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2021.10.20

スケートボーダー・早川大輔「転んでも笑っていられるのがスケートボードなんです」

コロナ禍によって人と人とのリアルな繋がりが大きく毀損され、コミュニケーションは大きな危機を迎えています。でも、こんな時だからこそ、我々オトナはいい笑顔を忘れてはならない。そんな思いを込めて皆で笑顔について考える特集です。今回はオリンピック金メダリスト堀米雄斗選手のコーチである早川大輔さんにお話を伺いました。

CREDIT :

文/竹村卓 写真/吉澤健太

▲ オリンピックで話題となったスケートボード競技で、日本代表のコーチを務めた早川大輔さん。
2020東京オリンピックで正式種目となったスケートボードでは、堀米雄斗選手ほか多くの日本人メダリストが誕生した。いままで見たことのないスケートボードのトリック(技)や、「やべぇ~」「ゴン攻め」などの言葉が記憶に残るユニークな解説など、その新鮮な面白さからテレビ画面にくぎ付けになった方も多いだろう。そして、同時に印象的だったのは、選手たちのさわやかな笑顔だった。

自身が良い結果を残した時に笑顔を見せるのは当然だが、ライバルである他の選手が大技を成功させたときには一緒に喜び、失敗したらそばに寄ってなぐさめる。それはいままで私たちが、「スポーツ」や「競技」としてイメージするシビアな勝負の世界とは一線を画するものだった。なぜ彼らは笑っていられるんだろう?

今回、金メダルを取得した堀米雄斗選手のコーチを務め、自身もプロスケーターとして日本のスケートシーンを牽引してきた早川大輔さんに話を聞いた。
▲ いつも練習しているという荒川の河川敷にて。

「スケートボードだけは絶対飽きない自信がありました」

「僕は東京都葛飾区の出身なんです。スケートボードを始めたのは13歳。当時、第3次のスケートブームがあって、中学校の友だちとスケートボードで遊ぶようになりました。初めは友だちの板を借りながら滑っていて、そのあとに家の手伝いをしたり、お小遣いを貯めて初めて自分のスケートボードを買いました。ドックタウンというブランドのエリック・ドレッセン*のモデルでしたね。

スケートボードを選ぶ時も、性能より、どれがカッコいいのか? という基準で選びました。初めは何も知らなかったので、どの板がカッコいいのか? どうしてカッコいいのか? その理由まで知りたくて。それで納得したデッキ*を買ったんです。当時は葛飾区のスポーツセンターの広場で滑っていて、そこに来ていた先輩たちの滑りをまねしたり、雑誌に掲載されていた記事を読んだりしてトリックを学びました」
註:往年のプロスケーター。当時はドッグタウンスケーツというブランドに所属していてそこからエリック・ドレッセンという自身のモデルをリリースしていた。現在もプロスケーターとして活躍中。
註:スケートボードの板
▲ 滑りを見せてくれた早川大輔さん。
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スケートボードをしながらも将来は実家の家業を継ぐと決めていた早川さん、ずっと憧れていたスケートボードの本場アメリカ、ロサンゼルスを訪れたことが人生の転機となった。

「実家が床屋だったんです。専門学校を卒業して、就職先も決まっていて。その前に憧れの場所を見ておきたいと、ロサンゼルスへスケートボードの旅へ出ました。ビデオや雑誌で見ていた場所で、実際にスケートできたら、自分の価値観が一気に変わってしまって。帰国して一度はインターンとして仕事を始めたのですが、やっぱり我慢できなくて、仕事を辞めて、スケートボードのキャリアを選んだんです。

それからはスケートショップでバイトをしながら、スケート大会にも積極的に出場して生活してきました。スケートボードで出会ったカッコいい先輩が周りにはたくさんいたし、絵を描いている人や、ファッションブランドを始める人も。なので自分もまねして洋服を作ったり、当時ピストバイク*が流行った時は、それにもどっぷりとハマって、お店までオープンさせたんです。

洋服作りと自転車を組み立てるのとスケートボードを販売するという三本柱でやっていましたね。でも4年くらい経ったところで燃え尽きちゃって。お店も辞めてしまったのですが、スケートボードだけは絶対に飽きなかったし、続けたいと思ったので、自身のスケートブランドを立ち上げ、若いスケーターを集めてチームを作ってやっていました」
註:競輪自転車のようなペダルと車輪が固定された自転車

金メダリスト・堀米雄斗との出会い

東京オリンピックのストリート部門で金メダルを取った堀米雄斗とは、彼がまだ小学生だった時に出会った。

「実は堀米雄斗のお父さんは高校時代から同じローカルでスケートしていた仲間でした。僕がスケートブランドを立ち上げて、チームライダーと一緒にスケートビデオの撮影をしていた時、雄斗もビデオ撮影に参加させてくれないか? と彼から連絡があったんです。まだ小学生だった雄斗に初めて会った時、将来はどうしたいの? って聞きました。そしたら『アメリカでプロになりたい』と。それならプロになって、将来はアメリカにプール付きの家を買おうよ、と」

早川さんが現役だった時代は、日本でプロスケーターとして生活するのにはまだまだ厳しい時代だった。スケートボード発祥の地、憧れのアメリカへ渡り、本場のスケートシーンを見てきた早川さんはその経験を生かし、堀米雄斗を積極的にアメリカへ送り続けた。「雄斗はアメリカでトッププロになるという夢をずっと追いかけ続けていました。その最中にオリンピック出場の話が舞い込んできたんです。タイミングが良かったんですよ」
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スケートボードがオリンピックの正式競技種目になる⁉

スケートボードがオリンピック種目になると知った時、スケーターたちの間ではザワつきが起きる。スケートボードはスポーツなのか? という話はそれまでもずっと議論されてきたテーマで、オリンピック種目になることに違和感や不安を感じるスケーターが多かったから。

「僕も初めて聞いた時、嘘だろ? って思いました。周囲のスケーターたちのほとんどがいい顔をしていませんでしたね。スケボーはスポーツじゃないんだから、やばくない? とか。オリンピックを目指すようなスケーターが多くなったらスケートシーンがダサくなっちゃうじゃん、という意見も。僕自身も、そういう(ネガティブな)
側面も否定できないと考えていました」

早川さんはにこやかにこう続ける。「でも、オリンピック種目になっても、スケートボードの本質的なカッコよさは変わらないと思ったんですよね。オリンピック種目になったとしても、僕自身のスケボーは変わらない。逆にオリンピックを通してスケートボードの楽しさや魅力が伝わったら、それはとてもいいんじゃないかなと」
▲ 早川さん愛用のスケートボード。
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挑戦している人を讃える、スケートボードの前向きな空気感

一線を退いた今でもバリバリのスケーター。そしてこれからのスケートボーディングを担う世代のスケーターをサポートする側としてオリンピックに参加することになった早川さん。スケートボードの文化をずっと見てきたからこそ、それは複雑な気持ちだったに違いない。でも広くポジティブに捉えられた柔軟な考えもまた、スケーターならではのものだと思う。
「スケーターって、初心者だろうが、上級者であろうが、どんなレベルの人でも頑張ってトリックに挑戦している人がいたらみんなで応援するんですよ。そしてそのトリックをメイクしたときはまるで自分事のように喜びあうんです。それがスケートボードならではの空気感。国を背負いながらも個人のレベルで仲間を讃えあったり、リスペクトがあったり。それに爽やかでクールだし。

今回のオリンピックでスケートボードを知らなかった人まで感動で巻き込めたし、あの前向きな空気感が伝わったんだと思います。それまであったコンペティティブな競技とは違った雰囲気が新しく見えたんだと思います。僕もついつい“選手”という言葉を使ってしまいますが、みんな選手である以前にちゃんとスケーターだったし、スケートボードの本質をいつも通りに体現できたんです。オリンピックだからという構えではなくて」

スケボーから笑顔がなくなったら、やっていけない

オリンピック種目になったスケートボードはこれからどうなっていくのだろうか?

「スケートボードがもつ空気感が他の競技にも伝染したらいいなと思っています。指導者と選手の間でトラブルがあったり、体育会系みたいな雰囲気が強くなりすぎたり。スポーツをするうえでそういう問題が起きてしまうのはちょっと違うと思っているので。その競技が好きだったら、楽しんで挑戦できるものになったらうれしい。そうしたら笑顔も広がると思うんです。スケボーから笑顔がなくなったらやっていられませんよ。怖いし、痛いし。転んでも笑っていられるのがスケートボードなんです。

僕はコーチという肩書きで参加しましたが、そもそもスケートボードにはコーチって存在しないんですよ。なので自分もコーチではないですし、雄斗のことや他のスケーターを選手だとも思っていません。僕と雄斗の関係は出会った時からまったく変わりません。ただ滑っていた下町の地元が“日本”というちょっと大きな舞台になっただけで、僕と雄斗は変わらずにローカルの先輩と後輩という関係。

もっと言うと、僕は雄斗や他の選手たちの大ファンなんです。あんなにカッコよく滑ってみたいですよ。一度でいいから彼らのようにトリックを決められたらどれだけ気持ちがいいんだろうって。スケートボードはみんなを幸せにするものです。僕もいろいろなことをやってきましたがスケートボードだけは絶対に飽きなかった。本当に人生を賭けていいものだなって思うし、これだけは変わらない自信があります」 

早川大輔(Daisuke HAYAKAWA)

1974年東京生まれ。
日本オリンピック委員会スケートボード日本代表コーチ。

竹村 卓/編集者・ライター・コーディネーター。ロサンゼルスでカルチャー誌、ファッション誌、広告などのコーディネーターとして活動。帰国後ライター、編集者として、主にカルチャー誌で執筆、広告制作に携わる。著書に『ア・ウェイ・オブ・ライフ~28人のクリエイタージャーナル(P-Vine BOOKS)』、『New New Thailand』(TWO VIRGINS)。

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