2024.12.09
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第7話 その1】
アニキ、この座布団を使ってください
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第7話 その1】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/久 修一郎 ヘアメイク/勝間亮平 編集/森本 泉(Web LEON)
時の首相暗殺を請け負った四人の殺し屋を始末するため政府が雇った最強の殺し屋イタミが始動。ヒロシの住む六本木ヒルズレジデンスはミサイル攻撃で一瞬にして廃墟に。狙われたヒロシは命からがら麻布警察署へと投降した。
(これまでのストーリーはこちらから)
地下鉄サリン事件を超える、戦後最大のテロ
取調室の机で俺は片肘をつきながらとんかつを頬張っていた。生還して一発目の食事はハイカロリーと決めている。箸を進めつつ、サイレンが鳴り止まない。取調室の外の喧噪が否が応でも聞こえてくる。おめでたくも国が雇った暴力団は商売繁盛のようだ。
ノックもせずに見窄(すぼ)らしい頭部の男が入ってきた。部屋の警官が敬礼する。男はデスクを挟んで俺の前の椅子にどかりと腰を下ろした。
「そりゃね、困ったことがあったらいつでもお訪ね下さいって言ったよ。だからってさ、こんなクソ忙しいときに来なくてもいいんじゃない?」
まるでむかしからの友人のような気安さで四方田刑事は話した。
「ごちそうになりにきた」
俺は丼を軽く持ち上げる。ツユがよく染み込んだメシを掻き込んだ。
「いまこの街には世界中のマスコミが集結している。テレビとネットは、『地下鉄サリン事件を超える、戦後最大のテロ』とお祭り騒ぎだ」
「何かあったんですか」
俺はとぼけて味噌汁を啜った。四方田は苦々しい表情で事情を説明した。
「ヒルズとここら一帯の監視カメラがすべて切られていた。ありえるか? いったい何が起きたのか。誰と誰が追いかけっこをしたのか、まるっきりわからない」
「そんなことってあるんですね」
「おっと。良識ある市民に暴力を振るっていいのかな。第一、この建物の壁一面ぐらいは俺の血税で建てられたものだぜ」
そんなわけはない。しかし四方田は渋々テープ台を下ろした。
「生存者の目撃情報をかき集めているが、いかんせん皆興奮状態だし、現状が受け入れられずにいる。そりゃそうだ。まさか六本木に遊びにきて、ミサイルとビル爆破と暴走トラックと銃乱射に巻き込まれるなんざ思わないよな」
「シリアは毎日がそうだった」
俺は見てきたままのことを言ったまでだった。四方田は歯軋りで、火を起こせそうなほどだった。
「デカい口を叩くな。命からがらウチに逃げ込んできやがって」
「そういう言い方も、世間にはあるらしいな」
四方田はまた溜め息をつくと、頭を両手で抱えた。いちいちわざとらしかった。
「あんたがお隣さんのせいで、おいらは宿無しだよ。ったく。まあしばらく泊まっていくんだな。カツ丼でも豚の生姜焼きでも好きなもんを食ってけ。ただし自腹でな」
四方田は立ち上がる。背中に向けて俺は訊ねる。
「ひとついいか。雑司ヶ谷にある介護施設に古い友人がいる。無事か」
沈黙の後に、奴はひとこと言うと出て行った。
「全滅」
俺は味噌汁を残した。
戦場に咲いた二輪の大花を思わせる乳房
留置場には俺以外に三人の男が勾留されていた。ポン引きとヤク中と男娼で、全員ヒモだった。通常、この手の場所は古くから入っているほうがデカい顔をしがちだが、三人とも謙虚な人たちで、スナック菓子やらマンガ雑誌やらを惜しみなく俺にくれた。断る筋はないので遠慮なく頂いた。これまで泊まったホテルの中で最低ランクかと思いきや、おもてなしは悪くなかった。
「アニキ、この座布団を使って下さい」
むくつけきスキンヘッドの男が俺に差し出す。
「おまえのだろ。いいよ」
「いや、自分はアニキに使ってほしくて」
「そうか。悪いな」
「いえ」
はじめからこんなに素直なら、前歯を折られることもなかったのに。
「おい」
俺の呼び声に、ポン引きとヤク中と男娼がビクンと反応する。
「おまえら足崩せよ」
目の下にクマがある、痩せた男が答える。
「いえ、自分は正座が好きなんで」
「はい」
ダンサーみたいな顔立ちの男が頷く。三畳しかない部屋なのに、俺に好きに使って下さいと言う。自分たちは立って寝るそうだ。人の優しさがしみた。鉄格子の中とはいえ友情っていいなと思った。もう暴力はやめようと固く誓った。
九時には消灯になった。俺は横になり、真夜中の天井を眺めながら、きょう一日のことを反芻していた。「定期検診」、古い友人、命を狙われ、シメは留置場。長い一日だった。身柄の安全は確保されたし、ぐっすりと寝ていいはずだった。けれどもどうしても気がかりなことが頭から離れなかった。
ヒルズで俺は〝最後の伝説〟と対峙した。奴はマスクで顔を隠すことなく、堂々と殺戮ショーを愉しんでいた。
顔を見た。最初のうち、俺は見間違えているのかと思った。こんなことがあるのだろうか。
キリッとしつつも憂いのある眉と目。いくら荒もうと隠せない、潤んだ口唇。戦場に咲いた二輪の大花を思わせる乳房。
〝最後の伝説〟マルコ・イタミは、女だった。
● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補。12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補。13年『タモリ論』がベストセラー。他の著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『無法の世界』、エッセー『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。