2025.03.01
アリタポーセリンラボ/松本 哲社長
20億借金を乗り越えさせた魔法の言葉は「何とかなるっちゃない」
モダンでラグジュアリーなライフスタイルを提案する有⽥焼ブランド「アリタポーセリンラボ」。伝統工芸の世界にありながら、他と一線を画するモノづくりはどこから生まれたのか? 7代目弥左ヱ⾨を継承する窯元、松本 哲さんに聞きました。
- CREDIT :
文/秋山 都 写真/内田裕介 編集/森本 泉(Web LEON)
現代のライフスタイルに合った有田焼を追求
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7代目が背負った20億円の借金からの逆転ドラマ
松本 哲(以下、松本) 1804年に初代弥左ヱ門が弥左ヱ門窯を開きましたが、2代目でいったん倒産してしまいます。その後、家屋敷を取り戻すことはできたのですが、早逝してしまうんですよね。3代目は地域産業の発展のため有田に銀行を設立して財を成しましたが……続く4代目が大変ユニークなひとで。
当時、世界で注目され始めていた有田焼を海外輸出しようと、焼き物を持って単身ヨーロッパへ向かうも、途中のインド・ボンベイ(現ムンバイ)で資金が尽きてしまったそうなんです。その後は船員をしながら旅を続け、行きついたのはなぜか南アフリカのダーバンという街でした。そこで持っていった有田焼を資金にクリーニング屋をやっていました。
── なぜクリーニング屋だったのでしょう?
松本 なぜでしょう(笑)。当時、上流社会の人たちが清潔でパリッとした服装を好んでいたことや、アジア人が洗濯を得意とすると思われていたことなど、さまざま類推はできますが、はっきりとした理由はわかりません。結局、日露戦争(1904-1905)を機に帰国するんですが、南アフリカで学んだ洋食が得意だったようです。明治末期から大正時代まで、有田で「洋食といえば松本家」とずいぶん評判だったそうですよ。
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松本 私の祖父にあたる5代目です。彼は伝統的な金襴手古伊万里様式をモダンにリデザインしたシリーズ「ゴールドイマリ」を誕生させ、北米や欧州向けに輸出することで成功。最盛期には売上高が30億円、従業員は700名前後まで事業を拡大させました。今も世界中の古伊万里愛好家に愛用され、人気のあるシリーズです。
ところが6代目の際に円高の影響により輸出が縮小し始めます。折はバブル崩壊の時期でもあり、赤字がどんどん膨らんでしまいました。私はその当時、東京で銀行員をしていたのですが、実家に呼び戻され、20億円の借金を整理するために民事再生へと踏み切ります。その後、7代目弥左ヱ門を襲名しました。
── 大きなマイナスからのスタートですね。
松本 有田焼の家に生まれていながら、自分で何ができるというわけでもなかったので、有田工業高校の定時制に通い、ろくろ成型や絵付けなど、基本から学びました。でも、私、下手くそでしてね(笑)。有田焼はもともと分業制なのですが、職人さんたちの技術の素晴らしさを知ることができたのは大きな収穫でした。
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現代の食卓に似合う有田焼「JAPANシリーズ」
松本 まず、より多くの人に有田焼を受け入れてもらうにはどうすればよいのか、と考えました。従来の絢爛豪華で派手な有田焼は、昔の日本家屋には似合いますが、今の住環境やライフスタイルに置くと少々違和感があるのではと感じていたんです。そこで、現代の生活にマッチする新たな有田焼を開発し、「アリタポーセリンラボ」というブランドとして販売することにしました。
その特徴は、従来の有田焼がつるっとした白磁であるのに対して、「アリタポーセリンラボ」の作品は釉薬を刷毛で薄く塗り、マットな質感でモダンなイメージをつくりあげていること。絵柄は有田焼の伝統的なデザインを活用しながらも、色は2〜3色に抑え、モダンなライフスタイルに合うように工夫しています。パステルピンクやライトブルーなど、今まで有田焼では使われなかった色も新鮮だと好評をいただいています。
── フレグランスの「ゲラン」や、スペインの磁器メーカー「リヤドロ」など、多くのブランドともコラボされていますね。
松本 パリやNYの見本市などに出展することで、「アリタポーセリンラボ」は現代的な有田焼だとして注目を浴びるようになりました。今でこそ東京のミシュラン星つきレストランなどでも多くお使いいただいていますが、20年前は有田焼を和食店以外で目にすることはまだ少なかったんですよ。この我々のモダンな有田焼「JAPANシリーズ」は食のジャンルを問わずに、食卓をスタイリッシュに仕上げてくれると自負しています。
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目指すは「ブランド」ではなく「メゾン」
松本 ありがたいお言葉ですが、私たちが意識しているのはブランドよりメゾンなんです。ブランドと言うと商標や商品がフォーカスされますが、メゾンという言葉からは家や店というつくり手が意識されますよね。私たちは有田焼という400年伝わる技法を守りながら、4代目はヨーロッパ進出を目指し、5代目は「ゴールドイマリ」を世界へ伝え……それぞれに時代に即した有田焼を追求してきました。だから「アリタポーセリンラボ」は有田焼の「メゾン」と言えるのではないでしょうか。かといって私自身は職人でも、デザイナーでもないですけれどね(笑)。
松本 そうでしょうか(笑)。従来の有田焼を現代の生活に置いた際に、必要なものは残して、一部は刷新するという、“編集”の目線を取り込んだ点において、他とは一線を画しているのかもしれませんね。
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松本 意識したのは5代目のつくりだした「ゴールドイマリ」です。今は世界の美術館に収められているものも多いのですが、それらの様式を現代美術の観点から復刻したらどうなるかな、と。現代に調和する作風へアップデイトしたものが「ゴールドイマリ"モノリス"」となりました。
折に触れ自分にかける呪文「何とかなるっちゃない」
松本 著名な作家モノであればこの価格は珍しくないでしょうが、分業で職人たちがつくっていく有田ではあまり目にしないかもしれません。でも、この業界や産地が生き延びていくためには、付加価値のつけ方が重要だと考えています。
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松本 (ゆっくりと)そうですね。
── そのご様子から、30代で20億円の借金を負い、事業を再生させた方とは想像がつきにくいんですが、大変な時にご自分を鼓舞される言葉などはあったのでしょうか?
松本 座右の銘などは特にないんですが……まぁ、「何とかなるっちゃない(佐賀弁で『何とかなるんじゃないですか』」でしょうか。
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● 松本 哲(まつもと・さとる)
九州大学経済学部卒業後、都市銀行に入行。3年間勤めるが実家に呼び戻され、20億円の借金を整理するために民事再生を行い、家業を継ぐことになる。有田焼を今一度世界ブランドにするために、現代のライフスタイルに合ったモダンな有田焼「アリタポーセリンラボ」の開発を手がける。その中でも、日本の四季をテーマにした新しいスタイルの有田焼「JAPAN」シリーズは、NY、パリ、東京で高い評価を得ている。
■ アリタポーセリンラボ
創業1804年の歴史を誇る有田焼の老舗窯元、七代目弥左ヱ門が現代の感性と220年の伝統を独自に組み合わせて生み出した、他とは一線を画する有田焼ブランド。
HP/https://aritaporcelainlab.com/