2024.10.20
僕はなぜVWのトランスポーター、タイプ1・タイプ2に惹かれるのか?
フォルクスワーゲン(VW)と言えばゴルフGTIが一番のお気に入りという筆者。でもそれ以外に“時が経つほどに愛着が増し、より好きになっていった”のがトランスポータのタイプ1とタイプ2だと言います。あまり好きではないバン系のクルマの中で例外的にお気に入りとなった2台の心に残る思い出とは?
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第244回
VW タイプ2が大好きだった!

タイプ1が1950~1967年、タイプ2は1967~1979年に生産された。ともに長寿命のモデルだったが、「飽きた」といった感覚を持ったことはないし、時が経つほどに愛着が増し、より好きになっていった。
ちなみに、ビートルに対しても同様の感覚を持っていたし、初代ゴルフも同じだ。
もし、今、「歴代VWの中から、好きなモデルを1台あげろ」と言われたら、僕は迷わず初代のゴルフGTI をピックアップするだろう。
このカラーリングを纏ったGTIは、若く素敵なカップルとのコンビネーションで、デビューと同時にパリに送り込まれた。※1
※1 パリのお洒落なカップルに車両を提供したGTIデビュー時に行われたプロモーション
そして、ファッショナブルな人たちが集まるエリアを流し、人気のレストランや、クラブや、カフェの前に駐めてアピールした。
そんな作戦は見事に当たり、黒のゴルフ GTIの人気は、パリを発火点にして、瞬く間にヨーロッパ中に拡がっていった。
僕も欲しくてたまらなかったのだが、初代GTIは日本には輸入されず、諦めるしかなかった。そして、以前にも書いたが、2代目GTIの、日本での初オーナーになった。
2代目GTIのパフォーマンスは素晴らしく、初代を大きく圧倒していた。とくにトラクションは、当時のFWDの常識を超え、GTIの強力なパワーを余すところなく引き出せた。
とは言っても、現在に至るまでの、トランスポーターのすべてが好きと言うわけではない。僕が好きなのは、タイプ1とタイプ2。以後のモデルも嫌いではないが、「いいなぁー‼」と、強く心を惹かれることはない。
タイプ1は、フロントウィンドゥがセパレートタイプになっていて、大型のVWバッジを中央に付けた個性的な顔が好きだ。とても「優しい表情」に見える。
僕が触れたことのあるタイプ1は、ポップアップルーフを持つキャンピングモデルが多かったが、「こいつで世界のあちこちを旅したい!」と何度思ったことか、、。
「いつかはきっと、、」と想いはしたのだが夢は叶わなかった。でも、妄想の旅はずいぶん楽しんだ。
アメリカ大陸横断はもちろん、アラスカからカリフォルニアへの旅も楽しんだ。スペインからノルウェイの北端までも走ったし、オーストラリアや中東、アフリカも旅した。
1960年代の後半辺りからは、なんとかやりくりしながら、大好きなカリフォルニア詣でを繰り返し、砂漠の旅も楽しんだ。、、でも、タイプ1のキャンピングカーをレンタルしての旅は実現しなかった。
家内と一緒の時は、アリゾナに行くのでも真っ当なクルマをレンタルしたし、砂漠に入ることもほとんどなかった。でも、僕ひとりでのアリゾナへの旅は、ほとんど安いダットサン トラックをレンタルして、砂漠を走り、砂漠で寝た。
前にも触れたが、ダットサン トラックを選んだ理由は、単にレンタル料が安いというだけではない。スリーピングバッグにくるまって荷台で砂漠の星空を眺めるのが、最高に気に入っていたからでもある。
タイプ1に初めて乗ったのは、1960年代後半辺りだったかと思う。VW車の集いみたいなものがあって、そこで知り合ったタイプ1のオーナーに乗せてもらった。
キャンプ用に改装されたモデルだったが、シートもベッドもキッチンもよくできていた。これなら、長距離の旅も、簡単に、快適に、楽しくこなせるだろうと思った。
リアマウントのフラットフォーは、パワーはなかったが、気持ちよく、スムースな走りを味わわせてくれた。乗り心地も良かったという記憶がある。
先述したがT2(タイプ2)は1967~1979に生産された。シャシもエンジン/トランスミッションも、基本はT1から受け継いでいるが、フロントウィンドゥが1枚ガラスになるなど、ルックスは一新している。
運転視界だけでなく全体の視界が大幅に向上し、内装もモダンに快適になった。
リアサスペンションも改良され、1971年からはフロントにディスクブレーキが組み込まれた。エンジンも1.6ℓになり、エンジン出力も50psに引き上げられた。
スペック的には大したことはないし、事実、速くもなかった。
このT2のマイクロバスには、いろいろなところ、いろいろな場面で乗っているが、仕事での空港送迎や、仕事先からホテルへの移動がもっとも多かった。
僕が、VWトランスポーターの、T1、T2が好きだった(今もまだ好きだ)のは、ルックスを含めての「優しい感覚」に惹かれていたのではないかと思う。いや、きっとそうだ。
ところが、VWトランスポーターとの思い出の中で、もっとも強烈に脳裏に残っているのは、オーストラリアのサザンクロスラリーでのこと。
1972年、アンドリュー コーワンのドライブするギャランが、国際ラリーでの初優勝を三菱にもたらした時のことである。
この時、僕は雑誌記者として、準備段階からチームと同行。取材係とともに雑用係をも仰せつかった。
より正確に言うと、雑用係などまったく予想もしていなかった。だが、チームと日々を共にしている間に、僕は、いつのまにか雑用係になって(させられて)しまっていたのだ。
まあ、最年少だし、取材でとくに忙しいといったこともなかったので、僕は気軽に引き受けていたが、、雑用係の仕事のひとつに運転係も入っていた。
ラリーの本番が始まるまでのチームの移動は、さほど忙しないものでもなく、みんなとワイワイやりながら楽しく運転していた。
ところが、本番になるとガラリと変わった。文字通り180度変わった。何がいちばん変わったかと言えば、サービスポイント間を移動する、時間のタイトさと速度の速さ。
本番でのサービスカーの移動がこんなにタイトで高速になるとは思っていなかったし、聞かされてもいなかった。
初めはそれまでと同じように、適度なスピードで走っていたが、「おい、もっと速く走れよ。これじゃ間に合わないぞ!」とチーフの声が。それも、怒声っぽい言い方でだ。
「ええっつ、そうなんですか⁉」、「ガンガン行かなきゃ間に合わないってことですか⁉」と僕。
「そうだよ! これ、誰も伝えてなかったのか⁉、、、そうか、、悪かった。ごめん。本番は、サポートチームもすごくタイトなスケジュールで動かなければならないんだよ。だから、できるだけ飛ばしてくれ!」、、。
僕は、ブレーキングドリフトなどをも使い、コーナーをギリギリまで攻め始めた。
しばらくは静かだったキャビンから、突然、「イヨーっ、チャンピオン!」、「ガンガン行こうぜ!」などの掛け声が上がり始めた。となると僕もさらに気合が入る。
飛ばすのにはもっとも向いていないクルマで満席乗車。複雑に曲がりくねった、しかも初体験の道路を全開で飛ばすのは難しい。当然、初めは不安もあった。
でも、心が熱くなってくると、自然に運転のリズムも熱くなり、同時に微妙なコントロールの精度も上がってくる。
そんなことで、初めは少し不安だったが、わずかなウォーミングアップで、すぐ全開モードに入っていけたのだ。
これは、アンドリュー コーワンが、国際ラリーで初めて三菱に栄冠をもたらした裏舞台でのほんの小さなエピソード。、、だが、、僕にとっては貴重な、そしてちょっと誇らしくもある、大切な思い出になっている。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。
溝呂木陽 水彩展2024 イタリア自動車巡り〜La GITA in ITALIA〜
1今年の6月に行って、ミッレミリアやヴェルナスカヒルクライムを回ったイタリアをテーマにした水彩画です。現地でのスケッチも展示します。皆様のお越しをお待ちしています。
原宿ペーターズショップアンドギャラリー
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開催期間/10月18日(金)〜23日(水)12:00〜19:00 毎日在廊 入場無料