2019.09.14
月夜の晩には何かが起きる? 月と男女関係のあれやこれ
遥か昔から日本人は月を愛で恋心を語ってきました。月には男女の恋愛にまつわるエピソードが数多く残されています。ここでは、そんなロマンティックなお話をご紹介します。
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文/渦巻 恵(大学講師)
そんな、大切な人と月を眺めたいという気持ちは、いつの時代も変わらないようで、昔から和歌や物語にも月をめぐる男女のエピソードが数多く残されています。さらに、月の見方も現代とはちょっと違ったようで……。今回はそんな、ロマンティックで奥が深い、月にまつわるお話をいくつかご紹介しましょう。
● その昔、月は男性だった……?
(広大な天の海に雲の白波が立ち、その中を三日月の船が進み、星の林のなかに隠れてゆくのが見えるよ。)
さて、遥か昔から愛でられ続けた美しい月ですが、一方で月を見ることを不吉とする考えもあったようです。その様が描かれているのが、皆さんご存知の『竹取物語』。写本で受け継がれてきた本文にはこのような描写があります。
五人の貴公子の求婚を難題によって退けたかぐや姫は、月を見ては物思いに沈むようになります。周りの者は「(月の)顔見るは忌むこと」と月を直接見るのは不吉だといさめますが、姫は月を眺めては、涙をおさえられません。
そうして、とうとう十五夜に月の都から迎えが来て、かぐや姫は地上の人々に別れを告げることとなったのですね。実は、日本神話の世界では、月の神は、男神。女性のアマテラスが太陽神で、月の神はアマテラスの弟のツクヨミ。平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」という言葉は有名ですが、「元始、男性は月であった」ということでしょうか。当時の人々は、女性が月を見ると、月の男神に魂を吸い寄せられてしまうと考えていたのかもしれませんね。
● 月を眺めては、恋しい人を思う
(あなたが今来ようと言ったばかりに、私はこんなに長く長月の、朝まで残る有明の月を待っていることになってしまいました。)
平安時代は一夫多妻制だった、というのは有名な話。男性は、同時に複数の女性と付き合うことができたので、夜になると女性の家に通っていきました。"通い婚"という婚姻のかたちですね。離婚も驚くほど簡単で、男性の都合が悪くなったり、妻を嫌いになったら、通わなくなればいいのです。ことさら連絡せずとも、それでおしまい。しかし女性は、期待をもたせたままはっきりしない男を、ひたすら待つしかありません。そして、その溜息がこんな歌になったのでした。
この歌には、来ない男を一晩中月を見て待ち明かしたと解する説もあります。さらに、作者は女性ではなく、お坊さん(!)。男を待つ女心を想像して詠まれた歌なのです。でも、どれくらい長く待ったか、誰が詠んだかに関わらず、待つ女の悲しみが切々と歌い上げられているので、名歌として『百人一首』に選ばれたのでしょう。
● 月見を誘い文句に。
イイ女はどの時代にもいるようです
「月夜よし 夜よしと人に 告げやらば こてふに似たり 待たずしもあらず」
(「月が美しい、すばらしい夜だ」と言って遣ったら、「来てほしい」というのと同じですね。といって待っていないわけでもないのですが。)
でも、よくよく考えると駆け引き上手な女性にも思えます。「来て!」とストレートに言われれば、男は「行く」か「行かない」かの選択を迫られます。でもこんな歌なら、男性は気楽。「来てって言わないんだから、行かないよ」なり「しょうがないなあ、行くよ」なり、どちらにしても深刻な事態にはなりませんから。男性を手のひらで転がすイイ女の秘訣は、こんなところにあるのかもしれないと思ったり、男性にとって都合がいい女って昔からいるんだと思ったり……。
● 浮気心を思い止まらせるのも、月の光?
引っ越し当日、男性が貸したのは車ではなく、馬。それでは荷物は積めないし、当時、女性が馬に乗るなんて恥ずかしいことでした。妻はそれでも恨み言も言いません。馬上の妻の凛とした姿。そこに射す白い月の光。つややかな黒髪。急に男に後悔が芽生え、昔の恋心が戻ってきます。見送った後、男はぼんやりと月を眺めながら、歌を詠んで妻を偲びます。
(住みなれた家を出て行ったあの人が、沈んでいく月の光のせいで、いっそう恋しいことです。)
そのうちに、妻を送り届けた馬が帰ってきます。男は大急ぎで馬にまたがり、山道を走ります。さっき出て行ったばかりの妻を迎えに行くために。
男女の恋愛模様は、遥かな昔も一筋縄ではいかなかったようです。とくに男性の二心にはギクリとされた方もいるのではないでしょうか? もしかしたら女性も同様で、現在でも男性の知らないところで月を眺めては恋心に身を焦がしているのかも。ともあれ、長く時代を隔てた今も、私たち日本人が月に託す思いは変わらないのかもしれません。
■ 渦巻 恵(うずまき・めぐみ)
大学講師。埼玉短期大学助教授を務めたのち、現在は大妻女子大学・國學院大學・大東文化大学・平成国際大学非常勤講師として平安時代の和歌を中心に教鞭をとる。著書に、単著『賀茂保憲女集新注』(青簡舎 2015)、共著『重之女集重之子僧集新注』(青簡舎 2015)などがある。