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2019.08.30

宮殿に泊まって貴族気分に浸ったら、ウィーンの歴史を体感できた!

歴史の長い都市ではその背景を感じられる趣あるホテルに泊まりたいもの。さらにそこがラグジュアリーであれば言うことなし。そんな条件に完璧に合致する、ウィーンの宮殿ホテル「Palais Coburg Residenz(パレ コーブルク レジデンツ)」をご紹介します!

CREDIT :

文・写真/大石智子

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絶対に泊まってみたいホテルを目指し、ウィーンへ

ウィーンに熱烈に行きたい人がどれほどいるか分かりませんが、最近筆者のなかで流行っているのが“ウィーン乗り継ぎ”。スペインやイタリアに行く前に、ウィーンで2泊ほど休憩するのです。

ANAやオーストリア航空での直行便があり、スターアライアンスのマイルを貯める(使う)には好都合。初めはマイル範囲内という理由で行ったところ、景観美しい音楽の都にすぐにはまりました。駅のプラットホームで流れるクラシック、気軽に聞きに行ける演奏会、水とワインの美味しさetc. ラテンな国とのコントラストも強いから、ちょい寄りに最高です。
さて、そんなウィーンで先日、「ここは絶対に泊まってみたい!」と思うホテルを体験してきました。名前は「Palais Coburg Residenz(パレ コーブルク レジデンツ)」。宮殿を表す“Palais”にピンと来た方はさすが。コーブルクにまで気付いた方は、ステキです。元の建物が造られたのは1844年。19〜20世紀にドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ公国の君主の家系が住んでいた宮殿なのです。
つまり、私が泊まるには身分不相応! はじめはそう思ったのですが、安心してください。ちょっと奮発すれば泊まれます。気になる価格を先にお伝えすると、一番手ごろな70㎡の客室で一泊€795~(税サ込)。最小の客室が70㎡もあるのは、全室スイートだからです。それでは、これぞラグジュアリーだと痛感したホテルの全貌をお伝えします。
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優美なシャンデリアが連なる「ミラーホール」ではコンサートが行われることもある。
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スイートルームとはこのことだ!

ウィーン国際空港からホテルの住所に着くと、「この建物で本当にいいのだろうか…」と戸惑います。なぜなら、そこは完全に城だから。写真を撮るための観光名所と言われた方がしっくりくるほど、白亜の宮殿は優美に佇んでいました。外観を宮殿たらしめるのは、中央にずらりと並ぶルネッサンス様式の巨大な柱。ホテルとは知っているはずなのに、柱が高すぎるゆえ、まさか柱の奥が客室だとは思いもよりませんでした。
入り口だけモダンなガラスの自動ドアで、そこをくぐると通常のホテルのようなレセプション。ホテルで間違いなかったとホッとします。ICチップ型のルームキーを受けとると、そこには貴族の男性が描かれている。その男性こそ、もととなる宮殿の建設を命じたフェルディナントさん。めちゃくちゃ長い本名を言うと、フェルディナント・ゲオルク・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト=コハーリです。
全室スイート、計34ある客室はそれぞれデザインが異なります。私が泊まったのは「フェルディナント
ルーム」という本来は一泊€995~(税サ込)する部屋ですが、特価の約半額にて宿泊。それでも女性がひとりで泊まるには奮発な額で、ただ、客室に入ったら€995の値付けが良心的と感じました。東京のホテルのスイートはやっぱり高いと感じるほど。
113㎡もの部屋はメゾネット式となり(客室の約6割がメゾネット式)、一階がリビングとキッチンで上が寝室とバスルーム。天井高は日本の5つ星ホテルの2階分はゆうに超え、むしろロビーくらいの高さ! 窓も2階分あるゆえ、今まで見たなかで最も長いカーテンを目にします。これぞ、スイートルーム。
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さらに窓を開けてテラスに出ると、そこは先ほど外観で圧倒された巨大な柱が並んでいた場所。柱4本分が客室となっていたのです。テラスがまた広くて、テーブル&チェアのセットの他にデイベッドがふたつ。リゾートか! お金に余裕のある方は、ぜひテラス付きのお部屋に泊まり、ここでシャンパンを飲んで贅沢に溺れてくださいませ。
ホテルのオープンは2003年ですが、16年経っていると思えないほど白とブルーによる内装が綺麗に保たれ、調度品も一級品。クリスタルのシャンデリアは高い天井にこそ似合います。寝室に行けばベッドの上に蚊帳がつき、どこまでも貴族気分。BGMにモーツァルトを流せばオーストリアモードが高まり、「生音を聞きたい!」となりますから、近くで行われているコンサートに行くのもいいでしょう。

ここに住んでいたのは、どんな一族なのか?

ホテル滞在中に必須なのが、見どころ満載のホテルツアーです。例えばここが本当に宮殿だったと実感できるのが、裏玄関の観音扉を見た時。それは貴族が馬車ごと宮殿に入れるように作ったもので、だから扉がやけに大きい。傍らには馬車が到着したことを知らせる鐘が吊るされ、貴族たちは家に戻ると赤い絨毯の上を歩きました。
さて、ここで宮殿に誰が住んでいたのかをご紹介。前述のコーブルク家のフェルディナントさんなのですが、彼、実は超絶アッパーなマスオさんでした。フェルディナントさんが結婚したのは、ハンガリーで巨万の富を築きウィーンに移った大貴族、コハーリ家の女子相続人。
コハーリ家は16世紀に作られた要塞付近に土地と建物をもっており、フェルディナントさんは結婚を機にドイツからウィーンに引っ越してきました。そして、相続後の1844年にホテルの元となる宮殿を有名建築家に造らせた。巨大な白亜の柱が並ぶ建物は、その見た目から“アスパラガス宮殿”と呼ばれ親しまれていたとか。
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ちなみにフェルディナントさんの弟は初代ベルギー国王。この宮殿で育った長男はポルトガル女王と結婚。次男はフランス国王の娘と結婚し、彼らの息子(フェルディナントの孫)はのちにブルガリア国王となります。さらに長女はフランス国王の息子と結婚。もう、登場人物が全員ロイヤル!
ホテルツアーではそんな華麗なる一族が舞踏会を開いたであろう客間への見学もあり、そこがまた豪華絢爛。代わって地下に行けば、要塞都市だった頃のウィーンの地図が大理石の床に描かれています。16世紀に他国の攻撃から街を守るために作られたリング型の要塞は、その後、不必要と見なされ1857年に解体。要塞跡地は“大通りの傑作”と称されるリング通りへと生まれ変わります。
リング通り周辺はウィーンの一等地であり、ブルジョアたちが邸宅を築いたエリアです。フェルディナントの家族が住んだ宮殿はその先駆けであり、象徴ともなる建物。ですから大事に修復されながら受け継がれ、2003年にホテルとして新たなステージを歩み始めました。
ホテルの成り立ちを聞けばウィーンの歴史まで知ることができて、単に豪華なだけの滞在じゃないと実感するでしょう。
また、なぜホテルなのに「Palais Coburg Residenz(パレ コーブルク レジデンツ)」と、“Residenz”がつくのか泊まって納得。コーブルク家の住まいであったことを尊重する場所だからです。ということは、いっそ住んでいる気になって楽しむのが一番!
緑豊かな中庭で朝食をとり、昼はテラスで寛ぎ、夜はドレスアップしてコンサートへ。そしてライトアップされて貴婦人のように佇む宮殿に戻ってきた時、その美しい光景はウィーンに惚れこむ決め手になりますよ。
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「PalaisCoburg Residenz」

URL/https://jp.lhw.com/hotel/Palais-Coburg-Residenz-Vienna-Austria
日本での問い合わせ
ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ ・ワールド
0120-086-230(平日9:30〜18:00)

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