その池永さんの新しい画集『少女百遍の鬱憂』(玄光社)が7月31日に発売されました。 “少女”という新たな題材に「葛藤と鬱憂」をもって挑んだという今作。どんな想いがこめられているのでしょうか。
美しさと可愛らさしさが混在する少女は “異形”の存在
しかしその奇跡の瞬間は残酷な程に短い。
そして少女が最も煌めく時、少女は最も無力なのだ。」
画集『少女百遍の鬱憂』の前書きに、池永さんはこう記しています。
女性の色香や熱情を描いてきた池永さんですが、「アイドルを描いてみないか?」というある編集者の誘いをきっかけに10代の少女を描くことになったといいます。今回の画集は、少女を描くという新境地に挑戦し、数年間にわたって葛藤を続けた筆跡を記録した一冊なのだとか。
「少女の幼さと美しさを同時に描くと、怖い絵になってしまうんです。岸田劉生の『麗子像』や、智内兄助の『久美子』はまさにそれ。自分の愛娘を描いているのに、ものすごく怖い絵になっている。美しさと幼さが混在する少女は、まさしく “異形”なんです。イメージしやすいのは北欧の透明な少女たち。美しさと同時に異界の住人のような恐ろしさがあります」
「実は10代の女性を描いたのは初めてではありません。いままでは、10代も40代も“女”として見て描いてきたんです。しかしアイドルや女優に対して、そうはいきません。彼女たちには守らなければいけないものがあって、私も大人として相応に接するべきと考えました。それに体をこわし、精神にも衰えを感じていた私は以前のような勢いがなく、物分かりのいい大人を演じていた。だからいつまでも少女たちと私の間にあった“垣根”を越えることができなかったんです」
『雹・らな』はその時に描いた作品で、画集の作品のなかでも池永さんの思い入れのある作品だそう。少女の独特の色気とあどけなさ、強さが混在し、思わず目が離せなくなりそうな雰囲気をたたえています。
「彼女は単身女優になる野心をもってきた娘です。はじめはその弾ける姿を描けばよかったんです。しかし彼女は次第に本物の女優になっていきました。女優は演じる器です。誰かが魂を入れないといけないんです」
「この頃、私のアトリエに来た彼女はずっと虚ろでした。私が魂を入れるのを待っていたはずなんです。でも私は相変わらず物分かりのいい大人のふりをしてそれが出来なかったんです」
「『少女とはなんだろうか、それを見せてほしい』と訊ねた時、『わたしはもう大人よ』それが彼女の答えでした。少女の煌めきの明滅のままを写すべきか、垣根を乗り越えるべきか最後まで答えが分かりませんでした。私は正しく権力を行使できなかったんです」
「画集の前半は、“少女”として描いた4人のアイドルと女優たちを、後半は一般人の女性たちを“女”として描いた過去の作品を載せています。合間には、私の悶々とした愚痴がたっぷり載っていますよ(笑)。ぜひ同じ世代に読んでいただきたいですね」
池永康晟画集「少女百遍の鬱憂」
日本を代表する天才美人画家、池永康晟の初の試み。数年にわたって描きあげた、少女美人画作品集の決定版。
仕様/A4判 144ページ(フルカラー)
定価/本体2800円+税
玄光社刊
● 池永康晟(いけなが・やすなり)
日本画家。1965年、大分県生まれ。大分県立芸術短期大学付属緑丘高校卒。独学で日本画を学び、40代より本格的に制作活動をスタート。2014年に出版した作品集、「君想ふ 百夜の幸福」(芸術新聞社)は6刷を超える人気。ほか、「美人画づくし」(監修/芸術新聞社)など。