2019.08.24
渋谷にラブホテル街が生まれた理由、知っていますか?
最近はちょっとディープなお洒落スポットのイメージが強い渋谷・円山町。けれどひと昔前までは円山町と言えばラブホテルと相場が決まっていました。約300軒を数えるというソレ用のホテルは、なぜこのエリアに集まってきたのでしょう?
- CREDIT :
文/木村千鶴 写真協力/(株)アミー東京デザインルーム 取材協力・監修/金益見
とはいえ、円山町と聞いて真っ先に頭に浮かぶのは、やはりラブホテルではないでしょうか。いまも約300軒のラブホテル(として使われる施設)が軒を連ねます。
この地区は、かつて料亭や割烹などが立ち並ぶ花街でした。渋谷駅が1885年(明治18年)に開業し、その約2年後にできたのが、円山町の温泉銭湯の隣に併設された料亭。それが大当たりしたのをきっかけに、料亭や待合が次々とつくられ、やがて花街になったそう。そして、その地域にラブホテルが立ち並ぶようになったのには、ちょっとしたワケがあったのです。
日本独自の「ラブホテル」文化が生まれた理由とは
海外には“性行為を目的とした専用のホテル“というものはほとんどなく、ドラマによく出てくるモーテルも一般的な旅行やビジネスに使用されるもの。カップル専用の時間貸しをメインとしたホテルは、ほぼ日本だけの独特のスタイルなのです。
それではなぜ、日本にラブホテルという独自の施設が育っていったのでしょうか。
ここに一冊の本があります。その名は『日本昭和ラブホテル大全』(金益見・村上賢司著/辰巳出版)。巻頭には下記の一節があります。
「ラブホテル」は、堂々たる日本の文化である。
文化は仕掛けられてできるものではない。人々の欲望と密接に繋がりながら、うねりを繰り返し、生まれ、育っていく。
シビれるセリフです。
今回はこちらを参考文献とし、著者の金益見さんにお話を伺いながら、渋谷のラブホテルの歴史を辿っていきましょう。
円山町のラブホテルのルーツは、お妾さんや2号さんが始めた「部屋貸し」
「渋谷ホテル旅館組合の名簿で、創業者の半分くらいが女性だということがわかりました。昭和初期頃の話ですから、女性が事業を起こすのはどれだけ大変なことだったでしょうか。円山町の花街周辺に暮らす女性は、正妻ではない方が多かったと聞いています。お妾さんのような立場で家を与えられてはいても、その先の保証はない。そこで自宅の一部などを旅館にしたことが始まりだと考えられています。最初は料理も出していたようですが、利用者の要望などに応えるうちに、部屋を時間貸しするというスタイルに変化していったようです」
高度成長期からデラックス化と遊び心探求の時代へ
当時の新聞を見てみると1954年(昭和29年)に大阪・桜ノ宮にあった『銀橋ホテル』の広告に、「テレビ・こたつ・ネオン風呂・電話・ラジオ完備」とあります。その時代にこの設備はまさに庶民の夢。そのあたりからホテルや旅館の“企画合戦”の口火が切られたのでは、と推測されます。
さすがは“人々の欲望と密接に繋がりながら”育っていくラブホテル業界。個人所有するには贅沢な最新の設備を思いつくままに導入し、お城のような建物はレジャー施設さながら。大人の遊園地と言わんばかりに情熱的に一部屋を非日常化させる。その“特別な空間”にかける情熱はすさまじく、回転ベッドやメリーゴーラウンド、サーキット風にSM部屋まで、ありとあらゆる欲望を可視化させた時代でした。ご記憶の諸兄も多いことかと(笑)。
70年代以降のラブホテルの遊び心豊かな部屋。こちらは部屋全体がルーレットになっています。
メリーゴーラウンドになっている部屋。
奥の壁にはミッキーマウス風のイラストが(笑)。
ロケット型のベッド。遊園地の乗り物のよう。
こちらはSMの器具が揃えられた部屋でしょうか。
王様の冠をかたどったメルヘン風のベッド。
70年代以降のラブホテルの遊び心豊かな部屋。こちらは部屋全体がルーレットになっています。
メリーゴーラウンドになっている部屋。
奥の壁にはミッキーマウス風のイラストが(笑)。
ロケット型のベッド。遊園地の乗り物のよう。
こちらはSMの器具が揃えられた部屋でしょうか。
王様の冠をかたどったメルヘン風のベッド。
1970~80年代は、ラブホテルのハード面が注目された時代
ラブホテルの一大チェーンとなった「アイネグループ」を創り上げた小山立雄氏は1966年(昭和41年)に「レジャーハウス美松」を開業し、その後精力的にグループ傘下を増やし、全国で140店舗を展開させた業界の雄です。
亜美伊新氏はラブホテルのデザイナー。「ラブホテルという日本固有の文化をつくった男」と言われており、手掛けたホテルはなんと1600棟。ドキドキ感とワクワク感を大切に、さまざまな斬新な仕掛けで世の中を驚かせ、業界を牽引してきた人物のひとりです。
ただ、この時代は仕掛け競争のようになっていて、利用者へのサービスには関心が向けられてなかったといいます。
ベルサイユ宮殿もかくやと思わせる豪華内装。女子はお姫様気分が味わえそうです。
壁紙や調度も凝ってます。非日常感は味わえます。
こちら歌麿全開パターン。外国からの観光客が喜びそう。
日本だか中国だかわからないパターン。足元の水車風は何?
その昔流行ったカフェバー風内装。ビリヤード台が大きすぎて部屋が狭いかも。
もはや何しに来たんだか頭が混乱しそうなスペースメルヘン風!?。
ベルサイユ宮殿もかくやと思わせる豪華内装。女子はお姫様気分が味わえそうです。
壁紙や調度も凝ってます。非日常感は味わえます。
こちら歌麿全開パターン。外国からの観光客が喜びそう。
日本だか中国だかわからないパターン。足元の水車風は何?
その昔流行ったカフェバー風内装。ビリヤード台が大きすぎて部屋が狭いかも。
もはや何しに来たんだか頭が混乱しそうなスペースメルヘン風!?。
情報誌がラブホテルを取り上げてからサービスの可視化が進んだ
結果ラブホテルはシンプル化を余儀なくされ、それまでのハード面の競争からアメニティグッズやニーズに合ったソフト面での勝負へシフトチェンジしていきます。これは女性がはっきり意見を言える時代になったことも大きな一因ですが、情報誌の影響も大きかったとか。
それまで週刊誌で取り上げられていたのは、珍しい部屋のことが中心でした。ですが、情報誌がラブホテルを取り上げるようになり、部屋に完備されているもののチェック項目を細かく作ったのです。
「サービス面の可視化がされたわけですね。ここで初めて利用者向きのサービスが注目されるようになりました。情報誌の貢献は大きかったでしょう。ラブホテル側は女性が喜ぶサービスをせざるを得ない状況になりました。アメニティグッズは消耗品なので、本来はあまり力を入れたくない分野なのです。でも女性にとってはその部分が充実していないと困ってしまう。泊りならお化粧を直せないのは辛いですから」
時代に合わせ変化していく渋谷のラブホテル
また渋谷は大型ホテルが少ないため、宿泊部屋数が絶対的に不足しており、観光客やビジネス客の一部がラブホテルに流れて、それなりに部屋が埋まっているという話もききます。
ただ現行の条例では、渋谷区内でラブホテルの建て替えができず、不安はつきまといます。それでも街並みの変化やニーズに合わせ、マーケティング巧みに、貪欲に進化を続けてきたこの業界の方々。また面白い仕掛けをして新しい展開を見せてくれるのでは?と期待したいところです。
● 金益見(キム・イッキョン)
1979年7月生まれ。大阪市出身。人間文化学者。神戸学院大学人文学部講師。2008年『ラブホテル進化論』により、橋本峰雄賞受賞。その他著書に『性愛空間の文化史「連れ込み宿」から「ラブホ」まで』などがある。