2024.10.31
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第6話 その3】
"最後の伝説"あらわる
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第6話 その3】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/久 修一郎 ヘアメイク/勝間亮平 編集/森本 泉(Web LEON)
四人に舞い込んだ仕事はなんと現職総理大臣・源氏欣一朗の暗殺だった。しかもその計画はすでに政府の知るところとなり四人を始末するために"最後の伝説"と呼ばれる殺し屋イタミが雇われたという。
(これまでのストーリーはこちらから)
もしイタミが家で待ち伏せしていたら
六本木に戻った後も自宅マンションではなく、ヒルズに寄り道した。タイズ・ホスピスを訪れたときは、管に残った体液が太腿の内側を濡らしていたが、それもとうに乾いていた。恋人たちや家族連れを眺めながら、ひとりベンチに座って考えた。
ヴィットリオの元を訪れたことを後悔していた。成果はなく、イタミの幻想を強固にしただけだった。
すぐに自宅のベッドに転がらなかったのには理由がある。妄執に囚われていた。もしイタミが家で待ち伏せしていたら。奴と戦う前からすでに呑まれていた。この家業を継いでから初めてのことだった。ヴィットリオは言った。
「いつイタミがやってくるかと、今もビクビクしながら生きている。このホスピスのセキュリティはハード。蟻一匹通さない。スキャンダルを暴かれた政治家、命を狙われた大物ヤクザが逃げ込んでくるほどだ。だからといってボクが枕を高くして眠ることはない。イタミは手段を選ばない。彼がいつ枕元に立つか。ボクは楽しみにしているんだ」
コーヒーはとうに冷めていた。目の前の人々は笑顔で、幸せを享受していた。
間違いない。狙いは最上階だった。地を揺るがすほどの爆音とともに俺の住処は倒壊した。けやき坂通りを挟んで鉄筋コンクリートの破片が雨霰と降り注ぐ。阿鼻叫喚が木霊する。スクリーンでしか見たことがないような光景が目の前で繰り広げられた。頭から血を流しながら男が倒れる。逃げまとう人たち。取り残されて泣く子ども。炎を上げながらビルの骨組みが剥き出しになる。すべて現実だった。一瞬にして楽園は地獄絵図と化した。
ヒルズアリーナのガラス屋根が崩れて女たちを押し潰していた。俺は手を伸ばして助けたが、腰から下がすでに無かった。何処も彼処も人々が金切り声で泣き叫んでいた。後から振り返れば俺は彼らに救いの手を差し伸べるのではなく、全力でそこから離れるべきだった。けたたましいエンジン音を立てて、通りの向こうから十トントラックがやってきたときは、すでに遅かった。
トラックはスピードを緩めることなく、居合わせた人たちを次々と撥ねた。男も女も大人も子どももペットも平等に、大型タイヤの餌食になった。
運転席にイタミがいた。鋭い眼光に、心は射貫かれそうだった。
暴走トラックはぐんぐん突き進み、容赦なく家族連れを薙ぎ倒した。ヴィットリオの言葉を思い出す。
──イタミは手段を選ばない。
その箴言が俺に襲いかかろうとしていた。
これは失敗だった。イタミにとって俺は袋のネズミになった。振り返る必要はない。ショーウインドウにイタミがトラックから身を乗り出し、ロケットランチャーを肩に担ぐ姿が映る。
ミサイルが発射された。俺は地べたにうつ伏せて、頭部を手で覆った。ロケットが頭上を掠める。軌道が逸れ、一階のショーウインドウを突き抜けると、66プラザの村上隆の金のオブジェに命中した。
木っ端微塵に壊れる。俺はガラスの破片で敷き詰められたビルの中を駆け抜け、森タワーの外に出る。俺を追いかけてトラックが中に突っ込んできた。今度は奴が袋のネズミと転じる番だった。
「アスタラビスタ、ベイビー」
護身用に持ち歩いていた手榴弾をトラックの下目がけて放り込んだ。俺のコントロールは正確だった。トラックが大爆発を起こす。爆風で俺を六本木通りまで吹き飛ばすほどだった。
こうして“最後の伝説”は最期を遂げた。無限の瓦礫の山の下に。
軽く見積もっても数百人の死者。数千億円の損害。それでもこの世にひとりだけの尊い俺が生き残ったのだからヨシとしよう。
しかし俺は見た。目を疑った。砂埃がもんもんと立ち込める中、ゆっくりと、されど確かな足取りで、奴は歩いてきた。俺のほうに向かって。
先手必勝とばかり銃で撃った。効かなかった。ビル倒壊の際、瞬時にクッション代わりにした人間を今度は盾として使っていた。男の両目は飛び出し、胸筋は血塗れで肉が裏返っていた。百年使った防災頭巾もかくはあるまいとばかりのズタボロだった。
俺は撃った。撃ちながら逃げた。市街戦の経験は豊富だが、ヘルメットも防弾チョッキもない中では初めてだった。
イタミのマシンガンは俺のそばの通行人を撃ち抜く。路上に骸が転がった。
目指す場所はひとつしかない。
銃弾が頬を掠める。ありもしない神に祈る。今後はおとなしく、いい子になりますからと。
黒と白とグレーのモザイクビルが視界に入る。人生最高速度でダッシュする。
玄関前の立ち番が驚きを隠せない。何事かと木の警杖を振り上げる。次の瞬間、立ち番の顔面は吹き飛ばされた。その間隙を縫ってガラス窓の玄関を潜り、転がり込む。
俺は麻布警察署に投降した。恥も外聞もなかった。
ピーポくん、笑顔で出迎えてくれ。
● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補。12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補。13年『タモリ論』がベストセラー。他の著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『無法の世界』、エッセー『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。