2021.07.11
HAPPY BIRTHDAYジョルジオ・アルマーニ!! 天才の軌跡
世界に君臨するファッションデザイナー、ジョルジオ・アルマーニ。7月11日は何を隠そうそんなレジェンドの誕生日です。伝説のデザイナーは、今までどんな信念を持って歩んできたのか? この良きアニバーサリーを期に、今いちど偉大な足跡を振り返ってみましょう。
- CREDIT :
文/長谷川 剛(TRS)
寛ぎつつ自信を持って服を身に着ける人こそ理想
メンズ服の基本といえば英国のスーツが一つの原点。しかし軍服などのテイストを色濃く残したいにしえの英国製スーツは、重厚な威厳を放つ半面、堅苦しさを感じさせるものだったのです。イタリアは主要各国に先駆け、着心地の軽いメンズ服を模索していましたが、1970年代まではまだまだ形式張った旧来の仕立てが主流。そんななか1975年にアルマーニさんは自らのブランドを立ち上げます。後年のインタビューでは当時のことをこう語っています。
「どの服も皆あまりに堅苦しく、誰が着ても同じように見えてしまうものでした。着る人の個性を際立たせ、一人ひとりの身体にフィットする服はないものかと思ったものです。だから創業し、自分の好きな服を手掛けるようになった時、従来の紳士服のスタイルとして厳格に定められていたジャケットの構造を、すべて解体しようと決めたんです。堅苦しい構造のせいで、誰が着ても同じに見えてしまうから。男性の身体に一枚の布をごく自然に掛けてみるなど、いろいろ試してみたのです。それまでは欠点とみなされていた部分には特に留意しました。私の頭にあったのは、既存の構造を解体し、より自由に動きやすくするというものでした」
こういった思考は、ある種医学的でありアナトミックなもの。実はアルマーニさん、デザイナーを志す以前の二年間、ミラノ大学の医学部に通っており、そのとき得た知識や経験が少なからず影響していたのでした。
その80年代には数々のファッション賞を獲得し、世界的デザイナーとして知られる存在となったアルマーニさん。彼の人気は各国に広がりましたが、当時を物語るユニークな事例のひとつに、ある俳優にまつわるエピソードがあります。
ジョルジオ アルマーニのウエアにすっかり心酔したジョン・トラボルタは、ある日ミラノのアトリエに突然現れました。そして映画撮影用としてリチャード・ギアのために選定しいていたスーツ40着を、すべて注文していったと言うのです。
もし叶うなら不死身になりたい
ある新聞社のインタビューでは「(アルマーニは、近年少しも)『変わらない』と評されていますが、『変わらない』ということを自ら選んでいるのです。そのことに対して確かに強い意思が必要でした。しかし、それが私の正直な気持ちなのです」と答えています。
天才と呼ばれたレジェンドですが、1990年代は彼にとっても悩みの多い時期でした。そういった意味で当時は“葛藤”の時代であり、“再構築”の時期でもあったのです。つまり1980年代に自身の手で生み出したスタイルこそが原点であり、そして一貫したフィロソフィーであることを確信したというわけなのです。
「私が理想とする男性像は、リラックスして自信を持って服を身に着ける男性です。確固たる個性を持ち、自信に溢れ、何をどのように着れば良いか、服の選び方を知っている人物です」
これはジョルジオ アルマーニがMTM(メイド トゥ メジャー)の展開を本格化させる際に語った言葉です。また、コロナ期間のインタビューにおいては以下のメッセージを残しています。
「私たちは今、フォーマルなものから遠く隔たった時代に生きています。それでも尚、私は依然としてスーツは男性のワードローブにおいて、非常に重要な役割を果たすものと信じています」
「たくさんの夢をかなえてきたアルマーニさん。これから何か夢が叶うとしたら、どんなことを願いますか?」。そう聞いて、伝説のデザイナーはこう答えました。
「不死身になりたい」
本当にお誕生日おめでとう、ミスター アルマーニ!