2020.10.04
1954年──映画はこの年がピークだった説。すべてのジャンルが出揃った年
映画好きで知られる作家の樋口毅宏さんがコロナ渦中のおウチ時間を楽しむ参考にと、これまでに観てきた映画や大好きな監督について思い入れたっぷりに綴る連載です。今回は映画にとって特別な年だったという1954年についてのお話です。
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文/樋口毅宏 イラスト/ゴトウイサク
50年代の日本映画は世界の映画のピークか
木下惠介が好きすぎて、その素晴らしさを語っていたら長くなってしまいました。
今回はタイトル通り、「1954年が映画のピークだった」。
1954年は、クリエイティヴだっただけでなく、映画の雛形がほとんど出揃っています。
そして映画だけでなく、後世のドラマ、ゲームと広範囲に大きな影響を与えているのです。
もっとも尊敬している映画史家のひとり、四方田犬彦氏は高著の中で、世界の映画のピークとして1920年代と50年代の日本映画を挙げていました。
なかでも1954年がマックスなのだと僕は踏んでいる。冷やかし半分でいいので読み進めて下さい。
■キネマ旬報 1954年日本映画ベストテン
1位 『二十四の瞳』 監督:木下恵介
2位 『女の園』 監督:木下恵介
3位 『七人の侍』 監督:黒沢明
4位 『黒い潮』 監督:山村聡
5位 『近松物語』 監督:溝口健二
6位 『山の音』 監督:成瀬巳喜男
7位 『晩菊』 監督:成瀬巳喜男
8位 『勲章』 監督:渋谷実
9位 『山椒大夫』 監督:溝口健二
10位 『大阪の宿』 監督:五所平之助
3位黒澤明の『七人の侍』。西部劇『荒野の七人』など、「〇〇の七人」「七人の●●」は全部これが元ネタ。
小説家として物語を紡ぐ人間としてよくわかるのだが、映画1本、もしくは小説1冊だと、ひとつの物語の中に、ストーリーを進行させる重要なキャラクターは、だいたい7人前後(もっと少なくてもいい)。
その後の世界中の脚本家、というよりストーリーテラーに大変なヒントを与えましたね、黒澤と橋本忍と小国英雄は。
『山椒大夫』がなかったら、世界の北野はなかった
『近松物語』は国民栄誉賞の長谷川一夫と香川京子による、今風に平たく言うと、「略奪愛の逃避行」。しかし言葉にならない優美と純粋さと破滅がここにあります。香川京子がエロい!
『山椒大夫』
ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(『七人の侍』も同時受賞)。生き別れた家族の涙の再会モノ。抑制された演技。何より画の美しさに心を奪われる。撮影はもちろん世界の宮川一夫。
ゴダールの『気狂いピエロ』(1965)のラストの海のシーンはここからと言われます。
ということは、北野武の『ソナチネ』(1993。仮タイトルは『沖縄ピエロ』)や『HANA-BI』(1998)といったキタノブルーは、『山椒大夫』が源流になる。『山椒大夫』がなかったら、世界の北野はなかったかもしれない。
黒澤・小津・溝口と揃わなかったため、1954年映画のピーク節を唱える人がいないのでしょう。
6位と7位が成瀬巳喜男(個人的には上記のビッグ3より好き)。『山の音』の主演は原節子が妻役。上原謙は夫役。
息子の妻に心を寄せる父親役に山村聰。成瀬巳喜男なので直接的な表現はないけど、密かに好意を寄せているのがわかります。ひとつ屋根の下に原節子がいたら無理もない。
山村聰と上原謙は同じ会社で、戦後から9年で立派なビルで働いています。山村聰はそこの重役。外からは裕福そうに見える家庭の崩壊、モラハラとDV、義娘への欲情と、現代的要素が詰め込まれている。その後どれだけ似たような作品が世に溢れたでしょう。
話がまた長くなるので巻きます!
『嘆きのテレーズ』は近代不倫メロドラマの元祖
■キネマ旬報 1954年外国映画ベストテン
1位 『嘆きのテレーズ(Therese Raquin)』 監督:マルセル・カルネ(1952年・フランス)
2位 『恐怖の報酬(Le Salarie de la Peur)』 監督:アンリ・ジョルジュ・クルーゾー (1952年・フランス)
3位 『ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)』 監督:レナート・カステラーニ (1954年・イギリス、イタリア)
4位 『波止場(On the Waterfront)』 監督:エリア・カザン (1954年・アメリカ)
5位 『エヴェレスト征服(The Conquest of Everest=記録映画)』 監督・撮影:トマス・ストバート (1953年・イギリス)
6位 『ローマの休日(Roman Holiday)』 監督:ウィリアム・ワイラー (1953年・アメリカ)
7位 『裁きは終りぬ(Justice est Fatie)』 監督:アンドレ・カイヤット(1959年・フランス)
8位 『陽気なドン・カミロ(Le petit Monde de Don Camilo)』 監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ (1951年・フランス)
8位 『しのび逢い(Monsieur Ripois)』 監督:ルネ・クレマン (1954年・フランス)
10位 『偽りの花園(The Little Foxes)』 監督:ウイリアム・ワイラー(1941年・アメリカ)
という声もあるでしょう。便宜上そうさせて下さい。
「映画のピークというものがあるとしたら1952年だ。『殺人狂時代』に『第三の男』に、『天井桟敷の人々』だぞ」
至極ごもっとも。でもまずは以下に目を通して下さい。
1位『嘆きのテレーズ』は近代不倫メロドラマの元祖。これを基に世界中で夥しい数のエピゴーネンができた。
2位『恐怖の報酬』は、ニトログリセリンを運ぶ男たちの、至高のサスペンス。
ちなみに男ふたりの主役の名前はマリオとルイージ。『スーパーマリオブラザーズ』はここから。
竹熊健太郎さんが開発者の宮本茂に訊ねたところ、氏は「知らなかった」と否定したという(※)。当然でしょう。それを認めたら任天堂は莫大な金を支払わなければならなくなるから。
これがなかったらミュージカル映画の最高峰『ウエスト・サイド物語』もなかった。その後、膨大な数の若いカップルの悲恋モノもなかった。
4位『波止場』。この年のアカデミー賞総ナメ。監督は赤狩りにあった社会派の巨匠エリア・カザン。主演はマーロン・ブランド。全8部門獲得。
町山智浩さん曰く、『ロッキー』の元ネタ。主人公は元ボクサー。それまでのスーツを着たキザな伊達男でなく、うらぶれた裏街道のアンチヒーローを描いた。
マーティン・スコセッシにも影響を与え、アメリカン・ニューシネマに大きな影を落とした、偉大なる一本。
5位『エヴェレスト征服』。山岳ドキュメンタリー。映画の始まりはリュミエール兄弟が1895年に撮った『工場の出口』というドキュメンタリーだった。
6位は『ローマの休日』。これも巨匠ウィリアム・ワイラー。主演はもちろんオードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペック。説明するまでもない、永遠の名作。「ボーイ・ミーツ・ガール」モノの最高傑作。
8位『しのび逢い』。ルネ・クレマン監督。1950年代の日本でいちばん人気があったフランス人男優、ジェラール・フィリップ主演。彼はこの5年後に36歳で亡くなる。
日本と世界の映画の興行成績を見てみると
1位が『君の名は/第三部』。元祖「すれ違い」ラブストーリー。もちろんタイトル、内容ともに、新海誠の同名アニメはここから。
1952年にラジオドラマから火が付いて、映画はパート3まで作った。
近年、人気テレビドラマの映画化が頻出して、嘆く映画マニアは多いが、昨日きょう始まったことではないのです。
2位は『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』。松竹オールスター版。1703年の事件発生以降、忠義という日本人像を描いたこの史話が作られなかった時代はない。
3位は『七人の侍』。前回書いた通り。
4位は『新諸国物語 紅孔雀』。
耳慣れない作品だが、『笛吹童子』と聞くとおわかりだろうか。当時の子ども向け時代劇で、翌年までにかけて五部作が製作されました。
中村(萬屋)錦之介はこれでスターの階段を駆け上がっていった。もし錦ちゃんがいなかったら、その後の加藤泰監督作品の大傑作『瞼の母』『沓掛時次郎 遊侠一匹』も、ベルリン国際映画祭グランプリ作品『武士道残酷物語』も違ったものになっていたでしょう。
本シリーズは子どもが映画館通いをするきっかけになりました。
その中には当時12歳の角川春樹もいました。『笛吹童子』はラジオドラマから始まり、映画へと結び付いた。角川春樹がメディアミックスをここから学んだことは間違いない。
6位の『月よりの使者』。
主題歌は、倍賞千恵子、森昌子など歴代アイドルが歌い継いできました。実はハイロウズの代表曲『日曜日よりの使者』の元ネタ。聴き比べるとびっくりします。
本宮ひろ志も井上雄彦も板垣恵介も、ひいてはジャンプをはじめとした少年誌、青年コミック誌の「若者の成長冒険譚」は、吉川英治という巨人が作りました。
8位は『ゴジラ』。世界でいちばん有名な、日本発のキャラクター。キネ旬ランキングは圏外。
日本の観客動員数は1958年の約11億人(!)がピーク。当時の人口は約9100万人なので、1年間でひとりにつき10本映画を観ていた計算になります。現在は2億人弱。
1位が『裏窓』。ヒッチコックの代表作の一本。もはや古典。グレイス・ケリー全盛期。
同じ年にやはりヒッチコック、グレイス・ケリーコンビで『ダイヤルMを廻せ!』。
この年のグレイス・ケリーの主演作は5本。『喝采』でオスカー。2年後にモナコ大公と結婚で引退。
2位『ホワイト・クリスマス』。これが実はすごく重要!
映画は1954年ですが、主演のビング・クロスビーが歌うバージョンは戦中から売れていて、映画が後で作られました。
クリスマスのイメージを決定づけ、日本にクリスマスを普及させた曲。そして、ギネスが認定する世界でいちばん売れたシングル。
フランク・シナトラもビーチ・ボーイズもカバー。山下達郎『クリスマス・イブ』のカップリング。
クリスマスソング=「名曲」「めちゃくちゃ売れる」「映画も大ヒット」「風物詩で、クリスマスが来るたび、またセールスが伸びる」にしたのがこれ。
『ホワイトク・リスマス』がなかったら、タツローの「クリスマス・イブ」はもちろん、ワム!の「ラスト・クリスマス」も、ユーミンの「恋人はサンタクロース」も、マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」も、ユニコーンの「雪が降る町」もなかった。
アンチ・クリスマスソングの反戦歌、ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」もなかった。
注目は6位『スタア誕生』。
2018年にレディー・ガガでリメイクしたアレ。1937、この年、1976年にも作られています。
忠臣蔵と同じようなもので、今後も何年かおきにその時代の空気を織り混ぜて改作されることが決まっている名作。
8位がオードリー・ヘプバーンの『麗しのサブリナ』。
そしてランキングには入ってないけど、フェリーニの『道』も1954年。『道』がない映画史など考えられますか?
1941年製作のディズニーアニメ『ダンボ』がようやく日本で公開されたのも1954年でした。
以上です。ふう、疲れた。長くなりました。長くなり過ぎたかもしれません。
でもこれで、樋口の「1954年映画ピーク説」に少しぐらい、首肯してもらってもいいですか?
●樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補、12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。最新作は月刊『散歩の達人』で連載中の「失われた東京を求めて」をまとめたエッセイ集『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』(交通新聞社)。
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