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2024.07.28

日産「フェアレディ」の歴史を振り返る。一番好きなのはZ33!?

今では日本を代表するスポーツカーとなったフェアレディZ。初期モデルからフェアレディを見続けてきた筆者。実は、スポーツカーとして広く人気を集めたZの中では、5代目Z33型が一番好きだと言います。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第238回

フェアレディの思い出!

イラスト 溝呂木 陽 日産 NISSAN フェアレディZ
改めていうまでもなく、フェアレディZは、日本を代表するスポーツカーだ。加えて、世界のクルマ好きに、もっとも広く知られたクルマでもある。

Z以前のフェアレディもオープンでスポーツカーの姿はしていた。だが、初期モデルは、シャシーもエンジンもダットサン トラック/セダンとほぼ共用。非力としか言えなかった。

とはいえ、日本の乗用車の黎明期に、「オープン スポーツカー」を作った気概には敬意を表したい。

フェアレディがスポーツカーと呼べる性能をもった初めてのモデルはSP311型。通称、フェアレディ 1600だ。1,6ℓ/90psのエンジンは、パワーもあり、高回転域まで気持ちよく回った。
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トランスミッションはフルシンクロ。フロントブレーキはディスクになり、シャシー性能も大きくステップアップした。

以前書いた「初代シルビアの話」で触れたが、、、当時のスポーツ車の性能判断の材料として、もっとも注目されていたのは「ゼロヨン」。「0~400m」の加速タイムだ。

僕は日産車両実験部立ち合いの下、シルビアのゼロヨン テストを行い、メーカー公表値の17.4秒を0.7秒上回る16,7秒を叩き出した。その結果はすぐに拡散し、シルビアの、日産車のアピールに少なからぬ貢献をした。

ちなみに、このゼロヨンタイムは、圧倒的に軽量だったロータス エランを除く、すべての同クラス スポーツカーを上回っていた。

となれば、シルビアと多くを共有するフェアレディ1600のパフォーマンスも、当然、高い位置に押し上げられる。そして、フェアレディはとうとうスポーツカーファンの注目の一台になったのだ。

次いで、1967年、大幅にパワーを引き上げたフェアレディ2000が登場。日本GPでの圧倒的勝利や、FRが不利とされるモンテカルロラリーでの活躍で、世界的知名度をも高めた。
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私事になるが、、僕は当時日産レーシングスクールに通っていたが、日産は僕の専用車として、レース仕様のフェアレディ2000を用意してくれた。これは大感激だった。

僕はそれに応えて必死に練習。北野元さんや高橋国光さんも、同乗して直接教えてくれた。僕のタイムはグングン上がっていった。

それを知ったメーカーチームから契約のオファーが来たり、光栄なこともあった。でも、僕はただ、運転が上手くなりたかっただけで、レースドライバーになる気はなかった。

そんなところへ「オートスポーツ」誌から願ってもない話がきた。「レースカーの試乗記を書いてもらえないか」とのオファーだ。

僕は喜んで受けた。試乗の中心は、市販車ベースのレーシングカーだったが、時には、プロトタイプやフォーミュラ3/2、果てはCANNAMマシンまであった。

当時は、現在のようにレーシングドライバー出身のジャーナリストはいなかった。なので、僕にこうした話が来たのだが、おかげで僕は、素晴らしい、時には夢のような体験ができた。
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ちなみに、市販車ベースのマシンでは、なんとか胸を張れるタイムは出せた。だが、プロトタイプやフォーミュラ マシンではまったくダメだった。練習もなしでいきなり乗ったのだから、まぁ、当然のことだろう。

でも、レース仕様のフェアレディ2000を中心に、多くの日産レーシングカーで厳しい練習を重ねた体験は、後の僕の仕事の重要な軸になったし、一生の宝物にもなった。

1969年、そのフェアレディ 2000の後継車としてデビューしたのがフェアレディZだが、両車は、外観も中身もまったく別物だった。

フェアレディ2000は軽快なオープン2シーターだったが、フェアレディZは、欧州の高級GTにも肩を並べられるような重厚なクーペスタイルを纏っていた。

軽量なモノコックボディにはストラット式4輪独立懸架が組み込まれ、エンジンは直列6気筒が積まれた。日本向けの排気量は2ℓだったが、主力市場の北米向けは2.4ℓに拡大された。

L型6気筒エンジンは、性能的にはあまり目立ったところはなかったが、実用域のトルクはあり、誰にでも扱いやすかった。
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実用性、信頼性、整備性を重視したこのエンジンは、特に北米市場で歓迎され、Zは瞬く間に大ヒットすることになる。

初めは2シーターのみだったが、1973年にはロングホイールベース化された2by2が加えられた。市場からは受け容れられたが、僕は2シーターにしか興味はなかった。

1978年に2代目のS130にバトンを渡す。エンジンは2,8ℓが加えられ「280Z」のネーミングが与えられた。

走りの実力はもちろんのこと、内外装も立派になり、安全性や空力性能も磨き込まれた。すべての点でより立派になり、スポーツカーというより、高級GTカーの方向へと性格を強めた。

そして、1979年、「280Z」は、モータートレンド誌の「インポート カーオブザイヤー」を受賞するという栄誉をも手にしたのだ。

3代目のZ31型は1983年に登場したが、さらに華やかさを増し、エンジンも3ℓのV型6気筒が加わった。

1989年には4代目のZ32型にバトンを渡すが、ボディ幅は大きく拡大され、堂々たる存在感を身につけることになる。同時に、性能装備もさらに引き上げられた。
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1992年には、2シーター フルオープンの「Zコンバーチブル」も加わったが、カルロス ゴーンによる新体制構築のため、2000年9月をもって販売を終了。結果的に一時的な措置ではあったが、フェアレディは30年の歴史に終止符を打ったのだ。

しかし、その2年後の2002年7月、5代目Z33型の復活が告知された。ボディはクーペとロードスターの2シーターのみで、エンジンはNAの3.5ℓV6、VQ35DEが積まれた。

個人的なことで申し訳ないが、実は、このZ33型が出るまで、僕はフェアレディZがあまり好きではなかった。とくに2by2モデルのルックスは、どこから見てもカッコいいとは思えなかった。

スポーツカーのいちばん大切な要素は走りの性能かもしれない。でも、僕は違う。

僕の価値観では、「ルックスがいちばん大切」だった。いくら性能が良くても、カッコが良くなければ、僕のスポーツカーリストからは外れた。

でも、Z33型はひと目見て好きになった、無駄のない引き締まったルックスは、スポーツカーならではの精悍さに包まれていた。
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カルロス ゴーン体制になって大幅な車種整理が行われたが、僕は担当副社長によく呼ばれ意見を聞かれた。真剣な議論は、長い時には7時間、、深夜にまで及んだこともある。

そこで僕が、日産ブランドのため「絶対残すべきモデル!」と強く進言したのは、「日本でのGTR 」と「北米でのZ」。「これ以外はすべて一新してもいい」とまで言い切った。そして、結果はほぼその通りになった。

Z33は開発にも携わり、アメリカでのテストにも同行した。試験車ではデザートエリアまで含めて、カリフォルニアを走り回った。

正式発表された後にも、LAを中心にカリフォルニアを走り回った。引き締まってスッキリしたルックスにはモダンな香りがあり、カッコ良かった。例えば、ビバリーヒルズ エリアにもよく馴染んだし、多くの人目を引いた。

大好きなサンタモニカを起点に、コーストハイウェイも走ったが、赤く染まるビーチの夕景に包まれたシルエットには心惹かれた。
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Z33、、特に2007年デビューの後期型は走り味にもグンと磨きがかかり、なんとなく走っているだけでも心は軽くなってくる。

最新の6代目、RZ34型には乗っていないが、いい仕上がりと聞いている。でも、そのルックスを見る限り、歴代フェアレディで僕が「いちばん惹かれるのはZ33」という答えに変わりはない。

人によっては、サラッとしたシンプルなルックスを「安っぽい」と感じるかもしれない。それが、中古車の価格の安さに結びついているのかもしれない。

そう、安い中古車価格を見る限り、「Z33がいちばん好き」という僕は、ちょっと変わり者なのかもしれない。

でも、そう思われてもいい。もし、僕がフェアレディを買うなら、後期型のZ33を選ぶ。

Z33を安く買い、物足りない部分のチューニングを含めたフルレストアにタップリお金をかけて乗る。きっと、大きな満足感をもたらしてくれるに違いない。
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● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

ART PIECES (溝呂木 陽)

■ ART PIECES (溝呂木 陽)

夏の終わり、吉祥寺ギャラリー永谷2にて6月に行ったイタリアで描いた水彩画や、作っている模型の展示会を行います。

2024年8月29日(木)−9月2日(月)
10時〜18時(初日は13時より、最終日は15時まで)
ギャラリー永谷2 (吉祥寺ヨドバシカメラ横)
東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目20-1 1F

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