2024.08.31
鮨職人・幸後綿衣「鮨って“人間性”が出る。そこが厳しくて、おもしろいところです」
2023年11月に開業した「鮨 めい乃」の大将・幸後綿衣さん。大学卒業後、鮨職人となるべく名店で修業を積み、「鮨あらい」では二番手として個室のカウンターを担当。独立後の店では、連日、満席が続く。彼女はなぜこの世界を目指したのか。また彼女の鮨が人を惹きつけるわけとは。
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写真/トヨダリョウ ヘアメイク/KOUTA 文・編集/アキヤマケイコ
女性鮨職人は、“ブルーオーシャン”。でも修業の壁は、想像以上に高かった
幸後綿衣さん(以下、幸後) 私は、就活を全然していなかったんです。やりたいことが見つからなくて。そうしたら父が「鮨屋になるのがいいんじゃないか」と言ってくれた。それがすごく腑に落ちたんですよね。食べることが大好きな家庭で育ったし、大学時代にはカフェ、バー、弁当店、アパレル……といろいろアルバイトを経験したのですが、その中で飲食業が一番、続けていけるイメージが湧きました。しかも鮨職人は、女性が少ない“ブルーオーシャン”だし、海外で活躍できる可能性もあるなと。
── お父様から「鮨職人」を勧められたというのは意外ですね。
幸後 父も飲食系ではないのですが自営業で、先を見る力がある。私にも以前から「将来性があって、成功する確率が高い仕事に就け」と言っていました。
修業先でワインの世界にハマり、鮨職人兼ソムリエに
幸後 お店で実践的に修業をするなら、最も高いレベルの場所でないと、と思っていましたから、まずは当時、評判が高くて、実際に自分で食べに行った時も感動した「すし匠」に入りました。でも、そこで早々に挫折しそうになりまして……。
── 職人の下積みって、過酷なのでしょうね。
幸後 男性ばかりで、体育会系の縦社会だったので、学生時代に部活の経験もなく、大学はキラキラした女子学生が多い環境にいた私には、ギャップが大きかったですね。何より「すし匠」は、昼夜、営業をしていたので、体力的にキツかった。同僚は若い男性ばかりで、ついていくのが大変で。
仕事ができない自分が不甲斐なくもありました。魚の頭落としや魚を下ろすことが上手くできない自分、 先輩から指示されても疲れきっているせいでミスしてしまう自分……。意志さえ強く持っていれば、たいていのことには耐えられると思っていたのですが、最初の1年くらいは、毎日、辞めたいと思っていました。
幸後 行き詰まっていた時に、当時の親方・中澤圭二さんの勧めで「西麻布 拓」に移ったんです。ここは夜の営業だけで、女性のホールスタッフもいて柔らかい雰囲気もあって、自分に合っていました。ワインも置いていたので、その勉強も始めました。少し時間に余裕ができたので、朝は他の人より早くお店に行って勉強して、 週1日の休みには学校へ通ってソムリエの資格もとりました。体力面で挫折しかけたので、それ以外で、私が他の人に勝てるものを作りたかったんです。
その後、「すし匠」で二番手だった新井祐一さんが独立されることになり、声をかけていただいたので「鮨 あらい」に移りました。
鮨から離れて、ワーキングホリデーで渡仏。それをきっかけに腹がくくれました
幸後 尊敬していた新井さんのもとで、自分なりに一生懸命やっていましたが、しばらくすると、やはり迷いを感じてしまって。それで仕事を1年休んで、フランスにワーキングホリデーに行きました。ここで一度、鮨職人の世界を離れてみて、ワインについて思いきり学んだことで、日本にいた頃にやっていた鮨の仕事が、改めて好きになれたんです。
フランスでは、ブルゴーニュのボーヌという街にあるの「コロンビエール」というワインバーで働いていたのですが、そこは世界中からワイン好きが集まるし、生産者の人も来る。ワインリストも辞書みたいな厚さで、日々、多くのワインについて勉強できました。そういう環境に身をおくと、ワインの作り手のこともよく分かるようになって、「こういう思考の作り手のワインだから、こんな味だろう」と、栓を開けなくても味の想像がつくようになってきました。
それって、鮨の世界にも通じるものがあるんですね。例えば「新井さんが握った小肌だから、 こういう味だろう」と食べる前に想像できる。ワインも鮨も、作り手の考え方、人間性が出るというか。
フランスのパーティーで、ワインの生産者に鮨を握ってあげると喜ばれるし、そのうえでワインの見識もあると、言葉が話せなくても気持ちが通じる。そういう自分っていいな、と思えた。
夕方、仕事を終えてほっと寛ぐという働き方も体験して、「自分の好きなことをして、自由に働いていいんだ」と感じられたことも、よかったですね。
── フランス行きが、大きな転機になったのですね。
幸後 そうですね。それから「鮨 あらい」に戻って、職場の環境は変わっていなかったんですが、私自身が変わったので、すごく自由な気持ちで働けるようになりました。「鮨職人として絶対生きていこう」という覚悟が決まって、実はその頃に「小肌」のタトゥーも入れたんですよ。
お店の空気感をコントロールする鮨職人に、人間力は不可欠です
幸後 ワインを本場で学んでみて、ソムリエとして一流で生きていける気はしなかった。逆に「鮨職人で、ソムリエでもある」という自分の理想像が、くっきりした感じですね。
── なるほど。先ほど「鮨には人間性が出る」とおっしゃいましたが、どういう意味ですか?
幸後 鮨って、カウンターの前に立って、2、3時間、自分が最初から最後まで作ったものを出して、お客様にどう思われるか、という世界ですから、やはり最後は“人間性”だと思うんです。
もちろん、十分に技術を取得して、それをお客様の前で発揮できるようにならなければいけない。それも一朝一夕でできることではありません。そのうえでさらに、お客様にいい空気感で出す、ということも大切です。その場のムードを調整することも必要で、そういう意味でも、鮨職人には人間的な魅力が備わっていないと、と思いますね。
幸後 そうなんです。人間的な魅力って何なのか、はっきりは分からないですけど、とにかく自分がやりたいことに向かって、一生懸命、ピュアに生きていくことが大切な気がします。私が尊敬する鮨職人の先輩は、プライベートも仕事も一緒、という人が多いです。で、日々、その人が過ごす様子が、鮨にあらわれてくるというか。
私自身は、いろいろなことを経験して知識を増やして、そこから感じるものが多いほど、自分が素敵な人になる気がします。だから、いろいろな場所に出かけて、たくさん人に会うことを心がけていますね。
「自分が提供するベスト」を考えるようになり、独立へ
幸後 個室を任せてもらえる二番手は、入った時からの目標でした。お店のクオリティは高いし、新井さんは仕事に対してめちゃめちゃ厳しいから、そのハードルは確かに高いんです。でも、声がかかった時に「できます」と言える実力をつけようと人一倍努力してきたつもりなので、実際になれたときはうれしかったですね。
── その次はいよいよ独立へ、となると思います。どんなタイミングで独立は見えてくるのですか?
幸後 憧れていた人、つまり新井さんに近づけるように努力していく段階から、「自分だったらこうしたい」が出てくるようになったころからですかね。
私も「鮨 あらい」で個室を任されるようになった最初の頃は、新井さんの仕事やメニューを踏襲してやっていましたが、それができるようになってから、徐々に、醤油はこうしたい、シャリはこうしたい、新しくこういう魚を仕入れて使いたいというのが出てきました。それを新井さんに相談して、基本的に自由にやらせてもらえるようになりました。
お店は「実家のようにくつろげる空間」がコンセプト
幸後 私の原点は、食べることが好きな家族に囲まれて育った実家です。だからお店も、実家で食事をしているようにリラックスできて、ここで過ごした時間が幸せだったと思ってもらえるような空間づくりを意識しています。それもあって、椅子は実家のソファと同じ色の、白と黄色のものにしています。あと私自身、キチキチっとした角の多い空間が苦手なので、カウンターや天井など、なるべく角を減らしています。キリッとしたカウンターで、緊張感のあるお店も素敵だと思いますが、私は緩やかでゆったりした雰囲気にしたいと思ったので。
── 鮨そのものには、どんな幸後さんらしさがありますか?
幸後 食材は、自分の中でベストだと思うものを揃える、という意志を強く持っています。魚は、産地や漁法、香りのトーンを重視して選んでいます。シャリの米は、滋賀県の針江のんきぃふぁーむさんが作っている「滋賀旭」。鮨が生まれた江戸時代からある、原種に近いお米です。現代の「米そのものがおいしい、甘い」というのと逆のバランスで、かえって素材のポテンシャルを高めてくれるし、あと米の香りがいいんです。
いろいろ手を加えると、その時はおいしいけれど、後で疲れることがある。それよりも食後感は軽くて、翌朝に「昨日のお寿司はおいしかったな」と思えるような。
── 今後、お店をどうしていきたいですか?
幸後 このお店をより素敵な場所にし、素敵な料理を出せるようにすることに注力していきたい。そのためには、私自身が素敵な人間性になることが大事なので、今後もいろいろな人生経験を積み重ねていきたいと思います。
自分の鮨で、一人でも多くの人に幸せを感じてもらいたい
幸後 女性鮨職人ということで興味を持っていただけることがある反面、女性だから嫌だという人もいるでしょうね。でも、私は鮨職人としておいしいものを出して、お客様に幸せを感じてもらえればいいので、気にしないです。
接待などで、初めてここにいらしたお客様が、私がカウンターにいることで、「女性? 大丈夫なの?」って思われるというリスクはあります。いわゆる“おっちゃん”がカウンターに立っていたら、何の違和感もないはずなのに、女性なら、出す鮨まで気になるとか。そういうお客様の印象を、帰る時までに、いかにひっくり返せるか。そこは頑張りどころですよね。
幸後 この店は、特に、やわらかい空気感の中で食事をしてもらうことを意識していますしね。私のテンションも自然体で、楽しく仕事をすることで、お客様にもリラックスしてもらいたいと思っています。鮨のクオリティは厳しく追求していますが、お店の雰囲気はやわらかく、ですね。
── 女性鮨職人の後進にも、大きく道を開かれた形になりすね。
幸後 ここ数年で、鮨職人が女性の専門職の選択肢に入ってきた、ということは感じます。この店にも実際に、修業に入っている女性がいます。彼女たちが、どんな鮨職人になりたいのか、どこまでのスキルを身につけたいのかによりますが、これから鮨を握って生きていこうと思っているなら、私ができることはしたいですよね。
── プライベートの時間は、まったくなさそうですね。
幸後 四六時中、鮨のことを考えていますし、休みの日も、地方に新しい仕入れ先を探しに行ったりしていますからね。でも、この世界に入った時から「プライベートは、別にいらないや」と思っていましたし、現在は仕事とプライベートの境があまりないです。どちらも趣味に没頭しているような。
今は自分のお店を持って責任を感じる事は多いですけれど、楽しいですよ。
● 幸後綿衣(こうご・めい)
1989年生まれ。福岡県で育ち、高校進学と同時に状況。上智大学卒業後、「東京すしアカデミー」で学ぶ。「すし匠」、「西麻布 拓」、「鮨 あらい」で鮨職人として修業。ソムリエ資格も所有し、2017年には、ワインを勉強するために1年間、フランスへ渡る。帰国後、再び「鮨 あらい」に戻り、2021年から二番手として個室のカウンターを担当する。2023年に独立、同年11月に「鮨 めい乃」を開業。
マネジメント/Donna Inc.
■ 鮨 めい乃
住所/東京都港区麻布十番1-6-1 THE V-CITY 麻布十番 PLACE 6F
営業時間/17:00〜、20:00~
定休/火・水曜
メニューは、おまかせのみ5万円
予約/https://omakase.in/r/eu121794