2021.10.26
三上大進「7本の指が私に教えてくれたこと」
コロナ禍によって人と人とのリアルな繋がりが大きく毀損され、コミュニケーションは大きな危機を迎えています。でも、こんな時だからこそ、我々オトナはいい笑顔を忘れてはならない。そんな思いを込めて皆で笑顔について考える特集。今回は東京2020パラリンピックでレポーターを務めた三上大進さんの登場です。
- CREDIT :
文/秋山 都 写真/吉澤健太
イヤだなと思ったのは、彼が障がい者なのか、見極めようとする自分がいたこと。身体のどこかにハンディキャップがあることを知ったからといって、彼の評価が変わるわけではないはずなのに。彼に障がいがあるのか、ないのか——そんなことと関係なく、私の眼は彼に惹きつけられていたのに。
正直、彼のインタビューをうまくまとめられる自信がない。というのは、話を聞いた私にとくに大きなハンディキャップがなく、またLGBTの当事者でもないからだ。彼のことを真に理解しているとは言えないだろう。でも、彼の言葉と笑顔に、きっと励まされる人がいるはずだ。そう信じて、彼の言葉を綴ってみたい。
「左手の指はいつか生えてくると思っていました」
セーラームーンになりたいと思ったはそのころから。なんでって? 彼女は愛の戦士だから(笑)。あと、セーラームーンはムーンスティックっていうのを持っているんですけど、その先端に三日月がついていて。そのカタチが私の左手に似ていたんです。自分を重ねていたのかしら」
(左手のせいで)できないこともありました。そんな自分がすごく嫌でした。たとえば体育の授業で、なわとびをうまく持てずに大苦戦。でもできないって言いたくなくて(笑)。すると先生がリストバンドとマジックテープで補助器具を作ってくれたんです。ひとりでは難しいことでも、誰かと一緒なら可能になると気づけたのは、自分に障がいがあったからかもしれません。いまもね、ネックレスが着けられないの。でも、その代わりに大ぶりなリングでおしゃれを楽しんでいます」
「私に残されているものを最大限に美しく活用したい」
でも日本へ帰ってきたら、やはりその違いを突き付けられることが多い。心ない言葉を投げつけられたり、水をかけられたり。フィンランドでは浮かびもしなかった『障がい』という言葉を、いやでも意識させられてしまう、それが日本なんです。悲しいけれど」
新卒で入社したのは『日本ロレアル』。スキンケアの製品マーケティングを担当していました。そこから『ロクシタン』へ。マーケターって花形と言われるけど。本当に泥くさい仕事で。バリキャリだったの、私(笑)
私、最初は『障がい者リポーター』っていう肩書だったんです。ちょっと……でしょう? 自分の存在が健常者と障がい者の区別を強調している気がしてすごく嫌で。変えて欲しいと頼み込んだことで、『パラリンピック放送リポーター』と改められました。自分では『プリティレポーター』と呼んでいたんですけれど(笑)。
NHKは巨大な組織ですから、まだ保守的なところが残っています。たとえば、私が着任した日、洋服をしまうロッカーが『男性用』と『女性用』に分かれていました。じゃあ私、どこにコートをかければいいの? って。誰でも使えるスペースを作ればいいんじゃないですか? と提案して、翌日には改善されていました。そういうところはすごいですね、NHK(笑)」
「障がいは乗り超えるものではなく、向き合うもの」
「いつも振り返って考えてみることを大切にしています」
すると、たとえば20年前はそんな言葉もまだ存在していなかった。でも、ずっと昔からマイノリティの人たちは存在していたんです。となると、現在の私達は意識していないことを、10年後の私達は課題としているかもしれない。つまり、今も未来への過渡期に過ぎないということ。昨日知らなかったっことを、今日気づいたように、今もまだ私たちが気づけていなことがたくさんあるんじゃないでしょうか」
三上大進(Daishin MIKAMI)
1990年東京生まれ。
立教大学卒業後、「日本ロレアル」「ロクシタン」勤務を経て、2018年NHKのレポーターに就任。
インスタグラムdaaai_chan
Twitter@daishin_mikami