![null](https://assets-www.leon.jp/image/2019/02/14115246517909/1600/181205M_2425.jpg)
一昨年には農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」で、「ブロンズ賞」を受賞し(女性初)、今や誰もが認める日本を代表する“フレンチの達人”として、その一挙一動にも注目が集まる。周囲の期待を一心に背負った女性シェフは、今、何を感じ、何を考えながら、日々料理を作っているのか? 穏やかな笑顔に隠れた素顔を探ってみた。
ままごとよりは、外で落とし穴を作って遊んだり
樋口さん「ありがとうございます」(以下同)
── そもそものご出身は?
「三重県の四日市なんです。生まれてからすぐに父親の仕事の都合で愛知県に移り、小学校6年、12歳まではそちらで育っているんです。そのあとまた、四日市に戻りまして」
── 本当にもう、このあたりで人生を送られてきた。
「そうですね(笑)」
── お母様がお料理上手だったと伺ったんですが、樋口さんご自身はどんな女の子でしたか?
「活発で近所でも男の子と遊ぶことが多かったかなと思います。外で落とし穴を作って遊んだり、よその家の塀に落書きして怒られたり(笑)」
「はい。外で遊ぶほうが多かったと思います」
── お母様は家でどんなお料理を作られていたんですか?
「そんなに凝ったお料理じゃないんですけど、専業主婦でしたので、おやつも手作りで用意してくれたり。お料理もできるだけ既製品ではなくて。おみそ作りとかも習ってきて、自分でやってみたり。で、それを私も一緒に見ながら楽しいなと思ってたと」
── そういうお母さんの料理を手伝ったりということから始めて?
「そうですね。和え物の胡麻を擦ってみたり、インゲンの筋取りをしたりっていうところから始まって」
── それは小学校の低学年とか?
「はい」
── そこからだんだん作ることにも興味が向いてきた?
「はい。お菓子を作ることにまず興味があったので、図書館で本を借りてきて、土日に何か家で作ってみたりとか。そういうところから、自分で一からものを作る事の楽しさに気がついたんだと思います」
── それから、例えば中学校で料理の部活をやるとか、そういうのはあったんですか?
「部活動は運動のクラブでした。でも、小さな頃から、将来は専門学校に行って料理の道に進みたいと思っていたので」
── それは小学校のころから?
「そう。小学校ごろですね」
── そんな小さい時からの夢を本当に叶えてしまうというのはすごいですね。
「それしかできなかったということだと思います(笑)」
── 思い込んだら一途と言うか。
「それはそうだと思います(笑)」
── で、高校を出られて専門学校へ?
「はい」
![null](https://assets-www.leon.jp/image/2019/02/04143359133781/1600/181205M_2561.jpg)
入社してすぐ、今からこんなに任せてもっていいのかと
「それも、小学生のころに。テレビの料理番組で、辻調理師専門学校が監修しているお料理の番組があって、それを毎週見ていて、行きたいなと。やっぱり、家でフランス料理って作ることももちろんなかったですし、小さなころから、お店に出かけて食べに行くこともなかったので。ですから、どんなお料理かなという、知らないものに対する興味もありましたので。自分が後々、やっていくんだったら、西洋料理を学んでみたいなと」
── なるほど。子供のころにフランス料理にもった憧れみたいなものは、当然、食べているわけじゃないから見た目?
「そうですね」
── そういう料理の華やかさだったりとか。
「はい」
── 専門学校の段階では女性の割合は多いんですか?
「少ないです。特に20年以上前ですので。当時、もちろん花嫁修業として調理師学校に行く方もあったでしょうけど、自分が将来、職として料理の道に進もうという女性は割合としては少なかったのではないでしょうか」
── そういう女性が少ない中で、“私はプロになろうと思っている”っていうのは、なんか、自分は特別だなぁという感覚はもっていましたか?
「男性しかいないから無理とか、女性だからできるとかいうことは、あんまり考えてなくて。ただ、気が付けば、男性ばっかりだなという思いはありましたね。で、学校の授業が1年間でしたので、就職の話が、入学してからすぐあるんですけど、その時に、女性に開かれている門が少ないなって感じました」
「そうです。学校を卒業した後に、フランスにも学校があるので現地で半年間習ってくる選択肢もあるんですけど、私はすぐに就職しました」
── こちらのホテルに就職してからの歩みというのは、自分の思い描いていた通りでしたか?
「こんなにさせてもらっていいのかなっていうのは、入社してすぐの感想で。もちろん、洗い物とかお掃除とか、そういう仕事はたくさんありますけど、それは入った者の勤めなので。でも、それ以外にも、実際に野菜をボイルしたりとか、サラダを盛り付けたりとか、そういう仕事も1年目からさせてもらえると思っていなかったので。それは自分の中でも、今からこんなにさせてもらっていいのかなとは思いました」
── じゃあ、女性だから大変だったとか、嫌な思いをしたとかいうことはあんまり……。
「はい。分け隔てなく仕事は与えていただける、そういう職場の環境がもうできてましたので。私が女性として働く上ではとても恵まれた場所でした。女性の先輩もいましたので」
── なるほどね。修業も、お店によっては怒鳴られたり何したりってスゴい大変なところもあると思うんですけど。何かそういう修業中に……。
「毎日、叱られて泣いてました」
── あ、そうなんですか(笑)。泣くっていうのは……。
「できなくて、悔しくて」
── 悔し泣きですね(笑)。それもやっていくうちに、思うようなものができるようになっていく……。
「どうでしょうね。なかなか、その先輩が求めているものが、できていたかどうかは」
和の素材をフレンチに使うことの難しさとは
「もちろん、先々代が築き上げた『海の幸フランス料理』というものを、自分が入社してから10年間、ずっと見てまいりました。その中で、あぁ、日本人が作る、日本人にご提供するフランス料理はこういうことなんだというのはありました。このホテルでお出しするフランス料理の基本は地元の食材を見直す、ということ。もちろんフランスとかイタリアだって、ひとからげにできない地方の料理の味わいの部分があります。そういう意味で考えると、食の要素はずっと、この志摩にあったのかなとは思います」
── フランスだって地方によって食材も違うし、それが日本であればこう、ということで、特別に変わったことをしているわけではないと?
「今になって思えば、そうなのかなと。そういうところの考えも、フランスとかイタリアの地方地方のお料理っていうものと同じかなって」
── なるほどね。当然フランス料理にはフランス料理の伝統的な作り方があると思うんですけど、それを日本仕様にした場合、何をどこまでどう変えていいのかとか、そういうことっていうのは、どのような葛藤の中で……。
「素材に関しては、この地ならではのものとか、日本古来のものっていうものは使っていきたいなと思っています。例えば昨日お召し上がりいただいた中で、鰹節って、どうしても、和食の世界の味のものだと思うんですけども。それも使い始めようと思ったのは最近で」
「実は和食のように鰹で一番出汁をひいて、それに味付けということではなくて、鰹節は香りを抽出するために使っているだけなんです。そのベースは鶏の出汁だったり、トマトのコンソメだったり洋食で使うものにエッセンスとして鰹の香りをまとわせたいと。そういう考え方で使っています」
── そうなんですね。
「お醤油は今でも使わないんですけど、やっぱりそれは自分の中でもフランス料理って言われているものの中に、日本人の自分が使うことにまだ迷いがありますね」
── それは禁じ手のような(笑)?
「そうですね。お醤油はやっぱり日本人ならひと口食べて美味しいと思う味なんですよね。一方で、フランスの今のシェフたちが、日本の素材は素晴らしい、柚とか昆布も使うし鰹節も使うし、お醤油も使うって、それは全然アリだなって思いますけれども」
「伊勢茶の香りを纏わせた松阪牛フィレ肉 鰹のコンソメ添え」。出てきたお皿に鰹の香りを纏わせたコンソメを注いで完成。6皿目の料理。
前菜となる「海の幸 トマトの魅力をさまざまな形で」。まさに宝石箱のような美しい料理。
前菜に次いで出されるのは木製プレートに盛り付けられた「大地の恵み」。
3皿目はホテルの名物「伊勢海老クリームスープ」。香り高く濃厚ながら飽きのこない味わい。
4皿目は「鮑ステーキ こがしバター風味の軽いソース」。驚くほど柔らかく滋味深い味わい。
5皿目は「伊勢海老ソテー 伊勢沢庵風味のベルモットソース」。
「伊勢茶の香りを纏わせた松阪牛フィレ肉 鰹のコンソメ添え」。出てきたお皿に鰹の香りを纏わせたコンソメを注いで完成。6皿目の料理。
前菜となる「海の幸 トマトの魅力をさまざまな形で」。まさに宝石箱のような美しい料理。
前菜に次いで出されるのは木製プレートに盛り付けられた「大地の恵み」。
3皿目はホテルの名物「伊勢海老クリームスープ」。香り高く濃厚ながら飽きのこない味わい。
4皿目は「鮑ステーキ こがしバター風味の軽いソース」。驚くほど柔らかく滋味深い味わい。
5皿目は「伊勢海老ソテー 伊勢沢庵風味のベルモットソース」。
新しい料理への挑戦と同じ料理を作り続けることは両輪
「例えば、アワビとか伊勢海老が食べている海藻は、育つ環境がその土地その土地で違うので、同じアワビでも採れる場所によって味や香りが少しずつ違うっていう部分もあります。本当に色んな場所に行かせていただいて、“うちの近くで採れるアワビはこんな海藻食べてます”っていうことを伺うと、あ、だからヨード香が強いというか海藻の味がすごいしっかりしてるんだとか。そういうのは、お話を伺ったり、実際に見に行って口にしたりして、なるほどって気づくところもあるので」
── そういう食材探しというのは、色んな方と関係を作っていくということだと思うんですが、常に新しい出会いみたいなものを求めて動き回ったりするんですか。
── なるほど。
── そういう、どんどん新しい方と出会って、新しい食材を仕入れてみたいなことは、樋口さんにとっては楽しいこと?
「はい、とても楽しいです。で、やっぱり作った方と直接、お知り合いになれることで、実際、市場に出回らないものを手に入れることもありますし。例えば柑橘で言うと、みかんとか、デコポンとか。私が畑を見に行った時にはまだ青い状態だったんです。で、それをいい実を作るために摘果をする。摘果した実はどうするんですかと聞くと、もうその辺にほっとくんだよって。でも、それをハサミでちょっと切ってくださって。匂いを嗅いだり汁を舐めたりすると、それはそれで、青いんだけれども、とてもいい香りで。もちろん酸味は強いです。でも、種類によって、それぞれ香りも味わいも異なるので、この摘果したものを、使えればなと。で、いただくことできますかって言ったら、快くいいよって言ってくださるので。そういうところから、新しいものが生まれるきっかけになったりします」
── 常に動き回って新しいものを吸収しようという熱意がないと、料理人の世界もダメなんですね。やはり、ずっと同じものだけを作り続けるんだと飽きちゃうようなところもあるんですか?
「いえ、それはないですね。私たちにとっては同じものを作り続けるのもとても大切なことなんです。もちろん、新しいものに挑戦するパワーもすごく大変な部分もありますけども。やっぱりいつ来てもいつも同じ味をご提供するっていうことのほうが、難しいのかなって。簡単そうに見えて難しい事だと思いますね」
── その、両輪というか、二つを並行してやってかなきゃいけないってことなんですね。
「そうですね、はい」
── そりゃ、ご苦労が多いですよね。
「いえいえ(笑)。ただ、やっぱりホテルは、自分ひとりで一つの店を構えて、すべてに自分が携わって、目の行き届く範囲で料理ができる環境ではないので。自分以外のいろんな力を借りて、はじめてきちんと動くという。しかも条件が日々いろいろ変わりますので。その辺は、まだまだ努力していかなければと思いますね」
![null](https://assets-www.leon.jp/image/2019/02/14115121672045/1600/181205M_2892.jpg)
スタッフは私が楽しそうにしていると一緒になって見てくれる
「やっぱり考え方は人それぞれ違うので、皆が皆向上心をもって同じ方向を向いてるかって言ったら、なかなかそうでない部分もありますし。なので、なるべく自分の考えを皆に伝えて、私はこうしていきたい。で、そっちをみんながなるべく向くようにして。そうやって自分が動いていくことで、興味がある人たちは、自分も一緒に見たい、漁港や畑に行きたいと思うようになるわけです」
── なるほど、そうですね。
「例えば、そういう生産の現場を見に行くことで私と同じ体験をする。で、ご縁を頂戴して、その方とも親しくなれれば、もし彼らが中心となって料理を考える時にも、そのものを手に入れられる。だから、自分が率先して動いて、一緒にそれを見たいとかやりたいと思う人たちを増やしていけば、多分組織として、皆が同じ方向を向いて、強いチームになれるかなという想いがあります。若い人を育てるには、そういう部分から、徐々に進めていきたいなと」
── それって、ああしろ、こうしろって押し付けるのではなく、樋口さんが楽しいとか面白いと思っていらっしゃる、それを伝えていって、同じように面白いとか楽しいって思ってもらえるってことですかね?
── レストランのサービスの方々を見ても、割と年齢の若い方が多いなと思いましたが。今時の若い子って一括りにはできないけれど、だいぶ昔とは価値観も違うじゃないですか。いい悪いじゃないと思うんですが、そこはご苦労ありますか?
「昔、私たちが若い時とは違って、『働き方改革』などがあり、今は働く時間もきちんと決められているので、その時間の中で学んでいかないといけません。でも、その分、今の時代に合う方法で自分の自由な時間を上手に使って自分の技術や知識を増やそうとしてほしいし。そうすればきっと成長は早いんでしょうね」
── それはそうでしょうね。
「でも、なかなか全員が同じモチベーションでというのは難しいし、心が折れないよう指導していくのも大変です。自分の頃は当たり前だと受け止めていた厳しさも、今は違うので。その辺は、難しいなと思いますね」
── まぁ、ご自身が叱られて悔し泣きしながら育っていったという経験がおありになると、特にそれと同じことができない今は、難しいなっていうのはあるでしょうね。
「そうですね(笑)」
サミットの料理は任されることが決まってからが大変
「はい」
サミット開催の時にはすでに総料理長2年目だったわけですが、最初にサミットが決まったという話をお聞きになった時はどう感じられましたか?
「もしここでということになった場合、何をご提供しようかなっていうことは、片隅では考えつつ。ですけど、実際にあなたに任せますっていうか、ここに任せますと言っていただくまではわからないので。その中で色んな、考えられることっていうか、できることとかっていうのは準備して」
── 今までホテルは決まっても、シェフは別のところから、みたいなことも。
「はい、そうです。だから、最後の最後まで、外の方々が誰かが来るんだろうと、思ってた方も多かったと思うんです」
──2015年6月(開催は2016年5月)に安倍首相が、次は伊勢志摩でやりますよということを言って。マスコミからは皆、ここじゃないかと注目されていましたよね。
──シェフが決まるのがギリギリということは、準備も大変だったんじゃないですか?
「ホテルでの提供が決まって、それからは期間が短くて、本当に大変でした。お料理の形が決まって、必要な素材がわかった時点から急いで材料の手配を進めなくてはいけなかったので」
── なるほど。決まるかもしれないという段階で、その時はああしよう、こうしようというシミュレーションはしていたとはいえ……。
「いくらか心づもりはありましたけど。首脳の方々のお食事だけではなくて、随行員の方のお食事もご用意が必要でしたし。その仕入れとかも含めて、割と短い期間で進めていかないといけなかったので」
![null](https://assets-www.leon.jp/image/2019/02/04143652307217/1600/181205M_2649.jpg)
1個丸ごとのアワビを見て、美味しそうと思ってもらえない方もいる
「それはなかったですね。お話を頂いた時に、自分が何をできるかっていうところを考えて、やはり歴史のあるホテルの中で、お客様に愛され続けてきたお料理があるので、それを組み込みたいと。そしてこの豊かな土地、三重県の食材をふんだんに取り込みたいっていう思いがありましたし。もちろん、外務省の方からも、日本らしいとか、例えば三重県の食材の豊かさを盛り込んでくださいと言われました。ですから、自分たちが今まで取り組んできたことと、当日提供するお料理の方向は変わりませんでした」
── では、それを美味しいって言っていただけたのは、すごく自信にもなったでしょう。
── 1カ国じゃなくて色んな国の方がいらっしゃいますものね。
「そうなんです。でも、幸いだったのがエビとか貝類のアレルギーの方がいらっしゃらなかったので。その方がお一人でもいらっしゃたら、もう、エビのお料理はまったく出せないですし」
── それは難しい。
![null](https://assets-www.leon.jp/image/2019/02/14115201926216/1600/181205M_2351.jpg)
どれだけ遠くても、来ていただけるようなそういう料理を作ろう
「それはないですね。欲しいと思ったものは、ポチッとすればすぐ手に入る世の中ですし(笑)。Facebookとかで、知り合いのシェフや、食材の関係の方とも気軽に連絡が取れます。その方が何を考えてどう行動してるかっていうのもわかるし。興味のあることだったら、すぐに聞けるという環境はありますから」
── なるほど。2年前ですか、フランスに初めて行かれたそうですね。現地のフランス料理をお食べになってどうだったんですか?
「思いのほかに日本の食材を多用というか、使っていらしゃる。柚とかわさびもそうだし、大根とか、日本で優れていると言われる日本らしい食材を、いろんなところで使ってらっしゃったのにはびっくりしました」
── それは美味しいと言われているレストランの食べ歩きみたいなことをされたんですか?
「はい。星のあるレストランでお料理をいただきました」
── そのことも大きな経験になりましたか?
「素晴らしいサービスと、料理の完成度の高さ、これがフランスのフランス料理なんだなと。もちろん味もそうですけど、はい」
── その上で、このホテルに立ち返って思うことはありましたか?
「そうですね。先々代が始めたこの土地でしか味わえないものを作り出そう。それで、どれだけ遠くても、来ていただけるようなそういう料理を作ろうという哲学というか考えは、引き継いでいくべきだと思いました。68年、このホテルは開業して経つんですけれど、その中で沢山のお客様がそういう思いで来てくださるので、やはりそこは、変えられないし。これからも自分たちが引き継いでいって、旅の体験の中に食という部分は大きな位置を占めてると思うので、それは引き続き、お楽しみいただけるよう、私たちが頑張っていかなきゃいけないなと思いましたね」
── ますますのご発展を期待しております。
「ありがとうございます」
![null](https://assets-www.leon.jp/image/2019/02/15010045397441/1600/181205M_2868.jpg)
● 樋口宏江(ひぐち・ひろえ)
1971年、三重県四日市市生まれ。1991年、大阪あべの辻フランス料理専門カレッジを卒業、志摩観光ホテルに入社。2008年、ベイスイート開業とともにフレンチレストラン「ラ・メール」のシェフに就任。2014年、都ホテル&リゾーツ唯一の女性総料理長として、志摩観光ホテル「クラシック」「ベイスイート」両館を統括する総料理長に就任。2016年、「G7伊勢志摩サミット2016」ワーキング・ディナーを担当。2017年、農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」ブロンズ賞を三重県初・女性初受賞。
![null](https://assets-www.leon.jp/image/2019/02/21013257366054/1600/181204M_0724syuusei.jpg)
◆ 志摩観光ホテル
https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html
志摩観光ホテルについてはこちらの記事もどうぞ。