそ、その後、弟の亡くなった部屋に改めてカメラを向けた時の気持ちの変容も捉えられたのでしょうか?
永瀬 台本には書かれてあったかなかったか、覚えていないんですが、主人公がある行為をすることで、カメラをのぞく主人公は弟の視線になっている。彼の魂と一緒に撮ってたんじゃないかなと思います。
── 日比監督が、この映画を観て、今の時代だからということもあるんですが、「何が本当に大切なのかということを今一度みなさんに考えてほしい」とおっしゃっていました。ご自身もこの映画を通して、本当に大切なことを考える瞬間はありましたか?
永瀬 この時代にピッタリの映画だと言われたりしますけど、僕はそれは何か違う気もしているんです。この物語は、人とのふれあい方、付き合い方の温度の問題を表現している映画だと思います。その大切さは今と言うより、普遍的なもの。たぶんそれがこの時代になってより強く感じられるようになったんじゃないでしょうか。
時代性ではなく、本質として人との関係性というのを考え直すきっかけになってもらえればと思います。
憧れるのはすべてを受け止め、自分の手柄にしない芝居をする人
永瀬 やっぱり本物であること。本物とは、人の痛みがわかってる人だと思うんです。他人の痛みを察知する能力が高い人は、自分中心ではなく、もっと物事を広く考えている。俳優という仕事で言えば、自分の物差しだけでお芝居を捉えていない人。自分の小さな宇宙の中での表現ではなく、周りの方々を巻き込んだ広い銀河系で表現できる。もちろん自分もそんな人間になりたいと思っています、まだまだですが……。
── これまでに永瀬さんがゾクゾクするような魅力を持つ「いいオトコ」はいらっしゃいましたか?
永瀬 たくさんいらっしゃいますが、本物中の本物だと思ったのが俳優の三國連太郎さん。映画『息子』で親子の役で共演させていただいたんですが、普段はものすごく物腰が柔らかくて、若い僕が緊張しないように、僕の出身地まで調べて話題を作ってくださる。さらにセットに入れば、僕が演技で野球のストレートのようにガンガン投げこんでも全部受けとめてくれるんです。
だからその時は、つい勘違いしちゃうんですよね、「俺、三國連太郎さんと同じぐらいのレベルでできてるんじゃない?」って(笑)。でも撮影が終わって映像を見た時に、その凄さがわかりました。自分が投げた球はすべてホームランを打たれている。三國さんの後ろ姿だけでも、もう確実にホームランなんです。完璧にやられていました(笑)。そして僕の役を、三國さんが生き生きと見せてくれていたんです。
渥美清さんも樹木希林さんもそうでしたが、すべてを受け止め、自分の手柄にしない芝居をする人って、やっぱりすごい。本物の人でした。
今回の映画も、そんな芝居ができる役者さんたちが揃ったと思います。兄弟役の金子ノブアキくんやオダギリジョーくんも共演は初めて。でも現場ではいつも「すげえじゃん」とゾクゾクしてましたね。ぜひそんなところも観て楽しんでいただければと思います。
永瀬正敏(ながせ・まさとし)
1966年宮崎県生まれ。1983年、映画『ションベン・ライダー』(相米慎二監督)でデビュー。ジム・ジャームッシュ監督『ミステリー・トレイン』(89年)、山田洋次監督『息子』(91年)など国内外の約100本の作品に出演し、数々の賞を受賞。1994~96年の『私立探偵 濱マイク』シリーズ(林海象監督)はその後テレビドラマにもなり今もファンが多い。写真家としても多くの個展を開き、20年以上のキャリアを持つ。
『名も無い日』
映画『健さん』『エリカ38』などで知られる日比遊一監督が自身の家族にまつわる実話をベースに作り上げた作品。名古屋市熱田区に生まれ育った小野家の3兄弟の長男・達也はニューヨークで25年間自身の夢を追い、写真家として多忙な毎日を過ごしていたが、弟の突然の訃報に名古屋へ戻る。そして自ら破滅へと向かってゆく生活を選んだ弟に何が起きたのか、家族や周りの人々の想いを手繰り始める。長男・達也役を永瀬正敏、故郷で苦悩する次男・章人役をオダギリジョー、健気に兄たちを支える三男・隆史役を金子ノブアキが演じる。岩代太郎の担当する音楽が美しい。6月11日(金)シネマート新宿他全国公開。
(c)2021『名も無い日』製作委員会 配給:イオンエンターテインメント、Zzyzx Studio
HP/www.namonaiho.com