2024.07.30
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第3話 その3】
毒殺は世界の暗殺史でもっともポピュラーなものだった
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第3話 その3】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/稲田一生 編集/森本 泉(Web LEON)
■ 三人目の殺し屋:Matsuoka Shun(32)
(これまでのストーリーはこちらから)
毒殺は世界の暗殺史でもっともポピュラーなものだった
エージェントの意図はこうだ。
── ジャン=ルイ・ハネケの機内食に毒を盛れ。
ジャン=ルイ・ハネケが食べるものは二年先まで決まっている。しかし彼でも店を選べないときがある。機内食だ。昨今、日本の航空会社は老舗の料亭と契約して、ファーストクラスの客相手に名店の味を提供している。
とはいえ旅客機に一流シェフが搭乗しているわけではないし、一万メートル上空で調理場はもちろん、ガスコンロも使えるわけがない。よって作り置きの食い物になる。世界的権威のグルマン様も我慢して胃袋に収める。「食い物に毒を混ぜて殺す」というリクエストは、ジャン=ルイ・ハネケに泣かされたレストラン関係者が依頼したものだ。ひとりやふたりでなく、大勢で募ったものかもしれない。
近年、毒殺が脚光を浴びる事件があった。クアラルンプール国際空港で、北朝鮮の第二代最高指導者金正日の長男、金正男がVXガスで殺された。女性ふたりからVXを塗った布で顔面を拭かれた正男は、自分の足でターミナル内のクリニックに向かったものの、直後に口から血と泡を吹いて絶命した。
気晴らしにパリの空気でも吸ってこいというドランの優しさに感謝したい。片道切符なのが気に障ったが。
搭乗手続きを済ませる間際、ジャン=ルイ・ハネケの姿を見つけた。むかし週刊女性で見たときより太っていた。搭乗手続きのアナウンスが聞こえる。そのときだった。スマホが鳴った。
「もしもし、Shunさんですか」
REIくんだった。
「あした、お話ししたいことがあるんですけど、Shunさんのご都合はいかがでしょうか」
僕の作った毒物は無臭のため、少しもビビることはない
ていただろう。しかし電話の主は他ならぬREIくんなのだ。
「なんかお忙しそうな感じがしますけど」
「OK、OK。さっさっと済ませるから」
チェックインカウンターのショーウインドウ越しに、東京発パリ行きのJAL JL45便を睨んだ。
なんてこった。能天気にも気付かなかった。
ファーストクラスは通常、コックピットのすぐ後ろ。旅客機前方の数席しかない。ビジネスクラスを挟み、その他大勢のエコノミーが旅客機の大半を占める。エコノミーにしか座れない安い客は、金持ちファーストに紛れないよう、CAが常に目を光らせている。新幹線のように、自由席の客が誤魔化してグリーン席に腰を下ろすことは不可能。ファーストクラスの機内食のギャレーも前方に位置する。そこまでどうやって潜り込めというのか。
ドランの奴め。
● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補。12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補。13年『タモリ論』がベストセラー。他の著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『無法の世界』、エッセー『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。