2025.04.09
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第10話 その2】
手段は選びません
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第10話 その2】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/久 修一郎 ヘアメイク/勝間亮平 編集/森本 泉(Web LEON)
源氏首相の暗殺を依頼したのは徳川財閥十三代の三女躅子(ふみこ)様だった。都内一等地の豪邸に集められた殺し屋たち。そこで聞いた首相の命を奪わねばならない驚きの理由とは?(これまでのストーリーはこちらから)

【15】
紙切れ一枚の話だと思われるでしょう
躅子様がいったん下がる。車椅子の女性を押しながら再び現れた。そこに座っているのは息をのむほど美しい、けれども薄幸そうな女性だった。
「彼女の名は、白冰冰(パイ・ヴィンヴィン)。中国、台湾、韓国、日本の血が流れています。生まれ育ったのは日本です。国連の職員として働いている時に知り合いました。いまは御覧の通り、意識が回復しておりません。私たちが過ごし、出会ったこの国で結婚できないと絶望して、自殺を図りました。一命は取り留めましたが体調は思わしくありません。病院に運ばれた際、後天性の難病であることが判明し、もってあと数年とお医者様から宣告されています」
きょうは沈黙の多い日だ。こんなとき何をどう言ったらいいのか。だけどこんな時に何をどう言うべきかわかる人って、どんな人なのだろうと思う。
「紙切れ一枚の話だと思われるでしょう。ですが私と冰冰は、同じ戸籍に入りたいのです」
Shunがおずおずと言う。
「あの、選挙で投票するのはどうでしょう。政権が変わったら、法律も変わるかもしれません」
「バカ。何年かかると思ってんだよ」
私はツッコむ。躅子様は優しく微笑む。
「私は政治的発言を控えるよう周囲から厳命されています。皆様のことが羨ましいです。デモに参加できる自由が与えられているのですから」
Shunが前のめりになる。
「時間の猶予もないんですよね。ふたりでこの国を飛び出しちゃうのは?」
「それができたらどんなに楽でしょう」
Shunは涙目だった。すっかり感情移入している。

この世の女をおまえはみんな知ってるのか
ヒロシがようやく口を開く。
「源氏首相ひとりを殺ったところで、同性婚が認められるようになるかな。今後も自民党政権は続くし、源氏の後釜も似たような考えの政治家が継ぐことになるんじゃないか」
鋭い発言だった。しばらく会わないうちに賢くなったようだ。
「そこです」
躅子様の目が鈍く光った。
「追加のお願いがあります。源氏首相のほかにも抹殺していただきたい人物がふたりいます。
ひとり目は、そう遠くない将来、源氏首相が退いた後、院政を敷くため自分の派閥から後継者を選抜するでしょう。その筆頭が石井晴子官房長官です」
ヒロシはひゅーっと口笛を吹いた。
石井晴子。十年ほど前から拉致問題特別委員会委員長として大きく名前を売ってきた。「靖国神社に参拝する女性議員の会」の会長を務め、毎年終戦記念日には先頭に立つ姿が映し出される。防衛大臣の時には、尖閣諸島に違法操業した中国漁船の撃破命令を出したことで物議を醸した。将来的には徴兵令復活を呼びかけていて、所謂ネトウヨからは絶大な支持を集めている。
「日本の母」を名乗り、災害があれば炊き出しの陣頭指揮を執る慈善家の顔を見せる一方で、首相以上にゴリゴリの改憲論者。疑うまでもなく思想的に問題のある人物だ。政府のスポークスマンとしてニュースやワイドショーで見ない日はない。パフォーマンス大好きの目立ちたがり屋。
「この国初の女性総理大臣。ありえますかね」
躅子様は力強く頷く。
「官房長官はよく〝総理の女房役〟と言われますが、石井さんは源氏の愛人です」
以前から噂には聞いていた。躅子様が断言するからには間違いないだろう。
「石井さんは露見したほうがいいと思っているフシがあります。源氏首相を離婚させて、自分と再婚させたいと」
「女って怖いわ」
Shunが言った。私はこいつの椅子の脚を蹴飛ばした。
「おい。〝女〟って何だよ。この世の女をおまえはみんな知ってるのか。〝女〟をひと括りにするな」
発言の主はヒロシだった。Shunが謝る。躅子様が小さく笑う。私の知っているヒロシではない。
「もうひとりは夏田銀二。月心党の幹事長です」
これは意外な名前だった。自民党と月心党が連立政権を担って久しいが、てっきり名前を挙げるのは、月心党の代表か、支持母体である宗教団体の関係者かと思ったら、〝月心党のラムズフェルド〟とは。
「ご存知の通り、彼もリベラル層から評判の悪い男です。〝博愛と平等〟を標榜する宗教を信仰しておきながら、『ゲイに人権はない』と発言して農水相の座を追われました。先月も極右論壇誌で『LGBTは難病です』というタイトルの記事を寄稿しましたが、謝罪はしていません。もちろん、夫婦別姓にも反対しています」

御希望する額を仰って下さい。御用意致します
「なーにが、〝父親と母親の姓が別々になると家族の絆が壊れる〟だ。壊れているのはおまえらの頭の中だ」
躅子様が頷きながら笑う。話を戻す。
「月心党の実権を握っているのは夏田さんです。夏田さんは源氏首相の盟友で、全幅の信頼を寄せています。「首相動静」にもふたりが会ったことは記載しないよう、各新聞社にお達しが出ているほどです。
夏田さんは結婚して子どもがふたりいますが、私が調査したところ、隠れゲイのようです。〝ゲイが嫌いなゲイ〟は思いの外多い。自分を抑圧する者は、他者をも抑圧します。他者が自由な振る舞いをすることを許せないのです」
「僕はそんなことないです!」
Shunが即座に反論した。躅子様は微笑む。
「躅子様、しばらくすると国会が開きます。いっそ議事堂に爆弾でも落とすのはいかがでしょう? 手間が省けるかと思います」
右も左も大掃除か。リベラルって過激だなあ。悪くないけど。躅子様は小さく笑う。
「名案ですが、罪のない他の議員を巻き添えにするのは避けたいと思います」
ヒロシが訊ねる。躅子様が答える。
「手段は選びません。暗殺に必要なものが御入り用でしたらお申し付け下さい。24時間以内に御用意致します」
「核爆弾」
Shunより過激な奴がいた。やっぱり元夫は変わらない。
「それはどこで入手できますか?」
「ヒロシ、もういいから」
「奴らが中心になって憲法を改正したら、それに乗じてあらゆる進歩が止まり、この国の同性婚はさらに百年遅れる。老害をいっぺんに排除しないと次の時代は来ない」
「躅子様、この男の言うことはほどほどに。頭がおかしいので」
「おまえに言われたくねえよ」
「仲がおよろしいこと」
躅子様がクスクス笑ってから、一同を見渡す。

「お言葉に甘えます」
やった。天上天鼓と千疋屋のレーズンサンドとフルーツクーヘンが食べ放題だ。太っちゃう。
「報酬は?」
ヒロシが訊ねる。
「御希望する額を仰って下さい。御用意致します」
私とShunの表情が綻(ほころ)ぶ。躅子様が訊ねる。
「お引き受けいただけますでしょうか」
三人は立ち上がり、口々に言う。
「やります」
「やりましょう」
「やるぜ」
「ありがとうございます。冰冰も喜んでいます」
意識のないはずの白冰冰の目から涙がひと筋伝っていた。躅子様が微笑む。この方はやっぱり弥勒菩薩だ。ただし、皆殺しの菩薩だが。
「きょうは皆さんに会えた記念日です。お酒を用意しましょうか。みゆきさん、水割りでいいですか。久し振りに楽しい気分です」
「前祝いに乾杯しましょう」
私は言ってのける。この後の苦難をちっとも知らずにいた。

● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補、12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。最新刊『無法の世界』(KADOKAWA)が好評発売中。カバーイラストは江口寿史さん。
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