2021.07.27
日本のメディアアートを牽引する真鍋大度の仕事観「みんなで知恵を出し合った方がいいものが出来る」
日本におけるメディアアート界のフロントランナーとして注目される、ライゾマティクスの真鍋大度さんへのインタビュー。後編ではその仕事観やコミュニティー観に迫ります。
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写真/トヨダリョウ 取材/一乃瀨光太郎 文/木村千鶴
後編ではライゾマティクスを立ち上げてからのこと、仲間や後輩、アートに対する思いなどを伺っていきます。
「お前は好きなようにやっていい、と言ってくれた仲間とライゾマティクスを始めました」
真鍋 確かにメディアアートをやり始めて、自分でやってきたスキルセットやノウハウみたいなことを、うまく組み合わせられたなとは思いました。プログラムも使えるし、音楽も作れるし、DJ的なパフォーマンスもお客さんがいれば出来るので。凄くハマったなと。
── 自分の道が見つかった瞬間ですね。それと失礼ですが、プログラミングというある種地味な仕事から、メディアアートに転換するにはどういう経緯があったんですか?
── DJ音楽ソフトを自分で作ってたってことですか!?
── 新しいことに挑戦する時に、成果が出るまでの苦労を考えて“やらない”という選択もあるはずですが、やってみるモチベーションはどこから来るのでしょうか。
真鍋 うーん、僕らのやってるメディアアートって、実験や研究自体が作品になるので良いんですよね。これは他の分野と大きく違うところだと思います。
── そもそも、メディアアートとはどういったものなのでしょう?
真鍋 メディアアートは1960年代後半くらいから始まったのですが、当時の作家は工学系の研究者だった人が多いんですよね。黎明期の研究者はものすごく早いことをしていて、例えばカメラで手を認識して、その動きに合わせてグラフィックが出てくるとか、面白いけど役に立たないとされていた成果を展示して楽しめるようにしたのが、メディアアートの発祥なんです。
── 意外にも発祥は古いのですね。
真鍋 僕らのやっていることも同じ。役には立たないけれど、それを見たり体験したりすることでテクノロジーの面白さ、そして危うさにまで触れることができます。実験・研究自体は自分の興味からスタートするけど、作品に対しては「なぜ作ったのか?」という理由は設定する。その落としどころは、IAMAS(国際情報科学芸術アカデミー)で学びましたね。
「YouTubeのDIY精神とオープンソースの概念に、僕のやっていたことがハマったんだと思います」
真鍋 いえ、2010年頃まではあまり仕事もなかったんです。Perfumeの仕事をしたことでエンタメの仕事が切り拓けて、広告はナイキのプロモーションの仕事からですね。
真鍋 はい。僕はそういうオープンソースのコミュニティにずっといるので、互いに公開合うことが大事だと思います。それは技術だけでなくアイディアも。自分一人よりもコミュニティみんなで知恵を出しあった方がいいものが出来るし、僕たちの価値は最終的には作品にありますから。
同じシステムで他の人が何かを作ったとしても、僕らの作品の価値は変わらないはず。だから、使ったプログラムなども全部公開しています。もちろん、守秘義務の部分は非公開とか、必要があれば特許を取っていますが、基本的にはみんなで作って行こうというマインドです。
── 使ったプログラムを全部公開するところにライゾマティクスの自信を感じます。オープンマインドから作品が出来上がっていくんですね。
真鍋 全体で盛り上がっていかないと。自分たちだけで独り占めするという考えは、僕らのいるカルチャーでは受け入れられないし、そもそもそういうマインドはみんなもっていません。ビジネスの人たちと僕たちは少し違うと思います。
── あ〜、カッコいいです。その方が世の中面白そうですね。
「自分の興味を形にしているのであって、出口を狙って作っているワケじゃない」
真鍋 そうですね。僕の仕事は、若手がやりたいことを実現するためにプロジェクトを作ることだと思っています。ライゾマってみんなのスキルセットが別々で、組み合わせでものを作っていく。だから、組み合わせの妙味の出し方なんかが僕のやるべきことかなと。でも、基本的にはみんなにやりたいことをやってもらって、そこに何か案件がくっついてきたらいいなという感じです。なんか、猫の世話を猫がしている、みたいな(笑)。
── ワハハ。
真鍋 バックオフィスの人がいるおかげで、僕も自由度高く活動できています。
── やりたいことはまだまだ発見できますか? 例えば、今注目していることがあれば教えていただきたいです。
── それを使ってできること、期待していることは何ですか?
真鍋 ちょっと神秘的な話になりますが、例えば、何かを見て美しいと思うのは人間特有の感情で、その機能を止めたら、何を見ても美しいと思わないんですよね。美術で大事だとされている美的感覚って、脳の中で起きている回路的なものでしかないから、そこを止めたら体験できない。そこにアートの本質が隠されているかもしれない、というようなことを考えながら実験しています。
── お話を伺っていると、ご自身がこれまで「こうできたらいいな、こうなるかな」という興味からしていたことを、他の人たちが作品やエンタテインメントに変化させてきたのかな、と感じました。
真鍋 基本的に、自分で興味をもってやっていることって、出口を狙って作るものでもないなと。もちろんそういうやり方もあると思うんですけど、なんというのか、本当に人類が体験したことのないアート作品を作れるかもしれないので、そこにちょっと賭けている。人間の限界を拡張したいみたいなところがあるかなと。
── 真鍋さんはアーティストである前に研究者なんですね。
真鍋 そうですね。少なくとも研究者と一緒にやらないとできないですね。特に、脳に電極を送るような医療系のリソースとかアセットって、いろんな大学に掛け合って、使えるまでに10年かかっているんですよ。しかもそこの大学で働くっていう条件もついて、ようやく使えるようになった。でもアートって、そういう長期プロジェクトで別に構わないので、10年経って実現して、またその先10年を使って何かできればいいので。
真鍋 僕がやっているアートは、自分の興味にどれだけ忠実でいられるかなんですね。外に向けてどうプロモーションするか、販売していくかとかはあまり考えていない。やっぱり本来的にはアーティストは、研究者とか発明家であるべきだと思う。その人が興味をもっていることにちゃんと忠実に作っている、そういう表現なのかな。少なくとも、僕が見たいアートというのはそういう作品ですね。
── では最後に、真鍋さんが考えるカッコいい大人って?
真鍋 岡村靖幸さんかな〜(笑)。歌って、踊って、楽器ができて、曲も歌詞も作れる。ライブを観に行った時、本当にオールマイティのパフォーマンスをしていて、カッコ良かったんですよ。僕は頭の中での仕事が多くて、身体表現は出来ないので、ダンサーとかシンガーとか、演奏者みたいな人たちには絶対的な憧れがあります。
● 真鍋大度(まなべ・だいと)
アーティスト、プログラマ、DJ。2006年Rhizomatiks 設立。身近な現象や素材を異なる目線で捉え直し、組み合わせることで作品を制作。高解像度、高臨場感といったリッチな表現を目指すのでなく、注意深く観察することにより発見できる現象、身体、プログラミング、コンピュータそのものが持つ本質的な面白さや、アナログとデジタル、リアルとバーチャルの関係性、境界線に着目し、様々な領域で活動している。
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