2024.05.27
27歳女子の再建物語。「私ひとりでは無理と初日に思って、父に頭を下げて人を入れてもらいました」
経営不振に陥り、事業譲渡となった岩手一の老舗酒蔵「菊の司酒造」の再建を担ったのは、当時27歳、経営経験0のIT企業OLだった山田貴和子さんでした。その経緯と事業再建の裏側に迫るインタビュー。後編では貴和子さんのパーソナルヒストリーを伺いました。
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編集・文・写真/森本 泉(Web LEON) 写真/菊の司酒造(一部)
たまたま実家に戻って、何かあれば手伝うよという話から
山田貴和子さん(以下、山田) はい。私は生まれも育ちも盛岡で、高校までは地元だったのですが、大学は東京に行き、その後東京で就職しました。学校で学んだのは心理学でしたが、入ったのはITベンチャー(笑)。2年ほどはずっと東京で働いていました。その後、家族の健康問題などもあり、一度家に帰ることにしたのです。その時に、父からM&Aの話が進んでいることを聞きました。
── では家業を継ぐとか、そういうことで戻ったわけではなかった?
山田 継ぐ前提ではありませんでした。たまたま戻っていたので、何かあれば手伝うよという話から今に至ります。
── でも、大きく人生が変わってしまった。
山田 そうですね、気づいたらと言うか(笑)。
山田 やはりベンチャーだったのもありまして、最初からなんでもやりました。その会社がメール事業と、あとは飲食店のPOSレジの事業でして。私はPOSレジの方に配属されたのですが、 営業もしましたし、レジの設置もしました。設置するためのラン配線のランすら自分で作って、先っぽをかしめたりもしました(笑)。
あとは、これから飲食店を建てるのであれば後ろの電気の動線をこう引いてほしいというお願いするとか、後半は新しい事業が会社の中にできたので、そこの教育係のような感じで、エンジニアと、システムを組むためのマニュアルをずっと一緒に作ったりですとか。なにかそういう、短い期間でいろんなものを見て、やらせていただけたのは今に生きてるかなと思います。
山田 経営ではなくホームページを一新したり、グループ会社のSNSを管理したりはしていました。
── だとしても、お父様からすると、新たに「菊の司」をやるという事になった時に、経営に関して言えば娘が何をどこまでできるとか全然わからないわけですよね。
山田 そうですね。
最初は現状把握のためにとりあえず行ったつもりが
山田 はい。4人兄弟の長女です。
── じゃあ、お姉さんだから、下の面倒をみたり、ご両親には頼りにされてきたところもあるのでしょうね。
山田 でも、ありがたいことに、勉強しろですとか、こうあるべきだとか、長女だから、これお願いとかは、まったく言われなかったと思います。だから、もしかしたら、自分でやってあげたいと思えたのかもしれないですけれど。
山田 勉強という意味では、学んでいることは、まだ少ないと思います。でも今まで見てきたことですとか、多分、ちっちゃい頃に、親が話しているのを聞いたりですとか。あと、うちが結構、ボランティアにも携わっていたので、一緒にちょっと手伝いに行ったりですとかはありました。
それで、経営を学べているとは言いませんが、そういう、会社としてこうありたいよね、ですとか、目先のことでなくても、それが結果に繋がることがあるのではないかというのは、見せてもらってきたのかな、または、学んでたのかなと思います。
山田 そもそも父は、事業を引き継いだ段階ではお酒も人も変えるつもりはなかったし、変えられるとも思っていなかったと思います。なので、私も当時、取締役をいただいたというのもあって、現状把握のために私が一人で「公楽」の者として行ったわけです。
ところが、そこは多分、私が未経験者だったのもあって、自分ひとりではできないと、もう初日から思いまして。自分がしたい規模のことを、自分だけでするのは無理だとすぐにわかりました。そこから数日で、父に頭を下げて、本社から人を入れてもらうことにしました。
でもそれは、父の期待に添えなくて悪いというよりは、うまくいかないことで「公楽」の社員の方々に迷惑をかけることが、なんだかすごく申し訳ないと思ったのです。であれば、頭を下げてでも、本社から人に来てもらって、一緒に「公楽」として「菊の司」を育ててもらいたいとお願いしたのです。
何がわからないかも、わかっていなかったと思う
山田 多分、それは、自分の家業、自分の会社、 自分の携わる、この立ち位置から見る会社だったというのはあると思います。「公楽」に入ってはいなかったのですが、やはり「公楽」のもと、父から育てられたわけですし。こういう社風、またはこういう風に県内で見られているというのは、例えば幼い頃から感じていました。
父の判断で「菊の司」の事業を受け継いだことによって、1つ会社は増えましたけれども、これが悪ければ「公楽」も悪く見られるわけですよね。
山田 していましたね(笑)。
── でも、山田さんは一方で、すごいワクワクされてたのかなとも思ったり(笑)。
山田 いや、もう本当に、多分何がわからないかもわかっていなかったと思います。まずは 1日1日、自分のできるマックス値でやるしかないという気持ちでした。
多分、本当に最初は、 単なる把握のために、この「菊の司」の中に、自分は入るんだと思っていたはずなのです。本当にそうだったのですけれども、初日に、あ、こう見なくてはいけないんだということを感じたのです。
そこからは、少しずつ、 直していきたいことだけで頭がいっぱいでした。本当にいかに早く、そのレベルに持っていけるかというのをやっていると、おそらく、 自分がどう思っているとか、周りから見てどうだとか、あまり考えられなかったのかもしれません。ただ、もう、1年で絶対に組織を作り上げるという勢いだけで……。
山田 はい。でも、一方で自分たちからは一切発信しないようにもしていました。正直、県内の方からすると、「菊の司」がM&Aをした理由ですとか、 なぜそうなって、「菊の司」は果たしてどうなるのかと気になる方もいたと思うのですが、そういうことをまったく発信しませんでした。事業譲渡がありましたということを、蔵のサイトの1番上にリンクしただけです。
それは、やはり、 どこかに目についてしまえば、絶対色々な声が出てくることはわかっていましたが、その段階で、その声に対応できる組織ではないと思ったのです。誰が対応しても同じ基準とレベルで受け答えできるような組織になるまでは、あまり、人に見られたくないと思っていました(笑)。
そして、今、1年かけて組織作りをして、ようやく、多分、こうやって来ていただけるようになり、ちょうどコロナが明けたのもあるのですが、外への発信も頑張らせていただいている状況です。
山田 そうですね。元々、「菊の司」は県内消費が大きく、やはり、宴会ですとか、お神酒ですとか、人が集まるところで使っていただくことが多かったのが、コロナで一気に減ってしまいました。コロナが収まってきても、岩手県は結構自粛の傾向が強かったのです。それがようやく昨年の頭から、本当にやっと、外に出てもいいかなぐらいでしたので。そこからは、営業を立てて、県外の祭事は、お話をいただければなるべく出ましたし、私も昨年は、あちこち県外・県内を行き来して、やっと普通に動けるようになった2年だったと思います。
10できるポテンシャルがあるのに、5だけしかできていない
山田 はい、1年と2カ月ですね。11月でしたので(※取材は1月)。
── その、当初というか、最初にこうしたいなと思ったことの、今ってどれぐらいできている感じですか?
山田 お伝えする方によって数字は変わるんですけれども(笑)、この流れで言うとするならば、半分ぐらいでしょうか。結構、まだ自分自身が一杯一杯なことですとか、あとは、どうしても課題をいかに早くクリアしていくかを考えると、誰かに頼むよりは、つい自分でやってしまうところですとか。 そうですね、そういうことを思うと、本当は10できるのに、5だけしかできていないと思います。
自信を持って、今日という日は、「菊の司」のマックスではあるんですけれども、もっともっと、 濃くできるかなと思います。会社として問題に対応する力ですとか、お客様が感じる手厚さとか、信頼とかというところでは、もっと、もっと、「菊の司」のポテンシャルと人であればできるかなと思っています。
山田 そうですね。自分たちから聞くようにしているのもあります。なので、県内ですと、本当に、いかに 直接顔を出すかというのが大事で、それを、去年からずっとやらせていただいています。直接、お話することで、どう思われているのか率直な意見を伺うこともできます。県外に関しましても、どちらかというと新規の方が多いので、まずは、サンプルをお出しして、飲んでみていただいて、「菊の司」をどう見ている、またどういうことを期待してうちを選んでいただけるのかというのを伺って、その声を一番大切にするようにしています。
── 今の課題というか、目標のようなものはありますか?
山田 造り、製造で言いますと、全国の鑑評会の金賞ですね。そして営業で言うと、海外はこれぐらい出すとか、県内でこれぐらいとか。その売り上げの数字を上げるためにどうしていくかという逆算を、今、自分たちでしているところなので。 本当に2つに分けて、営業であれば売り上げ目標を実現し、製造であれば全国の鑑評会の金賞を取り続けるというのが、大きな課題かなと思います。
「M&Aの話が決まって、日本酒についてふたりで学び始めたのですが、娘は本当に一生懸命で、毎日夜中まで勉強していました。その熱心な姿を見ていたら、彼女に任せてみたいと思いました」と。
まさに「チャレンジする人を応援する」という「公楽」の社訓を実践して、娘に大きなチャンス(&試練?)を与えた父親。それに見事応えて結果を出しつつある娘。とはいえ父娘ふたりのチャレンジは、まだ始まったばかりです。「菊の司」がどんな酒蔵に育っていくのか楽しみに見守りたいと思います。