2023.07.08
広末涼子「私生活と逆の“不倫される妻”役が高評価!?」
不倫報道の渦中の広末涼子は、俳優というよりタレントという印象が強い。だが、2022年公開の映画『あちらにいる鬼』の“浮気される妻役”が高評価だったという。夫役の豊川悦司と浮気相手役の寺島しのぶという名優の圧倒的な存在感の中でも輝ける彼女の演技とは?
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文/木俣 冬(コラムニスト)
『らんまん』は4月から放送がはじまり、広末は、植物学者・牧野富太郎をモデルにした主人公・槙野万太郎(神木隆之介)の母親・ヒサとして序盤を彩った。第1週で早々、病で亡くなり退場するも、万太郎の人生の選択に大きな影響を与える重要な役だ。
母のヒサが好きだった花バイカオウレンを万太郎は大事にして、日陰に咲く小さな花の生命力の尊さが主人公の生きる指針になる。さらにヒサは、亡くなっても、子どもを見守り、その心は次世代の者に繋がっていく、ということの象徴にもなっている。いわば、聖母のような存在。そんな大事な役を広末は演じていたのだ。
さらに彼女は、主人公の出身地・高知出身者でもあり、2重に重要な存在であった。だからこそ、不倫という行為に落胆する視聴者がいても仕方ない。

騒動の最中、放送された『らんまん』のシーン
だが、もともと、奔放なイメージだとそうでもない。なんだか不平等な気もするし、どういうキャラで売っていくかは本人の希望なのか、マネージメント側の思惑なのかわからないが、ともあれ、広末の場合は、ベストマザー賞を受賞して、仕事も子育ても両立する俳優という信頼感を不倫によって崩したため、出演していた広告をストップされたり、雑誌の連載が休止になったりした。
高知出身の広末涼子は、1994年、ピッカピカのスーパーアイドルとしてデビューし、絶大な人気を博した。すらりと伸びた手足と卵型の輪郭、つるっつるの肌、さらさらのショートカットで、健康的な魅力を振りまき、男女問わず人気であった。早稲田大学に入るという知性的な面もあり、パーフェクト。
そんな絶対王者・広末が、俳優として活動するようになると、自由奔放な面を芸能ニュースに書かれたりもしながら、やがて結婚し、3人の子の母親になり、ベストマザー賞を受賞して、子育ても仕事も両立する憧れの的としてのポジションを確立していたところの不倫発覚で、列島に衝撃が走ったのだ(ちょっと大げさ)。
夫のキャンドル・ジュンが異例の赤裸々会見を開いたり、広末が不倫相手に送った手紙の文字を達筆と褒める記事が出たり、キャンドル・ジュンにもハラスメント疑惑が出てきたり、それはもう大騒ぎの中、『らんまん』は広末のシーンをカットしないで放送。すでにその前週(第12週)でも回想シーンがカットされずに放送されていた。
なぜ『らんまん』では出演シーンが放送されたのか

それでもカットできないのは、広末演じるヒサの存在も重要で、すでに先立ったヒサが幻のように登場するのは、脈々と続く、“嫁の道”のイメージでもあるのだろう。
江戸から明治、まだまだ男性社会の中、いかに女性が苦労したか。主人公の家は、代々夫が先立ち、残された妻が必死で頑張って家を守ってきた。しかも実子でない綾(佐久間由依)まで分け隔てなく育て、結果、長男・万太郎は植物学の道に進むため、綾が家を継ぐことになる。継承を描く大事なシーンだからカットできないのも無理はない。
筆者は、広末の出演作はどうあるべきかという某ネット媒体の取材に、いい演技を見せてくれるなら構わないと答えた。
『らんまん』での広末の演技については、出番が短いながら、印象的ではあった。短い分、母の物語があまり描かれていないとはいえ、子どもへの慈愛のようなものは感じることができたし、なんといっても華があるという点では起用される意味があったと考える。
ただし、じゃあ、広末涼子は演技派かといえば、良くも悪くも、スーパーアイドルだったという印象のまま脱皮できていないように思う。だからこそ、好感度が先に立ち、それを裏切るような私生活への批判が噴出してしまうのだろう。
広末の「浮気される妻役」は実に味わいがあった
2022年11月に公開された映画で、作家で僧侶の瀬戸内寂聴をモデルにした主人公を寺島しのぶが演じた。瀬戸内寂聴が同業者で妻子ある井上光晴との7年にもおよぶ道ならぬ恋をした、その情念の物語を題材にして、井上の長女で直木賞作家の井上荒野が書いた小説を映画化したものだ。
光晴をモデルにした人物を豊川悦司、その妻をモデルにした役を広末が演じた。この浮気される妻役が実に味わいがあってよかったのである。寺島しのぶと豊川悦司という名優の圧倒的な情感にかき消されることない存在感を放っていたのだ。
広末が演じた妻は、実によくできた人物で、作家である夫を支えている。それはいわゆる妻としてだけではなく、夫の作品にも関わっているのである。本当は彼女にも才能があるかもしれないにもかかわらず、夫の作家活動を陰で支えている。夫の浮気相手は、彼の才能を尊敬している作家であり、その彼女は作家としてメキメキ頭角を現していく。妻はどれだけ忸怩たる想いを抱えていただろうか。
妻の抑圧された想いを、実生活では浮気相手のほうの立場になってしまった広末涼子が見事に演じていたことは、今思えばじつに皮肉である。
仕事も恋も思うがまま情熱的に生きる人物ではなく、仕事も結婚生活も支える側を演じる。ただし、この原作も映画も、妻の存在意義が尊重されている。最終的に、夫婦と愛人の3人は「書く」という行為を通して、同志のようになるのである。
広末演じる妻はその同志たる、とても理知的で魅力的な人物に見えた。原作の作者がこの妻の娘であり、母の存在意義を大切に描いているからこそ、この役がとてもよく見えるとも言えるわけだが、たとえどんなにいい役でも、演じる人物が拙かったら残念なことになる。もしかして、私生活と逆の役を演じたほうが、いい方向に出るのかもしれない。
広末のエネルギーを生かせる作品
そういう意味では、『らんまん』における病弱な母も、一見、広末にそぐわないような役ながら、病弱だけど、人一倍、愛情の強い、子ども想いの最高の母として、役を光り輝かせることに、広末は成功したのである。彼女のエネルギーを生かせる作品がもっとあればよいのにと切に思う。