2024.10.29
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第6話 その2】
逃げろ。月の裏側でもいい
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第6話 その2】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/久 修一郎 ヘアメイク/勝間亮平 編集/森本 泉(Web LEON)
四人の殺し屋に舞い込んだ仕事はなんと現職総理大臣・源氏欣一朗の暗殺だった。しかもその計画はすでに政府の知るところとなり四人を始末するために"最後の伝説"と呼ばれる殺し屋イタミが雇われたという。
(これまでのストーリーはこちらから)
こいつは一度ヘマを犯している
「オリンピックに殺人部門があったら、俺はメダルを幾つ獲っていたかな」
親父にしてはめずらしく軽口を叩いているなと思った。おそらくは前日に同業者がアフリカにある小国の独裁者を暗殺したことに嫉妬していたのだろう。
ヴィットリオは呆れつつ、「この子はいいな」と少年の俺を褒めた。
「さっきも3秒間にSPを7人射殺した。反応、瞬時の判断力、動きの無駄のなさ。まるで若いときのおまえさんのようだ」
俺は得意満面だった。しかし親父はフンと鼻で嗤った。
「いいものは持っている。だが、決定的に足りないものがある。俺たちの仕事に大事なのは学習だ。一度やられたことは二度とやられないのはもちろんのこと、やられたことを自分のモノにする。そいつが重要だ。こいつは一度ヘマを犯している。俺とメシ中に気を抜いて、首にナイフを突きつけられたことに気が付かなかった。こいつはあれもこれも全然足りない」
親父が言うや、ヴィットリオの顔色が赤ら顔から青褪めたものに変わった。
俺がテーブルのフォークをオヤジの喉元に突きつけていたからだ。
「俺に何が足りないって?」
親父は嬉しそうな顔を見せた。俺も微笑んだ。もっとも、次の瞬間にはフォークを奪われて太腿を突き刺されたが。
親父の右腕がないのは、イタミにヤラれたからだと
俺がその名を口にした途端、彼の陽気な顔が曇った。
「ヒロシ、外の空気を吸いに出ようか」
介護士は気を利かせてヴィットリオにブランケットを渡す。要らないと知りつつ、彼は受け取る。
介護士に代わって車椅子を押す。見晴らしのいいベランダに出た。辺りに人気はない。
「むかし、イタミについて話したことを覚えているかい。国籍も年齢も一切不明。目撃した者はこの世にいない。まるで都市伝説だと思った。でも親父は涼しい顔で言った。『ワシは見たことがある』と」
ヴィットリオは薄く頷く。
「そのとき知ったんだ。親父の右腕がないのは、イタミにヤラれたからだと」
何も知らない四十雀がベランダの手摺りに止まって、ツツツピーと小さく鳴いた。エサがないとわかると、どこかに飛んでいった。
「意外だった。『俺の右腕の仇を取れ』ぐらいは言うものだと思っていた。ところが親父の口から出たのは、『あれだけは敵に回すな』、だった」
「イタミは、裕福な家の子息だったと言われている。矛盾と理不尽だらけのこの世界に、激しい理想を持っていた。最初のうちは個人的なテロを重ねていた。多くの人が誤解しているが、テロを行う者は貧しい家の出ではない。
後の昭和天皇をステッキ銃で狙った難波大助、9.11を強行したウサーマ・ビン・ラーディンなど、古今東西お坊ちゃまばかりだ。その心理は測りかねるが、おそらくは選挙で投票するような気持ちでミサイルを飛ばし、爆弾を仕掛けたのではないかな。しかしあるとき、『世界は変わらない』と絶望し、殺しを生業にするようになったのだと思う。推測の域を出ないが」
パーティーの最中にハンカチーフが届いた
「この手の話には尾ひれが付きがちだ。数々の伝説について話半分に聞くべきじゃないか」
ヴィットリオは首を横に振る。
「イタミの場合、我々が聞いた伝説はすべて真実だ。ボクの故郷、シチリア島のマフィアがイタミに仕事を依頼した。しかし連中はイタミの機嫌を損ねた。大方、報酬を値切ったのだろう。組ごと潰された。ボクが言うのも何だが、イタリアンマフィアは泣き寝入りしない。NYの分派が今度はイタミにウズベキスタンへの派遣を要請した。憎い刺客が高飛びしたとか何とか理由を付けて。
イタミがウズベキスタンの地に降り立ったその日、ロシアが原爆を投下した。旧ソ連の時代からロシアはウズベキスタンの国民には知らせないまま、核実験を続けていた。イタミがいた場所は爆心地から四キロだった。NYの分派は年代物のワインを開けて乾杯した。
パーティーの最中にハンカチーフが届いた。イタリア人にはタブーなことだった。『涙を拭くような悲しいことが起こる』という意味だから。一週間後、NY分派の全マフィア、その親、兄弟、妻、子ども、愛人、金を借りた奴、貸した奴、みんなみんな殺された。大きなハンカチーフでは足りなかった」
「ヴィットリオ、あんたもその分派のひとりだったと?」
彼はその問いにすぐには返さない。イタリア人特有の大きな鼻で静かに、深く息を吸い込んだ。
彼のいまはもう無い両足が、如実に物語っていた。
ヴィットリオは妻と子を惨殺され、仕事も引退を余儀なくされた。
「ボクはイタミに会ったことはない。会っていたら今ここでヒロシと話はできなかっただろう。生き残ったとはいえ、その代償は高かった」
「ヒロシ、奴は本当に“最後の伝説”なのだ。プライドを棄てろ。逃げろ。月の裏側でもいい。ボクのようになりたくないなら」
ヴィットリオは俺の手をぽんぽんと叩いた。
● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補。12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補。13年『タモリ論』がベストセラー。他の著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『無法の世界』、エッセー『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。