2024.05.24
【特別公開】 樋口毅宏×『LEON』の新小説!
『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 【第2話】 仕事は汚いほど金になる
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説がスタート! エロス&バイオレンス満載の危険な物語の主人公はクセの強い4人の殺し屋たち。第1話のキラーエリート・ヒロシに次ぐ二人目の殺し屋とは……。
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文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/久 修一郎 編集/森本 泉(Web LEON)
樋口毅宏作、LEON初の連載小説がスタート!
エロス&バイオレンス満載の危険な物語の主人公はクセの強い4人の殺し屋たち。第1話(こちら)のキラーエリート、ヒロシに次ぐ二人目の殺し屋とは……。第2話を「Web LEON」で特別公開します!
■ 二人目の殺し屋:山田正義(55)
高校を出て幾つかの職を転々とし、現在では反社と呼ばれる世界に足を踏み入れたのは三十が見えた頃か。一線を引いた付き合いをしてきたつもりだったが、あるとき、「俺の顔に泥を塗った奴がいる。そいつのタマを取ってきてくれないか」と頼まれた。
「自分は奴と面識がないし、パクられることもないやろ」
労働の対価に見合い、金は良かった。一度だけのつもりだった。
自営業にありがちな話だが、食っていけるだろうかと思うほどヒマなときもあれば、寝る間を惜しむほど忙しいときもある。手を抜くことはないし、「納期」が遅れることもない。私は使い勝手が良いのかもしれない。
この世界では「こっさん」と呼ばれている。「断らない」が、由来らしい。仕事をえり好みせず引き受けるからだ。
【私は汚れた掌や膝の汚れを叩く。見物人が憐れむ目で見ている】
「ショパンはええな」
高校二年生の真規子がむくれる。
「パパ、今のはシューマンやで」
「そうか。そっくりやな」
妻が口元を押さえて楚々と笑う。家柄も学歴も良く、美しい。それに洛中の出。私のトロフィーワイフだ。
買い物に付き合う約束をしていた。四条の大丸では記念日でもないのにフェンディのバゲットを買わされた。ふたりの嬉しそうな顔を見て、私は満足だった。
仕事が仕事だけに、オンとオフは使い分けている。だからといって油断していたわけではないが、素行の悪そうなヤンキーが肩からぶつかってきたのを避けられなかった。
「どこ見てんだよ!」
「どした」
「いや、このオヤジがさ」
ヤンキーAに続いてもうひとり、頭の悪さを競い合うかのようなガキが現れた。赤毛のヒゲ面で、賭けてもいいが、彼らの偏差値はふたり足しても50に届かないだろう。こちらはヤンキーBと呼ぶことにした。
京都を訪れた観光客のようだ。独特な訛りを感じる。高級ブランドで全身を固めているが、品性が下劣なので、ワゴンセールで買い漁(あさ)った服にしか見えない。
「謝れって言ってんだ!」
妻と真規子は不安そうな顔で、連中が怖くて動けずにいた。取り囲んで見ていた野次馬も同様だった。
私は深々と頭を下げた。
「すんません」
私は下げた頭を叩かれた。
「“すんません”? ナメてんのか」
「“すみません。申し訳ありません”だろ!」
ヤンキーAとBは倒れた私を蹴りつけた。
「そんな謝り方、おらの地元じゃ通用しねえぞ」
「んだ。土下座しろ」
私は正座をして、背筋を伸ばし、ヤンキーAとBに向かって、手をついて謝った。路面は前日の雨が残っていて冷たかった。妻と真規子の視線を感じた。
「これからは気ぃ付けろ」
ヤンキーAは私の頭を踏みつけて、踵(きびす)を返した。
【もうちょっと強くなったほうがええよ。そんなんじゃママを守れへん】
妻と真規子が駆けつける。真規子の目が濡れている。
「あの人たち、パパを……!」
ヤンキーAとBは何事もなかったように、大きな声で談笑しながら去って行った。
「京都もたいした街じゃねえな」
「寺しかねえな」
連中の背中を真規子は睨み付ける。今からでも飛びかからんばかりの表情だった。
「かまへん。パパはどっこもケガしてへんさかいに」
私は汚れた掌(てのひら)や膝の汚れを叩く。見物人が憐れむ目で見ている。
「おまえたちはケガないか。それならええ」
真規子が悔しそうに唇を噛みしめる。
「さあ、いこ。予約したレストランでおいしいもんでも食べて、ぱーっと嫌なことは忘れてしまお」
私は空元気の声を上げた。
いくら私が創作した失敗話を披露しても、いつもならお腹を抱えて笑うはずの真規子はクスリともしなかった。見物人同様、父親の私を憐れむような目で見下し、皿のほとんどを残した。彼女なりに意を決したようで、私の目を真っ直ぐに見つめてこう言った。
「パパはいつも私とママに優しくて、怒ったこともないけど、もうちょっと強くなったほうがええよ。そんなんじゃママを守れへん」
妻は驚いて、一瞬声を無くした。
「まきちゃん、パパはさっきの人たちみたいに暴力をふるうような人やないの」
真規子は視線を落として、少し考えていた。自分でも言いすぎたと思っているのだろう。
「まきちゃん、パパは悪うない。わかってあげて」
私は影が落ちた美しい湖を見つめ返した。
「せやな。真規子の言う通りや。パパ、頑張るわ」
真規子はすっかり冷めた紅茶に視線を落としていた。
次の日、家族でテレビを見ていた。日曜日なのに真規子は家にいた。リモコンでザッピングをしていたらバイオレンス映画だったようで、銃でドンパチ殺し合う場面が出てきた。主人公が冷徹な表情で拳銃を向けていた。
ボーイフレンドの影響かもしれない。真規子は屈託なく話す。
「パパは苦手やな」
昨日のことが尾を引いているのか、真規子は残念そうな顔を見せた。
妻と真規子がテレビに目を奪われている間、携帯電話をチェックする。エージェントからメールがあった。仕事の依頼だ。ロッカーまで確認しに行かなければいけない。スマートフォンが普及した今、何でもメールでやりとりすればいいと考える者もいるだろうが、それは間違いだ。証拠が残ってしまう。
「ちょっと出てくる。夕食までには戻ってくる。遅れたら、先に食べててええから」
「はーい」
ふたりは私を玄関まで見送ることなく、テレビの中の暴力描写に無邪気に声を上げていた。
【背中を丸めて歩くことが大事だ。そうしたらみんなが私を怪しまない】
バッグの中には殺してほしい相手の顔写真と名前があった。この仕事を始めて四半世紀になるが、写真を落としそうになったのは初めてだった。
殺す相手はふたり、北関東の半グレたち。オレオレ詐欺グループを立ち上げ、関東を中心に老人から大金を巻き上げてきたという。地元のヤクザが横取りしようと脅したが屈せず、送り込んだ鉄砲玉を返り討ちにしたそうだ。
連中の商売は意外と手広い。VIP芸能人の合コンで女を手配してきた。モデルや女優の卵に声をかけ、ラグジュアリーホテルのスイートルームで飲み会を開く。そこで泣き喚(わめ)く女たちをさらに泣かせ、証拠動画で黙らせてきた。そうした下っ端悪事も一斉に露見した。
おそらく今頃は関西方面に観光がてら豪遊中だろうとのことだった。「期限は一週間以内」とあったが、時間がかかるとは思えなかった。私は写真を燃やした。頭の悪さを競い合うような顔を忘れようがなかった。
案の定、京都で一、二を争う高級ホテルのVIPルームに、金にものを言わせて泊まっていた。記帳には偽名を使っていたが、派手で横暴な振る舞いからすぐに部屋番号まで特定できた。
逸(はや)る気持ちはなかった。背中を丸めて歩くことが大事だ。そうしたらみんなが私を怪しまない。どこにでもいる、しょぼくれたおじさんと思ってくれる。そして私の中身は、本当にただのしょぼくれたおじさんだ。存在感を消し、人混みに紛れることが私のいちばんの才能だ。
私が訪れると、タイミングよく女たちが部屋を出ていくところだった。いかにも安そうな女たちだった。破瓜(はか)したその日から、生理期間も含めて処女の日がなさそうに見えた。昼過ぎまで女が部屋にいたということは、朝が来ても乱痴気騒ぎを続けていたのだろう。
「きょうもお店に来てね」
ドアで抱き合って、女たちが去って行くのを見届けた後、私はチャイムを鳴らした。
「誰だ」
奥から声がする。キャバ嬢が出て行ったばかりとはいえ、自分たちが追われている身だという自覚はあるようだ。
「ごめ~ん、忘れもんしてもたぁ」
私は即座に、さっきの女の声色を真似た。
ドアが開く。私を見て驚いたようだが、掌(てのひら)で口を封じられたので声は出せなかった。あれから一日しか経っていないはずが、根元の黒毛が伸びたように思えた。
奥のベッドまで連行する。部屋はサルが棲む檻(おり)の中のように、酷く散らかっていた。
すぐにカーテンを閉めた。部屋の中が暗くなり、ベッドスタンドの明かりを点す。薄暗い明かりだったが、連中には私が銃を向けているのがわかっただろう。
ヤンキーAとBは動揺を隠せなかった。
「そこ座れ。手ぇあげ」
私はベッドの端に腰をかける。ふたりともトランクス一丁だった。意外にも素直に従った。ええ子やないかと密かに思った。
そのとき、ドスンと砂袋が貫かれる音が聞こえた。油断していた。クローゼットに隠れていたヤンキーCに、私は後ろから頭を刺されて、忽(たちま)ち絶命したのだ。
「あぶねえとこだったぜ」
Aが安堵の声を上げる。Bが続く。
「おまえが途中から合流してくれて助かったわあ」
Cは有頂天の声を上げられなかった。後ろに立っていた私に、後頭部を撃ち抜かれたからだ。
【謝ってほしくて訪ねてきたんとちゃうねん】
「京都、どこ回った?」
何事もなかったように訊ねる。AとBはまるで幽霊でも見たかのようだ。たった今殺されたばかりの私と生きている私を見比べて、驚きを隠せないようだった。Aが震え声で話す。
「ききき、金閣寺とか」
Bが答える。
「銀閣寺とか」
「どうやった」
「キレイでした」
私は少し声のトーンを上げた。
「ここで問題です。金閣寺を建てたのは誰でしょう」
Bが答える。
「……大工さん?」
私はBの腹を撃った。悲鳴が上がる。
「堪忍してや。せっかく音のせえへん銃で撃ってんのに、自分が大きな声出してどうすんの」
「次の問題です。銀閣寺を建てたのは誰でしょう?」
私は拳銃をAに向けた。
「チッチッチッ……」
秒針を刻む音を口まねしてみた。さっきのキャバ嬢の声よりは上手くなかった。
「足利……ヨシマサですっ」
「ヨシマサはどう書く? 漢字で」
私は再度訊ねた。
「え、漢字?」
ヤンキーAは生まれてこの方初めて「漢字」という言葉を聞いたような顔をした。
「えーっと、えーっと」
Bが腹を抱えて悶絶している隣で、Aはぴんと背筋を伸ばして必死に考えていた。
「ヨシは、義理人情の義。マサは……」
「チッチッチッ……」
前歯を軽く噛んで秒針を刻む音を出す。やっぱり下手だと思った。
「マサは北条政子のマサ!」
私は秒針の口まねをやめた。
「自分、インテリか」
「なんで、京都に来たん」
訊くことなどなかった。さっさと仕事を終えればいいものを、ちょっと名残惜しくなったのは、昨日からの縁を感じていたからかもしれない。
「なんでって……テレビでよくやってるし」
「ふーん」
ありきたりでつまらなかった。オレオレ詐欺をやるようなろくでなしなら、もっと奇抜でこちらが思いつかないような回答が欲しかった。視界の隅にシャンパンの空き瓶が転がっている。私は無性にアルコールが欲しかった。気分を害する仕事のときは現場でも酒やタバコがやりたくなる。
「あんな、京都の人間が考えてることを教えたるわ。あんたら、こっちからお願いして京都に来てもらってるんとちゃう。京都に来たいってそっちが言うから来てるんやろ」
銃を向けられてAが慌てる。
「そうです! その通りです」
私は教師のような気持ちで彼らを諭した。
Aが本当に自分の息を止めようとする。冗談がわからないのだろうか。
するとこちらが思いがけない行動に出た。隠していたスマホで警察に連絡するでもない、隠し持っていた銃で撃つでもない。私に向かって音がしそうなほど土下座をしたのだ。
「思い違いしてん? 謝ってほしくて訪ねてきたんとちゃうねん」
つい頬が緩んでしまう。こういうときにイヤミが出るから、県外の人間は京都人を「いけず」と呼ぶのだろうか。
Aが細い背中を見せていた頃、Bは息も絶え絶えに、私に向かって吠えた。
「おい、おまえに殺されたってな、俺はバケて出て、おまえの娘を犯してやるからな」
ニヤリと歯を見せた。黄色い歯と歯の隙間が血で滲(にじ)んでいた。
私の顔からはきっと、表情というものが消えていただろう。
「ほなあんじょうきばりやす」
【いまわの際で、ふたりへの愛を抱いていたら、それは確実に私だ】
自分はもう助からない。長い時間をかけて甚振(いたぶ)られるより、ひと思いに殺されようとBは決めたのだ。私が冷静さを失い、銃弾が窓ガラスでも割ったらシメたものだ。ホテルのスタッフが駆けつけるかもしれない。
そこまで頭に入れて私を侮辱した。考えすぎだろうか。
Bは安らかな死を甘受できて、笑っているように見えた。私は少し腹が立って、Bの脳天にもう一発、銃弾を御見舞いした。
横でガタガタと震えながらAが叫ぶ。
「お願いです! 何でも言うことを聞きます! 命だけは助けて下さい!」
人は追い込まれるとドラマや映画で見た陳腐なフレーズを口にする。なぜなのか。ドラマや映画と同じように、無惨な死に方しか用意されていないのに。
「お金なら全部あげます! お願いします!」
私はAを見下ろす。それから普段通りに、淡々と仕事をこなした。
部屋を出る際、フロントにAの声色を真似て、「眠いから絶対起こすなよ」とひと言いい残してきた。発見が遅れることで、警察は容疑者を絞ることが難しくなる。
高校しか出ていない私は毎日額に汗して働いた。しかし、金持ちになるにはほど遠かった。顔も良くない、たいした学校も出ていない。これといった特技もない。ひょんなことから今の仕事を請け負い、わずか数日で、一カ月寝ないで働く以上の金を得た。私はそのとき知った。仕事は汚いほど金になる。
もちろんいい仕事ばかりではない。後味の悪さを残すもののほうが多い。
私が死んだら妻と娘は寂しかろう。そうした思いが私に影武者を用意させた。これまで私の代わりに何体が殺されたか。いや、私は本物の山田正義か? コピーのコピーではないか? ならばきっと妻子への愛も劣化してはいないか。
いまわの際で、ふたりへの愛を抱いていたら、それは確実に私だ。
帰宅して玄関の扉を開けると、パンパン! と破裂音がした。
妻と娘は満面の笑みを見せる。その手にはクラッカーが握られている。
「パパ忘れてたん? きょうは結婚記念日やで」
私は妻と娘をハグする。何の矛盾もない。満ち足りた生活だ。ふたりのために、これからも人を殺し続けるだろう。
二人目の殺し屋、山田正義。コードネーム:空蝉(こっさん)
● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補。12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補。13年『タモリ論』がベストセラー。他の著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『無法の世界』、エッセー『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。