2018.11.30
【解説】スチール時計が金時計より高級になった、そのワケは?
昔は高級時計といえばゴールドのドレスウォッチが常識でした。しかし、"普通の素材"であったステンレススティールを使った腕時計が、現代では高級時計として認められるようになったのです。
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文/広田雅将(クロノス日本版編集長) イラスト/Isaku Goto
しかし、時代は大きく変わった。今や、高価でステイタスのある時計は、そういったドレスウォッチから、大きく厚みのある、いわゆる"ラグジュアリースポーツウォッチ"に置き換わったのである。しかも素材は、貴金属ではなく、ステンレスやセラミックス、あるいはチタンといった、“普通の”素材だった。
ケタ違いのスチール時計の登場
当時、硬いステンレスを加工する手法としては、叩いて成形するプレスが一般的だった。大量生産に向くし、素材もいっそう硬くできるが、何度も叩いてケースの形にするため、ケースやブレスレットの角は立てられない。そのため、「オーデマ ピゲ」は削ってケースを成形する、切削という手法を採用した。今でこそ、切削はポピュラーになったが、1972年当時、切削でステンレスを複雑に成形するメーカーは存在しなかったのである。
70年代から始まった"新しい高級時計"の波
1970年代以前、時計のブレスレットは明らかに“オマケ”であり、真剣に開発しようとするメーカーはほとんどなかった。時計を買う際に、店頭に並んでいるブレスレットを選び、その場で取り付けるのがポピュラーだったのだ。しかし、ロイヤル オーク以降、時計メーカーは各時計のデザインに合うようなブレスレットを付けるようになった。当然価格は跳ね上がったが、ユニークなデザインを求める消費者にとって、それは大きな問題にならなかったのである。
こういった流れは、1990年代以降さらに加速した。切削という手法が普及した結果、時計メーカーはケースの造形を一層複雑にしたのである。一例が「パネライ」と「オーデマ ピゲ」だ。当初、この2社はケースをほぼ鍛造だけで作っていた。しかし、より立体的な形状を求めるために、切削も併用するようになったのである。工作機械の進歩は、時計のケースを年々立体的にしていった。かつての工作機械は、平面しか切削出来なかったが、最新の多軸CNCマシンにより、かつては不可能とされた斜め方向にも、削りを与えられるようになったのである。その結果、2000年以降の時計ケースは、かつてないほど立体的になった。
機械が進歩した結果、部品同士の噛み合わせも良くなった。その結果、ケースの部品を増やしても、十分な防水性を持たせることが可能になった。最も成功したのは、「ウブロ」のビッグバンだろう。ケースをサンドウィッチのような構造にして、さまざまな部品を重ねていく。1990年代には決して不可能だった造形は、精密に加工され、防水性を確保出来る部品があればこそだった。
対して「リシャール・ミル」は、ケースの加工精度を大きく上げることで、スポーツウォッチに相応しい防水性と、今の高級時計らしい立体的な造形を盛り込むことに成功した。加工精度を上げた結果、こういう凝った造型を持つステンレスやチタン製のケースは、途方もない高価格になった。いくら金が高いとは言え、手間を考えれば、値段が上がるのはやむを得ない。
その結果、消費者の中で、高価な時計に対する認識が変わっていったのは面白い。1970年代以前、高価でステイタスのある時計と言えば、薄くて貴金属製のドレスウォッチだった。しかし、2000年以降、それは、複雑な造型を持つ、チタンやステンレス、あるいはセラミックス製のラグジュアリースポーツウォッチに変化していったのである。
今後も、こういった流れは変わらないはずだ。よりステイタスを高めるため、各社はさらに複雑な造形を盛り込もうと試み、結果、ラグジュアリースポーツウォッチの価格と価値はさらに高まっていくだろう。技術の進歩が変えた、高級時計のあり方。今や、ステイタスを決めるのは、素材ではなくなったのである。
● 広田雅将(ひろた・まさゆき)
1974年生まれ、大阪出身。時計専門誌『クロノス日本版』編集長。サラリーマンを経て2004年からフリーのジャーナリストとして活躍し、2016年より現職。関連誌含め連載を多数抱える。また、一般・時計メーカー・販売店向けなど、幅広い層に対して講演も行う。
高級腕時計専門誌クロノス日本版[webChronos]