2024.08.11
20代くらいの明るい女性に「あのクルマ、カッコいいね。もしかしたら貴女のクルマ?」と声をかけたら
若い頃からアメリカ好きだった筆者は、アメリカ映画やドラマに登場する田舎のモーテルに惹かれ、アメリカを訪れる度、モーテルに泊まり続けました。ある朝、部屋を出ると、受付の脇に60年代の乗用車をベースにした、ピックアップが駐まっていて……。
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第239回
アメリカが好き、モーテルが好き!
そして、1950年代半ば辺りからは、アメリカの音楽に強く惹かれるようになった。その中心にいたのがエルビス プレスリー。
特に、1956年にリリースされたハートブレーク ホテルには夢中になった。エルビスのレコードを買いまくった。
1960年代に入ると、アメリカのTVドラマが日本でも放送されるようになったが、これにも夢中になった。とくに好きだったのが「サンセット77」。
そんな状況の下で、僕のアメリカ好きはさらにさらに加速。16歳から乗り始めたオートバイでは、ハリウッド映画『乱暴者』の主役を演じたマーロン ブランドの出立をそっくり真似て、得意になっていた。
とにかく、僕はアメリカが好きで、アメリカに憧れていて、、アメリカに行きたくてしょうがなかった。でも、当時は観光目的の海外渡航は許されなかった。
観光目的のパスポートが発行されるようになったのは1964年4月1日から。大学を卒業した年だが、僕はすぐパスポートをとった。そして、アメリカ行きの計画を立て始めた。
いちばん重要なお金の問題も、「ある時返しでいいよ」という条件で親が出してくれることになった。ラッキーだった。
どうせ行くならアメリカだけではなく、他国にも行きたくなり、飛行機は「世界一周」のチケットを買った。
フライトは東回りの世界一周。世界一周とは言っても、すでに自動車雑誌『ドライバー』の編集者の仕事も始めていたため、時間の制限があった。なので、LA、NY、パリ、ローマ、ロンドンに絞った。期間は2カ月。
「クルマ中心の旅の記事をできるだけ多く送る」という条件で、2カ月の旅を「海外取材」、つまり、仕事扱いにしてもらった。
さて、そろそろ本題の「モーテル」に話を移そう。上記のように、アメリカの映画やTVドラマに夢中だった僕だが、そんな中によく出てきたのがモーテル。
立派なホテルも多く出たが、僕が惹かれたのはモーテル。特に、街中のモーテルより、例えば砂漠の中を走るハイウェイ沿いにポツンと建つようなモーテルに惹かれた。
宿泊手続きは簡単。小さな受付で、身分証明書の提示もなしに、宿泊日数に応じた代金を払って鍵を受け取ればOK。
気を遣うこともないし、気取ることもまったく不要。ヅダ袋を背に、初めて海外の地に旅立った若造に、この気楽さはなんとも心地よかった。
安いモーテルでも、大方、寝具は清潔だったし、シャワーもTVもあったし、クルマは部屋の前に置ける、、大満足だった。
当時の宿泊費は忘れたが、現在は、庶民的なホテルは100~300ドルほど。対して、モーテルは50~150ドルほどだと思う。つまりホテルの半額で済むということだ。
モーテルの近くには、たいてい気楽なレストランがある。わかりやすいメニュー、安くてボリュームたっぷりで、ウェイトレスが明るくて、、。
そんなレストランにはジュークボックスがあり、独特の重低音の効いた音色を響かせる。好きな曲を選び、コインを入れ、曲が流れ始めると、「アメリカに来たんだなぁ!」と、、うれしさが込み上げてきた。
前にも書いたが、僕はデザートエリアの旅が好き。なので、LAに行くと、時間がとれさえすれば、カリフォルニアやアリゾナの砂漠を走り回った。
話は逸れるが、僕はどんなところでも寝られるし、どんなところでも、どんなものでも食べられる。お金のない若い時にも、よく海外に行けていた理由の一つだろう。
メキシコの砂漠地帯を旅していた時、クルマが故障して立ち往生。その時通りがかったトラックドライバーに声をかけたら、彼の食事と水を分けてくれた。
タコスにひき肉を挟んだものだが、、地面に座り込み、トラックを日除にして二人で食べた。言葉は通じなくても心は通じる。ハッピーな食事だった。
どんなものでも食べられるといえば、、カエルや蛇は序の口で、豚の鼻、犬、ゴキブリ、、いろいろなものを食べた。
そんな中、一度だけビビったのは猿の脳みそ。茹でた頭部が壷の器に入っていて、蓋状になった頭骸骨を取ると脳みそが出てくる。
話を戻そう。歳を重ねるに連れ金銭的余裕も出てきて、宿泊はテントからモーテルに変わっていった。
多くのモーテルに泊まったが、内容の良し悪しは別にして、いちばん強く記憶に残っているのは、人里離れたアラスカ(アメリカ)とカナダの国境で出合ったモーテル。
アラスカのフェアバンクスからカナダ経由でLAまで、シビックで走った旅でのことだ。モーテルというより、白く塗っただけの小さな掘立て小屋で、シャワーもなし。
掃除もあまりしていないようで、枕カバーやシーツ類も変えた様子はない。でも、そこに泊まらないと、数百kmも移動しなければならない。
で、枕には自分のタオルを被せ、洋服は着たまま靴を脱いだだけで眠った。でも、不思議なことによく眠れた。
受付には20代くらいの明るい女性がいたのだが、彼女に「あのクルマ、カッコいいね。もしかしたら貴女のクルマ?」と声をかけた。
間髪入れずに「そうよ! 私のよ!」と満面の笑みと共に答えが返ってきた。
僕は試しに、「見せてくれる? できたら、エンジンの音も聴きたいし、運転席にも座ってみたいなぁー」と言ってみた。
すると、「気に入ってくれたのね! うれしいわ! もちろんエンジン音も、運転席もOKよ。さぁ、いきましょう」と!
彼女入りの写真も喜んで撮らせてくれたし、僕を助手席に乗せてモーテル内を走ってもくれた。V8の音を褒めたら、うれしそうに何度か吹かしてもくれた。
砂漠や海辺のモーテルでは、朝陽の昂る方向の部屋を選ぶ。起きてカーテンを開けて、明るい朝陽を浴びる目覚めが大好きだからだ。
もう、クルマの旅は引退した。でも、もしもまた、一人でアメリカを旅することができるなら、昔を、若い頃を思い出しながらモーテルを辿る旅をしたい。
モーテルを巡る自由な旅を妄想するのは、僕の大きな楽しみの一つになっている。
ちなみに、僕の母はサンフランシスコ生まれだが、高齢になってから、「生まれ故郷を見に行こうか」と誘ったら大喜び。
LAにも行きたいというので、LA~サンフランシスコはレンタカーで移動したのだが、途中で海辺のモーテルの前にクルマを停め、今日はここに泊まってみようかと聞いてみた。
LAもサンフランシスコもすべてホテル。なので、一度くらいは「モーテルに泊まってみるのも楽しい思い出になるかもしれない」と思ってのことだが、、瞬時に、「いいわね。泊まってみたいわ。この可愛らしいホテル!」との返事が返ってきた。
そして、「帰りもここに泊まりたいわ」と言い出し、そうすることにしたのだが、、「いい親孝行ができたなぁ!」と、すごくうれしかったことを思い出す。
ちなみに、ここで書いているモーテルの話は、昔の思い出話。大型の立派なモーテルが多くなっている現在とは、かなりイメージの異なる部分が多い。
加えて、僕が「もう一度行きたい!」と妄想を重ねているモーテルもまた、僕が若かった頃の、ちょっとオモチャっぽくてカラフルで気軽なモーテルを指している。併せてご承知いただきたい。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。
■ ART PIECES (溝呂木 陽)
夏の終わり、吉祥寺ギャラリー永谷2にて6月に行ったイタリアで描いた水彩画や、作っている模型の展示会を行います。
2024年8月29日(木)−9月2日(月)
10時〜18時(初日は13時より、最終日は15時まで)
ギャラリー永谷2 (吉祥寺ヨドバシカメラ横)
東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目20-1 1F