2021.09.02
伝説のキャバレー「白いバラ」から裕次郎が愛した店まで【昭和は遠くなりにけり】記事5選
昭和が終わって早32年。ほぼ3分の1世紀が過ぎました。昭和に生まれ、昭和に育ったLEON読者の皆さまと「古き良き思い出」を共有し、その記憶を共に楽しんでいただきたく【昭和は遠くなりにけり】記事5本をここにご紹介させていただきます。
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文/秋山 都
銀座最古にして唯一のキャバレー「白いばら」は何故枯れないのか?
「あなたの郷里の娘を呼んでやってください」「お国の言葉でお話ができます」という看板でみんなの興味をひく「白いばら」。創業昭和6年と、銀座最古にして現存する唯一のキャバレーです。あざやかなブルーの壁に輝くネオン、手づくり感のある日本地図看板など銀座の名物となっていますが、果たしてその内部を知っている人はどれほどいるでしょう?
石原裕次郎が愛した、昭和の元祖”イタメシ”
なかでも飯倉の「キャンティ」は六本木族(加賀まりこなど)メンバーがたまり場にしていたことで知られていますが、もう1軒、多くのスターが集まり、壁に落書きをしていたお店が残っています。それが「六本木シシリア」。
六本木にオープンしたピザハウス「ニコラス」と、「六本木シシリア」の2店はともに昭和29年のオープン。
当時東京のイタリア料理シーンを牽引する双璧でありました(余談ですが筆者の母は学生時代にこの「ニコラス」で生まれて初めてピザを食べ、どんなに美味しかったか今も熱く物語ります)。
新宿ゴールデン街で40年間続くバー「しの」を知ってますか?
終戦後、闇市として発展した新宿区歌舞伎町1丁目の飲食店街は、ほとんどの店で女性に客を取らせていた通称青線(吉原、玉ノ井、鳩の街など風俗営業許可を取った赤線に対し、飲食営業のみで非合法に売春を行っていた)地帯。
いまはもちろんそのような行為を提供する店は1軒もなくなり、すっかり安全になった新宿ゴールデン街で40年に渡り店を守る「しの」の名物ママ、木島三代子さん(76歳)に話を聞きました。
上野の昭和レトロ喫茶「古城」はオトナのワンダーランド
振り返って昭和。コーヒーを楽しむなら「カフェ」ではなく「喫茶店」でした。それも「純喫茶」。純喫茶の「純」っていったい何? 「純」があるなら「不純」もあったのでしょうか? 今に残る昭和喫茶を探して旅にでたところ、パンダ誕生に湧く上野に貴重な一軒が残っていました。
女子単独入店禁止!昭和居酒屋でマッチョなオトコを取り戻せ
「女は黙って俺の後をついてこい」「きみ作る人、ぼく食べる人」「誰に食わせてもらっているんだ」などなど、昭和の男女をめぐるフレーズには隔世の感があり、男女雇用機会均等法が制定されてから生まれた平成女子にはピンとこないものばかりでしょう。