2024.02.23
北海道生まれ。NYで成功し、カナダ初のミシュラン2つ星を獲った鮨職人・齋藤正樹とは?
トロントの「Sushi Masaki Saito」で鮨を握る齋藤正樹さんは、いまカナダで最も有名な日本人シェフだ。カナダに渡った理由、なぜ成功できたかを、現地にて聞いた。
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文・写真/大石智子
カナダのグルメシーンを牽引する日本人
星を獲った軒数から察せられるように、まだまだ発展途上のカナダのグルメシーン。その国で齋藤さんは2019年に「Sushi Masaki Saito」を開業し、昨年9月には姉妹店「MSSM」をスタートさせた。前者は自らが握るおまかせ680ドルの高級店、後者は弟子が握るおまかせ98ドルの敷居を下げた店である。
今後もカナダで事業を広め、「カナダの食を変える」と野望を抱く36歳。共通の知り合いによると、「かなり面白い人で鮨もやばい!」とのことだった。齋藤さんがどんな人でなぜカナダへ来たのか、「Sushi Masaki Saito」へ話を聞きに行った。
NYでルイ・ヴィトンのひ孫に偶然出会い、「有名な鮨シェフだよね」と商品を提供されたことをきっかけに買うようになったとか。この日、同ブランドのジャケットの下には『最後の晩餐』のパロディでキリストたちが鮨を食べている自作Tシャツを着ていた。
「なんでも聞いてください」と朗らかに言う齋藤さんは、最初の3分からインパクト抜群だった。
北海道生まれ、東京、香港、NY経由、トロント着
「そのあとに色々な鮨を食べても、あそこの鮨には勝てないって子供ながらに分かったんです。あの人ってすげえんだなって。そういう美味しいものを作れる人になりたいって気持ちが湧いたんだと思います」
函館水産高校を卒業後は、築地の鮨店に就職。その後、札幌の「すし善」に移り、2015年、26歳の時に海外展開を広げようとしていた「鮨 銀座 おのでら」に引き抜かれて香港へ渡った。1年後にはLA、ハワイのオープニングに加わり、27歳で大将を務めたNY店は開業から半年でミシュラン1つ星を獲得。翌年には2つ星を獲り、猛スピードで人気店となる。発言力をもつと、当時NYで浸透していなかった“Edomae”とは何かを伝えていった。
「NYに行った1年目、“え、これ鮨じゃないじゃん”と衝撃を受けることが多くて。ミシュラン1つ星をとっていたお鮨屋さんもザ・フュージョンで、Masaが3つ星を獲っていたけどそこだけだった。世界NO.1の都市で鮨が全然台頭していないのが謎で、レベルの高い日本の鮨をなぜNYでビジネスモデルとしてやらないんだと感じました。
江戸前鮨も浸透していなくて、取材でも“Edomaeって何?”と聞かれる。日本で冷蔵庫のなかった時代に魚を長持ちさせるためにやっていた技法で、それは1石五鳥くらいあるという話から始めていました。ただ、僕の場合、ベースは江戸前で、古いもののいいところを残して新しいエッセンスを加える温故知新のスタイルに変えています。そうするとさらに美味しくて格好いいものになるから、それを発展させたいとも言っています」
メディアもフーディーも注目した鮨シェフは、話せばパワフルかつユニーク。NYからパリ講演に向かうアーティストがプライベートジェットでの鮨サービスを依頼するようになり、タイやオランダの王室関係者も齋藤さんの鮨を食べた。次は3つ星と予想されたが、「3つ星は自分の店で取りたい」と、齋藤さんは絶好調のままNYを去ってカナダへ渡った。
「NYを変えるよりもカナダを変える方がやりがいがあります。NYってもうある程度何でもあるじゃないですか。でもカナダはまだ手付かずの状態。NYにいた頃から、僕のパートナーが招待してくれて1泊2日でトロントに行っていたんですよ。その時にフレンチ、イタリアン、鮨、色々食べて、なんでNYからフライト1時間の距離しかないのに、こんなレベルが低くなるんだって衝撃を受けました。
カナダは広大な土地に3800万人ぐらいしか人口がいなくて、自然はいくらでもある。太平洋と大西洋に挟まれて湖も川もあって魚は獲れるし、鴨や鹿とかジビエ系もいける。食材の環境としては申し分ないのに料理人のレベルが低いのか、お客さんの舌のレベルが低いのか。色んなことを考えた時、いや、ポテンシャルはあるから変えられるはず、やってみようと思いました」
「カナダにミシュランがなかったのも大きい」と話す。
「僕が来ただけじゃ分からないですけど、ミシュランを呼びたいと思いました。ミシュランは、ミシュランというブランドを使って競争させたい。なぜあの店は俺より下と思っていたのに1つ星なんだ? という風に切磋琢磨するから、街おこしになります。カナダはいままでその競争がなかったんです。
ミシュランをきっかけに競争が起きて、“これでいいや”と作っていたシェフが、“こうじゃなきゃダメだ”に変わっていく。カナダの食が底上げされます。ここに来たのはカナダを変えることが大前提であって、そしたら僕の収入も増えますしね(笑)。と言いつつそれは別問題で、もっと影響力が出て発言にパワーを持てるようになれば、日本の食との関係も動かせるはずです」
齋藤さんがカナダに来てから3年後の2022年、トロント市長から政府への働きもあり、カナダ初のミシュランがスタートした。
「ポテンシャルあるんですよね、この国。なんで誰も目をつけてないんだろう? だから天才なんです、僕」
僕、エロい動きをしてエロい鮨を出しますよ
米には新潟産コシヒカリを使用。選びの基準は鮨のセオリーとは少し違った。
「普通、鮨は硬めに炊くので粘り気がない米の方がよくて、ササニシキ系とかの方が鮨に向いています。でも、僕は鮨に合う米を選ぶんじゃなくて、一番旨い米を選んで、その米をどう僕の鮨に合わせるかを考えたかった。シャリを弟子に作らせる店も多いですが、自分でお客さんの目の前で作ります。自分が一番シャリ切りの技術と知識があって、米に対する気持ちもトップで、“シャリが命”と言っているのに他の人にやらせたら矛盾ですよね」
おまかせの例となる流れは、前菜6種、鮨12種、お椀、デザート。齋藤さん自身が一番好きな金目鯛の昆布締めから始まり、スモークした鰆などが続く。正直、北米では日本人より繊細とは言えない味覚の人が多く、咀嚼の回数も少ないので、スモークのように香りが強いものや脂がのった魚の炙りが好まれるとか。
鮨については、取材後半に意外な流れでも解説された。「鮨屋って大変なんで、最終的には休みたい」との言葉の続きで、「結婚もしてないですし、彼女もいません。僕、めっちゃモテるんですけどね、つき合うとか結婚に発展しないんですよ。僕のエネルギーに押されて合わなくなるみたいです」となり、鮨職人はモテるか否かの話になった時だった。
字面だけだとギョっと思うかもしれないが、これが本人の声で聞くと笑ってしまう。たまにカウンターでカナダ人に話しても盛りあがるとか。下ネタのようで、意外と食の核心をつくいい話でもあるから、切り抜かないでほしい。
「要は気持ちの話です。旨いと笑顔になるし、幸福度が高くなるし、絶対にプラスの感情が起こるので、身体にもいいことしかないんですよ。気持ちってやっぱり身体の根底にあって、自己暗示となって変化を及ぼす。体調悪いけどこれは風邪じゃないと思ったら風邪治ったりしますよね。“鮨を食べて癌克服しました”なんて話があったら、最強です」
細かな評判を気にせず、美しすぎないトークがリアル。こういう話と、海外で成功する人こその含蓄ある言葉が入り混じるので、引き続き注目を。
ところで、好きな音楽を聞くと、昔は日本のヒップホップが好きだったそうで、名前があがったのは、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDだった。聴いて納得した。
「鮨は、やってる限り満足することはないですね」
後編(こちら)では、齋藤正樹さんだからこそ知る、北米で高級鮨に来るリアルな客層や、サービスの重要性についてお伝えする。
■ Sushi Masaki Saito
● 大石智子(おおいし・ともこ)
出版社勤務後フリーランス・ライターとなる。男性誌を中心にホテル、飲食、インタビュー記事を執筆。ホテル&レストランリサーチのため、毎月海外に渡航。スペインと南米に行く頻度が高い。柴犬好き。Instagram(@tomoko.oishi)でも海外情報を発信中。