2024.07.26
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第3話 その2】
最後の晩餐は牛丼で
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第3話 その2】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/稲田一生 編集/森本 泉(Web LEON)
■ 三人目の殺し屋:Matsuoka Shun(32)
(これまでのストーリーはこちらから)
最後の晩餐はあの子の大好きな牛丼で
翌朝のニュースを見てピンときた。同業者の仕事だ。暴力団が関係しているのだろう。トンズラこくとこうなるぞと、見せしめのつもりなのだ。
たいがいの殺しは死体処理を含む。撃ち殺してすっきり。あとよろーってわけにはいかない。警察発表によると、日本は毎年行方不明者が八万人にも上る。僕調べでは十分の一が裏で殺されている。とはいえ殺し屋はあぶれている。僕が契約している国際的エージェントも、最近はちまちました仕事ばかりだ。
この頃は反社がXで殺人代行業を請け負っている。闇バイトってやつだ。けれどもすぐにバレてお縄を頂戴する。大半が死体処理で足がつく。殺しより難しいのはその後だ。銃殺の場合、刑事が大挙して動員される。その点僕のように、食べ物に毒物を混ぜるやり方は、だいたい変死で済む。
朝食の用意をする。昨日もらった「乃が美」の食パンでフレンチトーストを作った。バターは高いほどいい。バニラエッセンスが隠し味だ。これだけで一流レストランの味に近づく。
血は水より濃いという。だからこそ他人ならば許せることも、身内だと憎悪の炎を燃やす。どうして血を分けた者に限って、憎みやすい形をしているのか。
メモを記憶すると、キッチンで火を付けて燃やした。
Uberの配達員の格好をして、腹を減らした男に丼を持っていった。金はないし、よほど腹を減らしていたのか。男は疑うことなく僕の特製牛丼を食べた。「最後の晩餐はあの子の大好きな牛丼で」という、親からのリクエストに応えた。
よせばいいのにYahoo!ニュースのリプ欄に目を通す。この世の悪意が詰め込まれていた。膝から力が抜けて中古のポルトローナ フラウに座り込んだ。
僕は、世の中を混乱させてるのかな。殺人は「世界平和」じゃないのか。やめろやめろ、考えすぎるな僕。「テキトーに」。呪文を呟く。
今回はOK。でも今後はしばらく休もうと思うんだけど
殺し屋の最大の敵は良心だ。稼いだ分以上のカウンセリング代を払う。
ふう。自分を責めすぎるのも甘えた話だ。そろそろこの業界から足を洗うときかもしれない。いつか原宿に自分の店を持ちたい。そう思ってこの仕事を続けてきた。若いときは、「今から三十分後に三人」とか無茶な仕事を振られることもあった。居酒屋じゃないんだからさ。しかしそれも限界だ。
「재미 있니?(面白いか)」
「そういう問題じゃない」
ドランはしばらくスクリーンを眺めていたが、僕ほど夢中にはなれなかったようで、椅子から立ち上がった。慌てて呼び止めた。
「OKじゃないのか」
「今回はOK。でも今後はしばらく休もうと思うんだけど」
ドランの目がちょっと怖い風に変わった気がした。
「理由を訊いてもいいか」
「高級食パン店が次々と潰れているから」
ドランは何も言わない。同意してくれたかと思いきや、ドランは顔を近づけて囁いた。
「次は、セントル ザ・ベーカリーでいいか?」
「悪りぃ」
「こちらこそ」
拾った紙袋を差し出してくれたのは、あの男だった。目と目が合う。
この男にも全身に走るものがあったのだろう。視線を外そうとしなかった。言葉を交わさずとも、わかる者同士の時間があった。あいにく目の前は交番だった。互いにその場を離れる。おそらくあの男も振り返ることはしなかっただろう。数秒の逢瀬だった。
パンごと棄ててやろうかと考えた。だけどそんなことをしたら連中は地上の果てまで追いかけてくる。それでもいいじゃないか。さっき観た映画のふたりのように、世界の片隅でささやかな悦びを分け合って生きていけるなら。いま自分がそうしたい相手は誰だ。もちろんREIくんだ。彼を連れてどこか遠くの地へ。原宿に店を出す夢は? もうひとりの自分が問いかける。それより愛だろ。また別の自分が囁く。REIくんREIくんREIくん。呪文のように繰り返す。そうしてあの男の顔を打ち消そうとした。
● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補。12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補。13年『タモリ論』がベストセラー。他の著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『無法の世界』、エッセー『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。