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2022.10.09

【第17回】「蔦」(代々木上原)

「Japanese Soba Noodles蔦」の大西祐貴さんが亡くなった

日本初の料理評論家、山本益博さんはいま、ラーメンが「美味しい革命」の渦中にあると言います。長らくB級グルメとして愛されてきたラーメンは、ミシュランも認める一流の料理へと変貌を遂げつつあります。新時代に向けて群雄割拠する街のラーメン店を巨匠自らが実食リポートする連載です。

CREDIT :

文・写真/山本益博

山本益博 LEON.JP 荻窪 ラーメン革命!
▲ 「蔦」の 「醤油Soba」
東京・代々木上原「Japanese Soba Noodles蔦」の主人兼料理長大西祐貴さんが、9月23日急性心不全で亡くなった。43歳だった。ご存知のように「蔦」は世界で初めて「ミシュラン」の星に輝いたラーメン専門店として、海外にまでその名を広く知られた店である。

今回は、その偉業に少し触れてみたいと思う。
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「ミシュランガイド東京2015」で、ラーメンが初登場

そもそも、1900年創刊のフランスのタイヤメーカーのガイドブック「ミシュラン」には、単一料理の専門店の掲載は一切なかった。近年になって、ようやく「ミシュラン」のフランス編に、パリのラーメン専門店が掲載されるようになったが、星もビブグルマンもついていない。ピッツェリアはいまだ載っていない。
ミシュランの創業者アンドレとエドワールの兄弟が、20世紀の来るべきモータリゼーションの時代にふさわしい、自動車の持ち主に対するタイヤメーカーのサービスとして「ミシュラン」ガイドは誕生した。
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著者の本棚に並ぶ1929年からのミシュランガイド。

クルマでフランス中を旅行する際、どの宿が安全で静寂で清潔か、食事処としてはどのレストランを薦めるのかを、調査員が身元を明かさずに調べてガイドしたのが「ミシュラン」だった。星印によるランキングも、3つ星は「わざわざその店で食事をするために旅をする値打ちがある」2つ星は「遠回りしてでも立ち寄る値打ちがある」1つ星は「そのカテゴリーでは美味しい料理を提供する店」という意味合いが、ガイドの初めのページに書いてある。
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そして、レストランに星がつくようになったのは、毎年ガイドを刊行して30年以上経ってからで、3つ星の登場は1930年代半ばになってから。調査は「秘密調査員」によってなされ、慎重、正確、公正をモットーにしたので、とても信頼されるガイドブックになっていった。

「ミシュランガイド」の日本版が出版されたのが、2007年秋の「ミシュランガイド東京2008」で、日本中で話題になったのは、いまだ記憶に新しい。この初年度版にはラーメンはなく、2014年秋に出版された「ミシュランガイド東京2015」で、ラーメンが初登場、22軒に「ビブグルマン」が付けられた。星は付かないが、「安価で美味しい料理を提供する店」として、ラーメン専門店が評価されたのだった。「蔦」もこの中の1軒として掲載された。
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▲ 蔦の厨房。右が大西さん
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この日、ラーメンが「B級グルメ」と永遠に決別した

そして、翌年の「ミシュランガイド東京2016」で、「蔦」に1つ星が与えられたのだった。店の紹介文は前年とほとんど変わらないが、ここでその全文を紹介しておこう。

「石臼挽きの国産小麦を使用する際は、スープとの相性を考えた平打ちの細麺、数種の生醤油を合わせた『醤油そば』は香り高く、海塩と岩塩がスープの旨みを引き立てる『塩そば』は力強く丸みのある味わい。赤ワインで味付けした心地よい食感のメンマ、ローズマリー風味のチャーシュー、隠し味にトリュフなど、店主ならではの工夫がみられる。ポルチーニ茸の香りが印象的な『醤油つけそば』も良い」
「ミシュランガイド東京2016」より
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「ラーメン」が「ミシュラン」に掲載されたということは、日本料理やフランス料理と同じく、ラーメンは軽食ではなく、料理として認められたことになり、1つ星に輝いたということは、掲載されているほかの料理と同格に扱われている何よりの証明となった。
つまり、この日は、ラーメンが「B級グルメ」と永遠に決別した日となったのである。ゆえに、大西シェフの功績は長く称えられるべきである。
ねいろ屋 山本益博 LEON.JP 荻窪 ラーメン革命!
▲ 「金目鯛の塩Soba」
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発表された翌日からの「蔦」は世界中から注目を浴びる存在となった。私は巣鴨にあった「蔦」には出かけていない。店を代々木上原に移してから、3度足を運んだ。2度目の今年の1月26日、「トリュフSoba」を目指して出かけたところ、大行列。並んだ列が店の近くに来ると、たまたまその日は10周年の当日で、記念のラーメン「金目鯛の塩そば100食」を限定で作るとのことだった。アイデア満載のどんぶりにフルコースが盛り込まれた一杯だった。帰りには、お土産として「蔦」の「どんぶり」が配られた。
▲ 蔦10周年記念どんぶり
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「ミシュラン」の紹介文にもあるように大西シェフは、フランスの食材を巧みに使い、それをラーメンの調理に活かした料理センス抜群の料理人である。なかでも「トリュフ」を醤油と合わせたアイデアはラーメンファンに支持され、ラーメン界に驚異的な影響を与えた。巣鴨の店を閉めてからは、なぜか「ミシュラン」に掲載されなくなったが、新しいラーメンワールドを切り拓く大西シェフの仕事へのファンの期待はまだまだ大きかったと思う。
人と羊 山本益博 LEON.JP 荻窪 ラーメン革命!
▲ 「蔦」の店頭
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店に掲げられていたコンセプトには、次のことが書かれていた。
「ラーメンの無限の可能性と創造性をテーマに置き、日本のUMAMIの食文化と世界中の様々な食材を融合。スープ・タレには化学調味料を使用せず、食材の持つ本来の旨味を幾重にも濃密に重ねています。

麺は自家製紛や独自の製法なども意欲的に開発し、調理法も蔦にしか出来ない事に注力しました。一つの食材をあらゆる角度から見る事で生まれる一杯は、今までにはない素晴らしいラーメンの世界を創造しています」
 合掌。
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Japanese Soba Noodles蔦

住所/東京都渋谷区西原3-2-4  フロンティア代々木上原B1
営業時間/11:00~15:00
定休日/木曜
TEL/03-6416-8666
HP/Japanese Soba Noodles tsuta 

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山本益博 LEON.JP 荻窪 ラーメン革命!

● 山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。1972年早稲田大学卒業。卒論として書いた「桂文楽の世界」が『さよなら名人芸 桂文楽の世界』として出版され、評論家としての仕事をスタート。1982年『東京・味のグランプリ200』を出版し、以降、日本で初めての「料理評論家」として精力的に活動。著書に『グルマン』『山本益博のダイブル 東京横浜&近郊96-2001』『至福のすし 「すきやばし次郎」の職人芸術』『エル・ブリ 想像もつかない味』他多数。料理人とのコラボによるイヴェントも数多く企画。レストランの催事、食品の商品開発の仕事にも携わる。2001年には、フランス政府より、農事功労勲章(メリット・アグリコル)シュヴァリエを受勲。2014年には、農事功労章オフィシエを受勲。
HP/山本益博 料理評論家 Masuhiro Yamamoto Food Critique

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山本益博 LEON.JP 荻窪 ラーメン革命!

山本益博さんがYouTubeを始めました!

日本初の料理評論家、山本益博さんが、美味しいものを食べるより、ものを美味しく食べたい! をテーマに、「食べる名人」を目指します。どうぞご覧ください!
YouTube/MASUHIROのうまいのなんの!

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