2024.12.13
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第7話 その3】
死んだはずの妻がそこにいた
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第7話 その3】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/久 修一郎 ヘアメイク/勝間亮平 編集/森本 泉(Web LEON)
時の首相暗殺を請け負った四人の殺し屋を始末するため政府が雇った最強の殺し屋イタミが始動。ヒロシの住む六本木ヒルズレジデンスはミサイル攻撃で一瞬にして廃墟に。狙われたヒロシは命からがら麻布警察署へと投降した。
(これまでのストーリーはこちらから)
ウエディングドレスのままみゆきは下から腰を振った
ベッドの主導権争い、一進一退の攻防、華麗なるグラウンドテクニック。得意技、秘技の応酬。俺は風車の理論を実践した。みゆきが三の力を出したらこちらは五。六の力を出したら七。九まで引き出したところで十で仕留める。フィニッシュホールドでみゆきはベッドに撃沈した。名勝負数え歌はのべつ幕なし続いた。
── いま自分が見ている太陽は朝日なのか夕焼けなのか。
合宿も後半からは昼夜の区別がつかなくなった。両者ノックアウト。つながったまま、ふたりとも眠りに落ちた。
こうした頑張りが認められたのか、みゆきは俺をセフレ筆頭に昇格させた。
身も心も意気投合した俺たちは、どちらかの仕事が海外であれば付いていき、現場を愛液で汚した。文字通り、世界を股にかけた。出会って一カ月後、地中海でふたりだけの式を挙げた。ウエディングドレスのままみゆきは下から腰を振った。
卑近な例えになるが、セクシー女優と男優が撮影現場で知り合い、互いのテクと信条にリスペクトして結婚するのに近いかもしれない。だがしかし、俺は煩悶懊悩していた。
最初のうちは「同業者だからわかりあえる」と思っていた。みゆきは「結婚しても仕事を続けたい」と言い、俺は物わかりのいい夫を演じた。けれども妻がどこぞの男を腹上死させるとか、やっぱりヤなわけだ。
殺しもAVも一緒。結婚したら女のほうは辞めてもらわないと。仕事とはいえカミさんが乱行プレイとか勘弁してくれって思うだろう? だけどみゆきは俺のお願いを聞き入れてくれなかった。
旅の間、みゆきの機嫌は悪かった。船旅なのにリラックスできない。標的が現場から逃げようがないとはいえ、常に動向をチェックしなければならない。さっさと決めてしまいたかったが初日で殺ったら翌日には日本の船着場に戻ることになる。乗員乗客は全員容疑者になるため港に最低でも三日は停泊する。軟禁状態のままモルディブまで行けなくなる。
俺たちはしばし堪えた。それでもまだこのときは船首に立ち、タイタニックごっこをして遊ぶゆとりがあった。
肉欲三昧のハネムーンを期待していたにもかかわらず、みゆきは「ワーク中よ」と、俺を拒否した。仕事にマジメなのも考えものだと思った。
モルディブ王子の異母弟は警備が手薄で、みゆきは容易に近づけた。彼女の色仕掛けを横目に、腹が立つやらナニが立つやら。指を銜えて見ていた。
「おい、まさかあいつとヤラないだろうな」
みゆきは答えない。気が狂うかと思った。
花嫁はヘリコプターで海の彼方へと消えて行った
三日目の朝に凪が訪れた。連絡が取れたヘリコプターがお出迎えにきた。モルディブ異母弟を救いに五百海里を飛んできたのだ。
プロ根性の塊のようなみゆきが、目の前で標的を逃すわけがない。彼女はモルディブ異母弟に手を挙げて叫んだ。
「Take Me!」
俺は訊きたい。新婚旅行で花嫁に他の男とヘリコプターで去られた新郎がいるか?
ヘリコプターが海の彼方へと遠ざかる。見るものすべて大きな朝日の光に呑み込まれていた。それが生きたみゆきを見た、最後になった。
二週間後、ひとりで珊瑚礁の海辺を歩いた。貝殻に耳をあて、愛する者の声を聞いた。仕事を終えたらすぐに俺の元へ、あの笑顔でやってくると言い聞かせた。しかしみゆきがモルディブの海辺に足を濡らすことはなかった。
俺は日本に帰国した。みゆきとまったく連絡が取れなくなっていた。エージェントがやってきて、映画の重要な端役のような顔で、彼女の死を告げた。陸地に上がったその日のうちに、みゆきは仕事を遂行した。しかし事を焦ったのか、護衛に囲まれて心臓に銃弾を喰らったという。無惨な写真を見た。
俺たちのタイタニック号は沈没した。ディカプリオだけを残して。
「アニキ」
ポン引きが俺の顔を見て驚く。俺が泣いていたからだ。
なんであいつの夢を見たのだろう。そうだ、匂いだ。俺はむかしから鼻が利く。懐かしい匂いが署内に漂っていた。マリリンと同じ、あいつの好きだったシャネルN° 5。
「ちょっとぉ、いいかげんシャワーを浴びたいんですけど。チェントンツェのオーガニックエクストラバージンオリーブオイルを用意してくれない?」
── まさか。しかしこの声、聞き違えようがない。
ヤク中と男娼が俺に話しかける。
「気になりますか。奥の通りは女性専用の留置場です」
「アニキがここに来る前日、おかしな女が入ってきたんですよ」
「ここの前を通るとき、ちらっと見たんですが、すげえ美人でした。セクシー女優レベル」
「でもチョー気が強そう」
奥の留置場の鉄格子が開く。警官の後を、細い靴音がした。こちらに近づいてくる。
俺は立ち上がり、鉄格子を握り締める手に力が入る。
女が目の前を横切る。俺は最愛の女の名を呼ぶ。
「……みゆき!」
彼女が振り向く。俺と目が合う。立ち止まり、驚いた顔をする。
「ヒロ……!」
警察署は人間交差点。死んだはずの妻がそこにいた。
● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補。12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補。13年『タモリ論』がベストセラー。他の著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『無法の世界』、エッセー『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。