2023.02.28
男のためのミシンがあったっていいじゃないか
ミシンは家庭で裁縫する女性のためのもの。そんな一般認識の逆手を取って、男性向けのミシンを作って大きな話題になっているのが大阪のミシンメーカー「アックスヤマザキ」。危機に陥った家業を継いでヒットを連発する山﨑一史社長に話を伺いました。
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文/木村千鶴 写真/松本あかね 編集/森本 泉(LEON.JP)
目指したのは、アツく生きる男のためのミシン
山﨑 これまでの家庭用ミシンは、女性が使うことを想定して造られたものでした。ただそんな中でも、男性からのお問い合わせも多かったし、それが年々増えていっている感じはしていたんです。男の方って問い合わせ内容の切り口がちょっと違いまして。レザーは縫えますかとか、キャンプ用品を修繕したい、ブルーシートを縫いたいなど、いわゆる手芸的なものではなかったので、ウチでは要望に応えられないとお断りしていたんです。
でもある時、自分を含めた男性が、ミシンを使わない前提でいることが変に思えてきまして。そこで「男性が興味を持てるようなミシンあったら良いんじゃないか。これまでお断りしてたニーズすべてに応えられるような、新しい文化を創るような、そんなミシンを造ろう」ということで出来たのが、TOKYO OTOKOミシンのコンセプトです。
山﨑 直線縫いのみなんですが、レザーや帆布、デニム、ブルーシートまでガンガン縫うことが出来ます。針はそれに合わせたものがセットされていますが、普通の針に付け替えていただけば一般的な布も縫えます。
ハードな素材を料理するために、部品のひとつひとつまでこだわって仕上げ、針板の部分は、ゴツい布でも耐えられるように自社比較で2倍の硬さのものを使用。メインシャフト直結のはずみ車のハンドルは、レザーなどを縫う時に手回しがしやすいように、大きくしてあります。作業中は“カタカタカタ”とミシンらしい音が鳴るので、それも楽しんでいただけるのじゃないでしょうか。
── 見た目もアンティーク調で渋いですね。
山﨑 ありがとうございます。ウチはたまたま昔からアンティーク風のミシンを製造していたこともあり、廃盤になっていたミシンをベースに本体を作りました。男性がクルマやバイクを磨きながら大事にするあの世界観を取り入れたかったんです。なので今主流の手軽で軽いミシンとは逆行して、重くて頑丈な鉄製にしたので、見た目で絵になる重厚感は出せてるかなと思います。インテリアとしても成り立つように、あえてカバーもなくしました。
家業の会社は入社の時から大ピンチ。「自分がやらなあかん」
山﨑 1946年に祖父が大阪の生野区で創業して、今年で77年目になります。創業当初から主に家庭用ミシンの製造を行なってきました。祖父の時代はどちらかというと海外への輸出がメインでしたが、父の代の事業の中心は世界的大手ブランドの国内向けOEMです。ヤマザキというブランドは、海外がメインだったこともあって国内では全然浸透しておらず、どちらかというとミシン市場の裾野にあるといいますか、クルマでいうとスポーツカーではなくて小型車。メインユーザーは初心者の方から中級者の会社です。
── お祖父様から続いてきた会社を山﨑社長が受け継がれたんですね。
山﨑 僕は2015年に代替わりしたんですが、それまで父親は僕に会社を継いでほしいという話は一切しなかったし、僕自身も他の仕事をしていました。それが2005年頃ですかね、父親から「話がある」と言われまして。もう自信がないと言うんです。まさかあの父親が息子に弱音を吐いたりするとは思わなかったのですが、余程追い込まれていたんでしょうね。
その頃は1999年に一番の取引先が事業解散をしたのをきっかけに、凄い勢いで売り上げが落ちていました。祖父が始めた頃は順調でしたが、途中から為替の環境などで輸出がうまいこといかなくなって、父親が引き継いだ時にはもう債務超過で赤字の垂れ流し。閉めたくても閉められない状況の中、何とか乗り越えてきたのに、このままいったらまた元通りになると思い詰めていたと思います。
山﨑 もう、覚悟だけですね。いける自信も根拠も能力も、何もなかったので。ただその時に初めて、自分の稼業に対して「自分がやらなあかん」という責任感というのか、宿命みたいなものを感じて。とにかく即答で「はいやります」と言いました。
── 凄い漢(オトコ)気ですね。
山﨑 漢気って言うとカッコいい感じに聞こえますけど(笑)、僕も甘ちゃんに育ててもらっていますから。せめて、ピンチになったら自分がやらんと、みたいな感じです。
── 最初から大ピンチの場面だと思いますが、まず何から始めましたか。
山﨑 とにかくミシンを持って売り歩きました。でもうちは業界の弱小メーカーで、認知度もブランド力も圧倒的に下、どこに行っても必要とされないんです。存在意義を否定されるような言葉を言われることもあり、出だしはキツかったです。
── 苦しいですね。
山﨑 つま先立ちで、なんとかその年だけでもと、ごまかしごまかし目先の開拓をして、どうにか引っ張っている感じでした。ヒントを探しに経営塾に行ってみたのですが、その時に自社の業界課題や社会課題などを解決する大逆転戦略みたいなものをつくる課題が出たんです。その過程でヒアリング調査をしたら「小学校でミシンを習ってから苦手になった」という話が多かった。これは業界の課題でも社会の課題でもあるなと思いました。また逆にそのヒアリングによって、少しくらいだったらやってみたいと思っている人もいるんだと可能性も感じました。
山﨑 はい。使い捨ての時代だからとか、業界が衰退してるからとか色々言い訳はあるんですが、言い訳する前に自分達の取り扱うミシン自体に目を向けると、そもそも使い方が難しすぎる。これは苦手にもなるわと気づきまして。ならば小学校で習うより前に、まずは子供たちに楽しく遊んでもらえるものを造ろうと思って開発したのが、「毛糸ミシンHug」でした。
── その子供用ミシンはどのようなものですか。
山﨑 簡単・安全というコンセプトだけは決めて、あれこれ研究しながら試行錯誤してたどり着いたのが、市販の毛糸を使って縫える毛糸ミシンです。これで特許を取って、これまでの販路ではなく子供用の市場であるおもちゃ屋さんに打って出たところ、2万台用意したものが2カ月で完売しました。ミシンメーカーがつくった子供用ミシンということで、反響が広まったようです。
── それは凄い。子供の頃って大人と同じことがしたいので、ちゃんと道具として使えることも魅力なのでしょう。
山﨑 子供さんも面白がってくれましたが、実はおじいちゃんおばあちゃんからも「孫と一緒にできる」ということで人気になって。ゲームは一緒できなくても、このミシンだったら一緒にできるし、教えられるからコミュニケーションにもなると。
カッコつけずにありのままでいることが一番カッコいい
山﨑 そうですね、うちとしては初めてビジネスモデルをまったく変える流れができた製品です。ミシン市場は使わない人が圧倒的に増えて、使う人がどんどん減ってきているという状況ですので、これまでの延長戦でやっていると売上は落ちていく一方。それならばうちのスタイルは、ミシンを使う人の裾野を広げることに特化して、新しい市場を創るようなメーカーになろうと決意しました。
── ネーミングを「OTOKO ミシン」としたのも、そこを明確にしたかった?
山﨑 はい。まずは強いメッセージを出すことで、今までのイメージを覆す文化をつくりたいという思いがありました。ミシンを使う男性はもちろん以前からいらっしゃいましたが、やはり女性が使う道具という偏ったイメージがありますよね。でも思い切って振り切ったネーミングにしてみたら、結果的にバランスが取れたのか、女性の方からも好評いただいております。
── TOKYOというのは? 本社は大阪ですが(笑)。
山﨑 僕は“自分のものを自分で作ろう”という新しい文化が作りたくて、「そういう文化ってカッコいいよね」と海外にも発信したかったんです。それなら日本の中心地、TOKYOだろうと(笑)。
── お話を伺っていると、山崎社長のミシンへの愛、ユーザーさんや業界への愛を感じます。ミシンが売れなくなってしまった状況においても、他の商品製造に転向することなく会社を続けた。それはなぜですか。
山﨑 昔は一家に1台ミシンがあるのが普通でした。自分の楽しみとしてはもちろんのこと、子供や家族が使うものを手作りする、そうした愛情表現のひとつでもあったと思います。その気持ちは変わらないのではないかと。手作りに興味はあるけど難しいから諦めたという人がいるなら、その気持ちに寄り添ってハードルを下げたり、課題を潰していくことで、ミシン文化を後に時代につなげていきたいなと思うのです。
とはいえ僕も若い時は、そんなことを考えたこともなく、家業がピンチになったことがきっかけで目が覚めたのですが(笑)。弱小ながらもこの家系で生まれているので、ミシン業界が衰退して世の中から消えていくということはやっぱり耐えられない。なんとかしたいという思いはずっと持っています。
── 山崎社長もご自身でミシンを使って製作するとこはあるんですか。
山﨑 僕自身、世間一般のミシン離れしている感覚とずれたくないので、基本、やらないと宣言してるんです。ただ今回のOTOKOミシンは使ってみたら面白くて(笑)。岡山の児島のデニム生地を選びながら、自分でデニムのパンツを作ったんですが、下手だったけれど出来上がった時は感動しました。男の料理みたいなもので「〇〇産の車海老を使った〜」みたいなことは好きですから。ただ一方で、子供の入園準備を自分の作品でしたいからという男性も実際にいらっしゃいます。
山﨑 そうですね。ミシンはまだまだ出来ることがあるなって思います。
── では最後に、山崎社長にとって、カッコいい大人はどんな人ですか。
山﨑 カッコつけずに、自分らしくありのままでいるのが一番カッコいいなと思います。代替わりするまでは、業界でどう評価されるかとか、失敗したらどう思われやろうとか、そんなことばかり気にしていました。けれどそんな内々の話は途中からどうでもよくなって、失敗して誰かにボロカスに言われたとしても、誰かが振り向いてくれて、感動してくれて、それで業界が盛り上がるならいいですし。そんな可能性がちょっとでもあるんだったら、突っきってやることが自分で思うカッコいいかなと思います。
◆ NAOさん(男性・38歳)製造業
実際の「OTOKOミシン」ユーザーさんにも話を聞いてみました!
NAO 最初に作ったのは名刺入れです。事務所の鍵と名刺を一緒に入れたくて探したんですが、思うようなものが売ってなかったので、じゃあレザーを買って作ってみようと思って始めたのがきっかけです。
── 初めてもの作りをする時のハードルは高くなかったですか。
NAO 子供の頃から技術家庭の授業などはかなり得意だったので、もの作りに関して抵抗はなかったんですが、レザークラフトの場合、布を縫うのと違って、縫う前に接着したり穴を開けたりする工程が入ってくるので、必要な道具を揃えなければいけないんです。そこが少しハードルだったかもしれません。でも、実際やってみたら誰でも簡単に始められそうだなと感じました。
── TOKYO OTOKO ミシンはいかがだったでしょう。
NAO 基本的には僕は手縫いをしているんですが、鞄などを製作する時には長い距離を縫うので相当な時間がかかります。ミシンだと手縫いの時のような準備もいらないし、セッティングしてすぐ縫えるので、圧倒的に早い。そこが最大のメリットです。将来的に販売を考えるなら、量産できるのは強みです。ただ手縫いは細かい部分などの難しい部分をテクニックで強引に縫うことができるので、自由度は高いです。型紙の設計を工夫すればミシンだけで完成させられるものもありますので、今後作品を増やす予定です。
NAO そうですね、欲しい道具はいっぱいあるんですが、正直そういう道具って大きいんです。極論を言えば工業用の腕ミシンが欲しいんですけど(笑)、それを置く場所なんて自宅にはありません。TOKYO OTOKO ミシンは家庭用のサイズですし、パワーもある。基本的には機能重視ですが、見た目も好みで良かったです。
── 趣味としてのおすすめポイントは?
NAO 欲しい形のものがない時に自分で作れるのが良いですね。手縫いも良いですが、ミシンだと効率的で仕上がりが早い。今はネット販売も簡単ですから、周囲の人に見せて好評ならば販売に踏み切ることもできます。趣味からさらに発展させる人も出てくるでしょうね。また、自分の作品があることで話のネタにもしやすいですし、それこそ仲間同士Twitterでつながるなど、新しい交流が生まれたのも良かったところです。
● 山﨑一史(やまざき・かずし)
1978年大阪府生まれ。2005年に家業のミシンメーカー、アックスヤマザキに入社し、15年に代表取締役就任。13年にグロービス経営大学院大学で経営学修士(MBA)を取得。20年、大阪商工会議所主催の「大阪活力グランプリ」で特別賞に選ばれた。社長就任以降山﨑氏が自ら考えた「毛糸ミシンHug」、「子育てにちょうどいいミシン」が立て続けにヒット。右肩下がりの経営状態から鮮やかな黒字転換へと導いた。2022年11月には男性向けと銘打った「TOKYO OTKOミシン」を発売。大きな話題となった。2023年2月末にはこれからの自分を楽しみたい大人世代に向けて新開発した、コンパクトミシンに電子機能を搭載したパワフルミシン「大人のための、気分がアガるミシン」を発売予定。
HP/http://www.axeyamazaki.co.jp/