「すべき」にとらわれると生きづらくなる
僕自身は「モテる」かどうかは別として、今でも毎日進化してると思うなあ。だから生きるのがラクなんですよ。東工大や東京藝大で教えていたこともあったから、若い人たちとたくさん話をするし、彼らとのやりとりのパターンもたくさん学習している。
でも、もしそこで、大学教授っていう立場にとらわれて、「大学の先生っていうのはもっと威厳があるもんだ」なんていう古いパターンにこだわっていると、ちょっと辛いかもしれないよね。僕はそういうことにはこだわらないから、毎日楽しい。
やっぱり、「こうするべき」とか「こうあるべき」とか言い出すと生きづらくなっちゃうよね。だって自分は変わらなくても人も社会も変わっていくから。最近の僕の対談本『生きる──どんなにひどい世界でも』の中でも随分そういう話をしたんだけどね。
「重々しさ」や「権威」って、周りがその人のことを認めて自然に出てくるものなんですよ。本人は軽やかじゃないとダメ。自分から周りに求めちゃうと苦しい。たけしさんなんて、カンヌ映画祭でコマネチやってたじゃないですか。本人は軽いのに、周りは「素晴らしい映画監督」として扱うでしょう。実績がある人は、偉そうに振る舞う必要はまったくないわけです。
つまり、「らしさ」にとらわれていると軽やかにはなれない。いろんな女性に僕が聞いた限りにおいては、立場や年齢関係なく、どんな男性でも「かわいい」っていうのが免罪符、救いになるみたいですよ。この「かわいい」っていうのがなんなのかが難しいんですけどね。「かわいいオヤジ」ってなんなんでしょうね(笑)。
カッコ良さのキーワードは「所有から経験へ」
やっぱり、永遠の5歳児ぐらいが一番いいんじゃないですかね。ここでちょっとLEON世代を褒めると、遊びに関しては充実しているかもしれませんよね。経済的に余裕があると、余暇が取りやすくなるから、その分、生活を楽しめているかもしれない。
でもそれも、従来型のおじさまゴルフじゃなくて、トライアスロンをしたり、トレイルランをしたり、クリエイティブで自分の体を張るような遊びをするといいと思いますね。今、元気なアクティブシニアはそういう人が多い。
僕もフルマラソンを走っているけど、エビデンスで言うと、体を動かすことはアンチエイジングになるし、癌になりにくいとか、免疫系が高まるとか、健康上のベネフィットはありますよね。
今、カッコ良さは「所有から経験へ」がキーワードかな。経験の幅が広がっていることが新しいカッコ良さになってきてる気がします。
ジェームズ・ボンドにならなくちゃいけない
クレジットカードのブラック会員で、「リゾートの過ごし方はコンシェルジュに任せてる」なんておじさんも時々いるけど、あれはダメだよね。結局、それじゃあ自分のためにならないんですよ。
自分で調べて推測するのが大事。推測して失敗して、その経験を重ねながら見極める能力を研ぎ澄ましていくと、オスとしての狩猟本能がそこで発揮されるようになる。「人任せにしちゃう」のは、おじさんがダメになる典型です。
みんなある程度偉くなると、会社でも手配を人任せにするじゃない。「女の子と食事行くから、いい店選んでね」とか。でも、本当にいい感じの人って、そういうお店も全部自分で選びますよね。そういうことが「モテる」自分を作る秘訣だと思います。
あとね、ジェームズ・ボンドも、どんなに大変な目にあっても、「ああ大変だ」なんて言わないでしょ。これは前編で話したハンディキャップ仮説の最たるもので、どんなに死にそうな目に遭っても、涼しい顔をしているからカッコいいわけです。
例えば人間関係でも、どんな相手でもネガティブに捉えられてしまったり、どうしても行き違いが起こることがある。そんな時、感情の活動を前頭葉でモニターしたり、コントロールしたりすることが上手にできると、それをスルーできる。スルーするというよりも、本質だけ見抜いて集中すると、感情のコントロールがしやすいと思いますね。
多少嫌だなと思うことがあっても、敢えて何も言わずにスルーすると、相手は「あ、この人凄い人だな」って思ったりするんだよね。これは、仕事でもプライペートでも役立ちますよ。
ユーモアのセンスがある人は感情のコントロールも上手い
くすぐったいとき、小さい子も笑うじゃないですか。くすぐったいって実は恐怖の裏返しなんです。見知らぬ何かが肌に触れているわけだから、生命維持を考えれば恐怖だと捉えるべきですよね。これは本能に組み込まれている。
でもそれを恐怖と感じ続けていると、大事なスキンシップができなくなる。だから子どもはくすぐったいことを笑いに変えて、養育者とのスキンシップを肯定的に捉えるようになっていくんです。
それと同様に、不確実なことにチャレンジしようと思ったら、ユーモアのセンスを磨くのが鉄則なんです。冒険家や探検家は、みなさんユーモアのセンスがあるんですよ。
生命の危機的なシチュエーションを客観的に見て判断できなければ、まさに命取り。どんな危険に巻き込まれても、どんな非常事態に陥っても、それを笑い飛ばせるぐらいの感覚がないと、冒険や探検はできない。
僕たちも、実際に冒険や探検には出かけないとしても、自分の劣等感をユーモアで語れるようになると、かなり怖いもの無しになる。人間としてステージが上がります。
「自分らしさ」を常に更新していくことが「モテる」につながる
会社でも家族の中でも、一度「こういうキャラだ」と認識されると周りもそう扱うし、そういう風にしてたほうが自分もラクになっちゃう。でも、それが最大の罠なんですよ。
本来は、大人になったって人間はみんな常に更新されているし、変わっていけるのは間違いないんです。ただ、脳とドーパミン系の理屈では、とにかく予想外のことが起こらないとドーパミンは活動してくれない。
ドーパミン系が活動しないと、報酬系を通した前頭葉を中心とする脳の活性化が起こらない。不確実なこと、予想できないことを自ら作り上げないといけないわけですよね。おじさんとしては日々同じことの繰り返しになってしまいがちだから、心がけてやらないと厳しいですよね。
今は、「従来の常識が壊れていく」時代。しかも常識が壊れたその先がまったく見えない。いろんなことが起こって、世の中の仕組みがガラガラと変わろうとしている時、一番カッコ悪いのは、旧来の価値観にしがみついちゃうことでしょう。
激動の中で自分もしなやかに変化しつつ、それでも変わらないものが「自分らしさ」。じゃあ自分にとって大切なものはなんなんだろうっていうことを今一度考えなくちゃいけない。
人ってやっぱり周りに流されちゃったり見失ったりするものだから、常に捉え直さなきゃいけないんです。それは仕事かもしれないし、家族かもしれないし、何かの価値観かもしれないんだけど。
僕は、そういうことを分かって実践している人がカッコいい人、モテる人だと思います。
● 茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
1962年東京生まれ。脳科学者。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。2005年、『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞受賞。『脳とクオリア――なぜ脳に心が生まれるのか』(日本経済新聞出版社)など著書多数。
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◆ 「生きる──どんなにひどい世界でも」
社会に蔓延する生きづらさの正体は何なのか。現代社会の病理はどこにあるのか。脳科学者・茂木健一郎さんと臨床心理学者・長谷川博一さんが対話し考察する。読み進めるうちに、「こうあるべき」という要請から解放され、ありのままの自分を受け入れることができるようになっていく。「世界の見え方」が変わります。
主婦と生活社刊/本体1400円+税