2024.08.23
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第4話 その1】
イクときの情けない表情こそ男の素顔
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第4話 その1】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/稲田一生 編集/森本 泉(Web LEON)
■ 四人目の殺し屋:北村みゆき(36)
(これまでのストーリーはこちらから)
国について熱く語りながら、頭の中はセックスと金
つくづく思う。美人に生まれて損した。年がら年中、世界中のどこに行っても男が声をかけてくる。しつこくて嫌になる。処女の頃読んだ作家のエッセイに書いてあった通りだった。
「美人は往々にして嫌な目にあっている」
春樹、あなたは正しかった。美人は人の目を魅きやすい。目撃者が増える。仕事に支障を来しかねない。
この歳になっても男という生き物がわからない。
あらゆる商品の広告を見ていると、女はラブストーリーが好きだと男たちは思い込んでいる。女が四六時中発情期だとでも思っているのか。大人になって驚いたのは、男のほうが寝ても覚めてもセックスのことばかり考えていると知ったときだ。
男はよく口にする。「俺には夢がある」。その夢が例外なく、「いい女とヤリたい」とわかったときの女の失望感を、この世の全男はわかっていない。
国について熱く語りながら、頭の中はセックスと金。世界平和を唱えながら、頭の中はセックスと金。そしていついかなるときも自分の遺伝子データを貯蔵した陰嚢を股の間にぶら下げている。こんな滑稽な生き物は男だけ。
どいつもこいつも滑稽なぐらいハニートラップに引っかかる。これまで何人破滅させてやっただろう。国家機密を知る政治家や軍人をベッドで口説き落としてきた。陰嚢を握り、尻を強く叩けば、奴らは涙ながらに白状した。
振り返れば私がウブだった頃、治療中に太腿を触ってくるオヤジの歯を麻酔なしで抜いたのが始まりだった。
「わしがイケメンだったらお尻を撫でてもセクハラ!って訴えないんだろう?」
指を切り落とさなかっただけでも感謝しろ。
クリニックはクビになったが、自分の嗜虐性に目が覚めた。それからいまの仕事へと繋がっていった。近年は海外を転々とし、数年ぶりに帰国した。
それじゃあベッドで男を満足させることなどできんぞ
SPMはサプリメント・パーフェクト・モデルの略だが、ネットでは「セクハラ・パワハラ・モラハラ」と揶揄されている。表立った問題発言だけでもかなりの数に上る。
「子どもを産むのは女の特権。産まなかったら女の名折れ」(2007年1月、都内の講演で)
「日本は中国、韓国より優れた国。歴史を見ても、遺伝子的にも証明されている」(2015年9月、民放テレビの番組で)
「〝産めよ殖やせよ〟の時代が再びやってきた。日本人の女性は子どもをバンバン産んで育てることで国家に貢献するべき」(月刊誌の寄稿で)
他にも秘書へのセクハラ、部下がいじめにより自殺と、週刊誌がいくら悪事を白日の下に晒そうと、株主も容認しているのが現状だ。民放テレビ局にとってSPMは大口スポンサーのためワイドショーで取り上げることはない。良識派がネットで不買運動を訴えようと、「あの人はそういうもの」と大多数の世間は慣れっこになり、失脚しなかった。
私は中田高文が馴染みにしている銀座の会員制バー「Pink + White」にホステスとして潜り込んだ。ここに至るまで困難な道のりだった。嘘の履歴書と金とコネ。私は元・赤坂の人気ナンバーワンの夜の蝶として、この店に引き抜かれた。
「Pink + White」には政治家、歌舞伎俳優、テレビの司会者と、なるほど、各界の大物が毎夜集っていた。中田会長が現れると、店は一層の活気を帯びた。
「ママ、しばらくだったね」
「やだわ。昨日来たばかりじゃない」
元子ママに店を持たせたのは中田会長だという。
別室のVIPルームに赴くかと思いきや、店内中央のラウンジに腰を下ろした。「総理の椅子にもっとも近い男」と言われる政治家が中田会長に歩み寄っていった。タカ派と呼ばれる彼はマスコミの前でも常に強気の姿勢を崩さない。しかし中田会長の前では慇懃に頭を下げた。歌舞伎俳優も後に続いた。彼も中田会長をパトロンにしていた。
「大臣に失礼だろ。いちばん上等のものを持ってこいよ」
「おまえは火の付け方もわからんのか。それじゃあベッドで男を満足させることなどできんぞ」
中田会長は店にいる間、ずっと命令口調だった。
元子ママに呼ばれた。私は別のテーブルで直木賞の選考委員から「俺の手相はよく当たる」と、べたべた手を握られていたところだったので助かった。
「会長、新しい子が入ったんです」
「初めまして、ケイです」
私は中田会長にお辞儀をした。この日の私の着物は深い黒地に菖蒲の花々が流れるように咲き誇っていた。丁寧で細かい柄ゆきに、帯は金と白の青海波が調和する。メイクは清楚系で。中田会長は品定めをするように私を見ていた。
「名前は」
「ケイです」
「出身は」
「埼玉です」
嘘で固めたプロフィールを並べる。NYなんて正直に答えたらたいがいの男は引く。埼玉と聞けば優越感に浸れるだろう。男はいつだって女に威張っていたい、マウントを取りたがる生き物だ。
「ずいぶん男を知ってそうだな」
元子ママが口元を押さえて笑う。
「イヤだわ、ケイちゃんは生娘なんですよ」
中田会長がセラミックの前歯を剥き出しにする。私もあわせて笑う。バカかこいつら。
「本当かどうか試してみないとな」
隣の政治家が太鼓持ちよろしく、手を叩いて騒ぐ。
中田会長には元子ママを含むホステスを持ち帰る優先権がある。
「その日が楽しみだな」
中田会長はガハハと笑い飛ばした。
● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補。12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補。13年『タモリ論』がベストセラー。他の著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『無法の世界』、エッセー『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。