2024.05.26
経営経験ゼロの27歳女子が、いかにして岩手最古の日本酒蔵の事業再建を成しえたのか⁉
創業250年越えを誇る岩手一の老舗酒蔵だった「菊の司酒造」が経営不振から事業譲渡。その引き請け先となった会社「公楽」で先頭に立って事業再建に励んできたのは、社長の長女で当時27歳の山田貴和子さんでした。しかし貴和子さんは経営経験ゼロのイチOL。何がわからないかもわからない状態からのスタートで……。
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編集・文・写真/森本 泉(Web LEON) 写真/菊の司酒造(一部)
しかし日本酒の消費量が年々落ち続け、業界全体が縮小を続けるなか、コロナの影響もあり「菊の司」の財務状況は著しく悪化。事業譲渡を余儀なくされ、それを譲り請けたのが、地元でパチンコやスロット、飲食やドローンなどの事業を手がけていた「公楽」という企業でした。M&Aの実施は2021年。当時、酒造りとはまったく縁のない企業に買収された「菊の司」の未来を明るいと思った人は少なかったのではないでしょうか。
しかしそこから3年が経った現在、「菊の司」は順調と呼ぶ以上の業績をあげて、今や岩手にとどまらず全国からも注目される酒蔵のひとつになっています。2022年には最新設備を揃えた新しい工場を作り、「innocent(イノセント)」という人気商品も産み出しました。
しかも、その快進撃の実質的な陣頭指揮を執ったのは、「公楽」社長・山田栄作氏の長女である山田貴和子さん。当時27歳で経営経験ゼロのうら若き女性でした。まるでテレビドラマを見るような見事な復活劇はいかにしておこなわれたのか? 盛岡駅からクルマで30分ほどの雫石町にある菊の司酒造の工場を訪ねました。
拍手もなければ挨拶もなく、というところから始まって
── 元々、「公楽」さんには会社として事業再生とかM&Aの経験はあったのですか?
山田貴和子さん(以下、山田) いえ、初めてです。ただ、うちの社長としてはもう何年も前から地元の銀行さんを通じて「菊の司」の話をいただいていたようで、何度もお断りをしていたのです。それが最終的には、もう「公楽」さんがやらないのであれば、菊の司は倒産しますと言われまして。
元々「公楽」の初代だった私の祖父がとても日本酒が好きで、いまはなくなってしまったのですが「岩手川」と言うお酒があって、祖父の葬儀の際も祭壇に一升瓶を500本も並べてご参列の皆さんにお配りしたぐらい日本酒を愛していた人だったのです。
山田 はい。あとは「公楽」の企業理念が「チャレンジする人を応援する」というものでして。うちの社長の山田も、最終的には自分がチャレンジしなくてどうするんだという部分もあったようです。
── 当時、蔵には何人ぐらいの方が働いていたのですか?
山田 ご一族の方が5人と、あとは蔵人が15人ほどでしょうか。
── その方たちは?
山田 基本、従業員は蔵人や杜氏も含めて皆さん、そのまま残っていただきました。
── そうなると、昔からいた方々は、全然お酒のことを知らない素人が突然やって来て、みたいな感じにはなりませんでしたか?
山田 そもそもM&Aは事前に外部に話すことはできませんので、社員の方も本当に前日に経営者が変わりますと聞いたような状況でした。うちの社長と私と、取締役、部長と4人で行って、皆さんの前で挨拶をして。もちろん拍手もなければ挨拶もなく、というようなところから始まりました。
山田 やはり中で働いていた方たちも思ったことはいっぱいあっただろうと。でも、もう「菊の司」は「公楽」の傘下になったので、まずはうちの社風とか企業理念ですとか、どういった規模で、この岩手県でやっていくかということをお話しして、そこで気持ちがあれば一緒にやっていただきたいとお伝えしました。
── これからは何をどう変えてというポイントとしては、どのようなことを言ったのですか?
山田 正直、お酒造りに関しては日本酒がわかるわけではなかったので、こういうお酒を造ってください、のようなことは言えませんでした。お酒については前のオーナー様と一緒に考えてやっていくつもりでしたので。
ただ、何日か通う中で、組織として、会社としての基本、それこそ電話の取り方から、お客さまへの挨拶まで、やはり「公楽」の基準で言えば、できていないと感じたことも多々ありましたので。まずは、そこから変えなければということで、私としては組織作りを1年かけてやっていこうと思いました。
新工場の図面は、自分たちで切って貼ってを何度も繰り返して
山田 それこそ「報・連・相」がないとか、誰かがどこかに出かけてもどこに行っているのかわからないとか。そこで、私は前職でITに勤めていましたのでSlackという社内連絡システムを導入して、それによって、誰がどこにいて、毎日の売り上げがいくらあってという事を、Slackにあげて報告してもらうようにしました。いちいち言わなくても皆で情報を共有できるようなシステムを作ったわけですが、それが浸透するのにも結構時間がかかりました。
山田 最初は当然拒否反応もありました。けれど、段々皆さんも何故こういうことにならざるを得なかったかということがわかってきて。お話を聞いていただいてからは、ガラッと変わりました。「菊の司」が変わるのであれば、それでやっていこうという風に臨機応変に柔軟に考えてくれる方が多かったと思います。創業のご一族とは最終的には一緒にできませんでしたけれど、それ以降は対立とかそういうこともなく進められました。
あとは元々会社に営業専門の方がおらず、オーナーさんがご自身でやられていたのですが、やはりそれだと商売を広げるのも難しいと思い、新たに営業を4人ほど立てて、造ったものをちゃんと広く売ってもらうという事もできるようにしました。
── 少しずつ組織を固めていったんですね。
山田 ただ、一番大事にしてきたのは、皆が酒造りに携わっているということです。私もですし、営業の人間もそうですが、外で働く者も酒造りの工程をしっかり勉強するし、一方、中で造っている若い子にも、例えば県外の催事に一緒に出てもらったりなどしました。
やはり、造るだけでは、最終的に瓶になったお酒を一般のお客様がどういう風に買ってくれるという所までわかりません。でも、それを見ることはすごく大事だと思っていまして。新しい工場もできて、通年の酒造りになってなかなか難しくはありますけど、そこだけは続けたいなと思っています。
山田 そうですね。まずは組織作りを1年ほどかけてやって来たのですが、そのうえでお酒をどう売るかという事を考えた時に、やはり基準を上げていかなくてはいけないと思いました。まずはそれまで造っていたお酒の質を落とさないという事でやって来たのですが、1年経って新体制で出荷したものに(外部から)マイナスのご意見はなかったので、新たな設備と機械を使ってより良いお酒にしていくというのが課題だと思いました。
あとは蔵がちょうど2022年に創業250年を迎えまして。その長い歴史の中で老朽化が進み、増改築を繰り返してきた蔵だったので、丸と三角と四角をどうにかつなげていたような感じで使い勝手が良くなかった面もあります。せっかくの250年という事もあって、新たな歴史をきちんと作っていくためには、新設した工場で再スタートを切った方がよいだろうという事で、急ピッチで1年かけて今の工場を建てました。
山田 新たに人は入れていません。私も社長も含めて20蔵ぐらいを、近場の東北エリアですが、見せていただきまして、機械屋さんともお話しして勉強しながら進めました。あとは蔵人さんと、ここはどうするというような話を何度もしていきました。図面も、切って貼ってを何度も繰り返しまして、部屋同士の高さを合わせるのが難しいなど、色々課題はありましたけれど、全体を一筆書きのプロセスでつなぐことが出来まして、そこは結構いい工場ができたのではないかと思います。
衛生面だけでなく、特に温度管理を細かくできるようになり、通年醸造が可能になったことで、前までタイトだったスケジュールも年間を通して分散して常に新しいものをお届けできるようになりました。生産量も、それまでは年間1000石ちょっとだったものが今は2000石までは作れるようになりました。
誰かと食事をする時に日本酒と言う選択肢はなかった
山田 そんなに飲む方ではなくて。飲むとしても父と和食を食べた時ぐらいで。誰かと食事をする時に日本酒というのはなかったかと思います。でも、ある程度は飲めるので、ビールが好きだった時もありますし、叔母とワインを飲んだり、友達となら酎ハイとかハイボールとか。
── 日本酒だけ抜けています(笑)。
山田 本当ですね(笑)。でも、家族でご飯をする時に飲む日本酒は本当に美味しかったですし。父の時代は先輩に無理やり飲まされてと翌日二日酔いになったりとか、日本酒には良くないイメージもあったみたいですが、私はそれはなかったです。ただ、友達と飲みに行こうかという時に日本酒という選択肢はありませんでした。
山田 「菊の司」のお酒自体はすごく美味しかったです。結構種類も多いのですが、仕事で携わるようになってからは、もちろん勉強のためにも全部飲みました。そうやって知恵を蓄えていったという感じでしょうか。
── 結構、日本酒の勉強はされましたか?
山田 はい。(お酒の)学校には通っていませんが、まずは工場に入って造りを一から学びました。日本酒は蔵によって本当に造り方が全然違うので、そこは自分の蔵の造り方をしっかり勉強しました。あと、うちの蔵には南部杜氏(※)がいるのですが、南部杜氏協会には特化試験というものがありまして。それも勉強して社長や「公楽」からの出向者と一緒に試験を受けて無事合格しました。
節約もあって、ラベルのデザインは自分のPCでやりました
山田 弊社のラインナップは、今、「菊の司」と、「七福神」と、「innocent(イノセント)」の3本柱でやっています。元々「菊の司」と「七福神」の2強でやっているのですが、それも、もっと減らしたいと思って、ゆくゆくは「七福神」銘柄に絞っていきたいと思っています。「菊の司」と言えば「七福神」というようにして、純米大吟醸から本醸造まで揃えまして、一方で生酒としての「innocent(イノセント)」を走らせたいと思っています。
── この「innocent(イノセント)」は山田さんが新たに作られたお酒という事ですが。どういう風に生まれたんですか?
山田 私が造りの現場に入りまして、搾りたてのお酒を飲んだ時に本当に美味しくて、感動しまして。冬の一番寒い時に、一番良い状態で搾った新酒の生酒というのが、どれくらいフレッシュで、美味しいものか、蔵人と同じ感動を他の方にも味わってもらいたいと思ったのがきっかけです。飲み口も優しいので、私のように日本酒をあまり飲まずにきた方にも飲んでいただきたいという思いがあります。
山田 はい。ただ、正直、まだブランディングという所まではいっておらず、まずはちょっと限定で始めたものではありまして。というのも、私が先頭に立って「菊の司」を再建していくという事になった時に、ガラッと変えたくない、または変えるべきではないと思ったのです。
当時、私もまだ27歳で、女性が少ない業界でもあるので、もっと、若い力を出して行ったらいいんじゃないかという声も、特に県外の方からはいただきました。でも、仮に最終ゴールをそこに置くとしても、まずはガラッと変えるのではなく、県内でお取り扱いいただいている方に安心していただいて、長く「菊の司」を愛していただけるというのが大事だと思いました。
なので、こういう新しいお酒も最初は考えていなかったのですが、工場を新しく作ることになり、さらに搾りたてがいかに美味しいかということを知って、それをお客様に届けたいという思いから、新たなブランドを立ちあげたという流れなのです。ただ、今は全国とか海外も見据えて「innocent(イノセント)」を推していきたいと思っているところです。
山田 はい、冷蔵だと、メインの移送はリーファーコンテナ(※)で運んでも、その前後の移動で常温になってしまったり。特に海外を目指すと、国によって状況も様々なので、望むようないい状態を保つのが難しいのです。そこで、「innocent(イノセント)」に関しては冷凍にチャレンジしたいと思い、お魚とかお肉を冷凍するような瞬間冷却器を購入しました。これだと、新鮮なままの状態でお客様までお届けすることが可能です。
▲ 「公楽」は飲食分野もあり、盛岡市内の炭火焼きステーキ店「天元」では菊の司酒造の酒とのペアリングも楽しめる。この日の一皿目は「函館産雲丹のバヴァロワ」。こちらには「innocent40」をペアリング。
▲ 2皿目の「山田町産牡蠣の自家製スモーク カブと柿ノマリネ」には「七福神38-sanpachi-」を。
▲ 3皿目「宮古産真鱈白子のムニエル」には「七福神ふくひびき」を。
▲ 5皿目「山形産最上牛A5ヒレグリル」には「菊の司結の香仕込み」を。
▲ 6皿目「山形県最上級牛A5ランプのロースト」には「七福神38-sanpachi-」を。
▲ 「公楽」は飲食分野もあり、盛岡市内の炭火焼きステーキ店「天元」では菊の司酒造の酒とのペアリングも楽しめる。この日の一皿目は「函館産雲丹のバヴァロワ」。こちらには「innocent40」をペアリング。
▲ 2皿目の「山田町産牡蠣の自家製スモーク カブと柿ノマリネ」には「七福神38-sanpachi-」を。
▲ 3皿目「宮古産真鱈白子のムニエル」には「七福神ふくひびき」を。
▲ 5皿目「山形産最上牛A5ヒレグリル」には「菊の司結の香仕込み」を。
▲ 6皿目「山形県最上級牛A5ランプのロースト」には「七福神38-sanpachi-」を。
山田 それも最初、私は精米歩合という概念自体を知らなかったので、新しく日本酒を飲んでいただくお客様には、日本酒の本当にファーストステップとして、ラベルに数字をプリントすることで、その概念を知っていただきたいと思いました。
── イノセントという名前はどこから?
山田 元々「無垢」という商品が「菊の司」にはありまして。通常出ている既存の商品の搾りたての生酒を近隣のお客様に向けて店舗で販売していたのですが、それをもじってみました。やはり海外にも出したいと思ったので英語表記を考えた時に「フレッシュ」とか「ピュア」だとちょっと物足りないかなと思いまして。でも、イノセントなら「潔白」とか「無実」のような少し振り切ったイメージもあるかと思い、そこまでのキャッチーさがあっても良いのかなと名付けてみました。
── インパクトのあるいいネーミングです。
山田 ありがとうございます。実はこの商品については黒瓶の選定からラベルデザインまで全部自分でやっています。デザインを勉強したわけではないので自分のPCでできる範囲のことではありますが、なにかちょっと自分のわがままと言うか、こだわりとして、少しでもこのお酒をお出ししたいと思うのであれば、自分の想像するラベルでありたいというのもありまして。あとは節約の意味もありますが(笑)。
── うまく育っていくと良いですね。
山田 こういうフレッシュな生酒がこの工場でできて、いつでも搾りたてを飲めるということを、もっとたくさんの方に伝えていきたいと思っています。
※後編(こちら)に続きます。