2025.03.27
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第9話 その2】
私は自分の迂闊さを悔いた
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第9話 その2】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/久 修一郎 ヘアメイク/勝間亮平 編集/森本 泉(Web LEON)
時の首相暗殺を請け負った四人の殺し屋を始末するため政府に雇われた刺客"最後の伝説"イタミがついに現れた。自由を奪われたヒロシは凌辱の限りを尽くして甚振(いたぶ)られたが、見窄(みすぼ)らしい頭をした刑事によってShunのもとに連れてこられた。
(これまでのストーリーはこちらから)

【10】 Matsuoka Shun(続き)
百メートル先まで“俺は殺し屋です”ってバレすぎ
特製のスープとサラダとブレッド。ヒロシは少しずつスプーンを動かしてくれた。
「なかなかうめえじゃん。あんちゃんやるな」
四方田が褒めた。おまえのために作ったんじゃない。けれどもヒロシは口数が少ない。無理もない。心身ともにダメージが大きいのだろう。
そこにドランから電話があった。よほど急な用件だろう。僕は席を立って隣の部屋に移ろうとした。
「構わねえよ、出ろ」
ヒロシが言う。四方田もこっちを見る。
「気にすんな」
気にするよ。僕は渋々スマホを耳に当てた。
「Shun、話したいことがある」
「ごめん、いま人がいるんだけど」
「錐縞(きりしま)ヒロシと四方田刑事だろう。構わない。スピーカーにしろ」
驚いたがその通りに従った。
「依頼者から招集が掛かった。今回の件で声をかけた者を一堂に集めたいらしい」
長年殺し屋をやってきたが、聞いたことのない話だった。それに困った。ヒロシはともかく、そばに警察のイヌがいるのに。
「追って連絡する。72時間以内と思ってくれ」
ぶっきらぼうに電話は切れた。

「源氏首相を暗殺する件だろう」
これには僕もヒロシも目を剥いた。
「俺に依頼があったわけじゃない。でもこういう話は広まりがちだ。俺たちの業界はこう見えておしゃべりが多いしな」
“俺たち”?
四方田刑事は衒いも無く言った。
「俺もたまにやってるんだ。おまえらと同じ仕事を。バイトで」
さすがこれにはあきれた。国家公務員じゃないのか。
「わりと多いよ、うちの業界。代々引き継がれるんだ。実入りのいい副業だから、公務員でもヒルズレジデンスの最上階に住める」
四方田は楊枝を銜(くわ)えながら立ち上がる。
「でも今回ばかりは俺もこれ以上深入りしない。協力をお願いされても断る。おまえらで何とかするんだな」
四方田は部屋のドアまで来ると振り返った。
「錐縞、おまえは俺に3つ借りがあるからな。俺の億ションを木っ端微塵にしたこと。俺のおかげで命が助かったこと。もうひとつ、カツ丼をごちそうになったこと。ヤマが済んだら耳を揃えて返しにこい」
ヒロシは四方田を黙って送り出す。四方田がもう一度振り返る。
「あ、あとおまえ、ちょっと空気出しすぎだぞ。百メートル先まで“俺は殺し屋です”ってバレすぎ」
僕は玄関まで四方田を見送った。四方田は、あ~あ、署には何て説明しようかな。あ、もうないんだったと、ひとりごちていた。
ヒロシのボディは、彼の履歴書そのものだった
「ダメだよ、安静にしてなくちゃ」
「トイレだ」
僕は肩を貸してあげた。今のヒロシには屈むことも難儀だ。ガウンを捲ると鮮血で汚れていた。ヒロシはトイレをやめて家の中を歩き出した。
「ちょ、ちょっと何」
タンスの奥に隠したとっておきの裏本「ハリウッドスター 性器の写真集」が見つかったらヤバいと慌てた。ヒロシはスタンドミラーを見つけた。うちにあるのは僕の仕事柄、縦にも横にも大きなものだ。
「ヒロシ」
声をかけた。ヒロシはするするとガウンを下ろした。ここまで全身傷だらけの肉体を見るのは初めてだった。ヒロシのボディは、彼の履歴書そのものだった。見蕩れていると、突然四つん這いになった。やだ。思わず声が出た。
ヒロシはよせばいいのに、鏡に映してズタボロにされた自分のそれを見ていた。指で開くと、低い呻き声を出した。何を考えているのか、じっと見ていた。
しばらくすると徐(おもむろ)に立って、ガウンを着直した。黙ってダイニングキッチンに戻った。
僕は見逃さなかった。彼は涙を堪(こら)えていた。おめおめと、頬を涙が伝うのを堪えていた。

【11】 山田正義
しばらくそこに立ち尽くしていたが、時間の無駄なのですぐにお暇(いとま)した。こうした合理的なものの考え方は、京都人のものか、生来のものやろか。私はその場を離れた。
「パパ」
リッツ・カールトン京都で待機していた妻と娘が青ざめていた。私が戻ってくるまで絶対にドアを開けないようにときつく言っておいた。それでもニュースを見たのだろう。ふたりは私にしがみつくように泣いた。
「なんで、なんでこんなことに?」
真規子は当然の疑問を発した。私は黙っていた。
「パパのお仕事と関係ある? それでお家を燃やされたのと違うの」
勘のいい子だった。私は上手な嘘をつくしかなかった。
「お父さんの仕事は恨まれることもある。だからといってお父さんはなんも悪いことなんかしてへん。それは信じてな」
「ほんま? 私とママに嘘ついてへん?」
真規子が目に涙をいっぱいにして訊ねる。
「パパが嘘をつくもんか」
私は家族のために誠意を持って嘘をつく。ふたりが騙されたふりをしてくれたことに感謝した。
殺し屋はやめてくれと懇願するほど嗜虐心を煽られる
「たまには外でお泊まりしようか」
ふたりは疑うことなく喜んだ。帰るべき家が無くなるとは思ってもみなかっただろう。
セキュリティがしっかりしたホテルに泊まった翌日、自宅が爆破された。
現金と武器はレンタルスペースに置いてある。とりあえず最悪のケースは逃れた。しかし家から遺体が発見されなかったことを敵が知ったら、次も手段を選ばずに同じことを繰り返すだろう。
私は自分の迂闊さを悔いた。どうして源氏首相の暗殺依頼を受けたと同時に、妻と娘を海外に避難させなかったのか。今となっては遅すぎる。空港に着く前に殺られる可能性が高い。それ以前に、ホテルごと焼き討ちにあうかもしれない。
「お父さん、何考えてる?」
デスクで考え事をしていた私に真規子が声をかける。その声は俄(にわか)に怯えている。事件を知ってからというもの、怖がって部屋から出たがらなくなった。エグゼクティブルームを避難所だと思っている。私は努めて笑顔を忘れないようにした。しかし考えていたことは、燃えさかる自宅からの帰り道、遠回りをして何度も後ろを見て確認したつもりだったが、誰かにあとを尾けられていないだろうかということだった。
もし、もしも誰かの手によって、私だけが殺されるならば構わない。もっとも高額の生命保険に入っているので、妻と娘が路頭に迷うことはない。しかし殺し屋は無慈悲な生き物だ。常在戦場で、女子どもを犯してもいいと思っている。やめてくれと懇願するほど嗜虐(しぎゃく)心を煽られる。私がそうだったように。
「お父さん」
真規子が言う。私はソファから立ち上がった。ドアを開くより先に、妻と真規子をバスルームに呼び寄せた。
「いいからこっちへ」
ふたりが背中を向ける。私は後ろから彼女たちの喉元を掻っ切った。

● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補、12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。最新刊『無法の世界』(KADOKAWA)が好評発売中。カバーイラストは江口寿史さん。
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