2024.04.25
井崎英典「バリスタ世界チャンピオンになってもバラ色の人生にはならなかった」
2014年、24歳にしてアジア人初のワールドバリスタチャンピオンに選ばれた井崎英典さん。バラ色の人生を想像した彼を待ち受けていたのは厳しい現実でした。前編では彼がいかにしてチャンピオンになったのかを聞きました。
- CREDIT :
文/長谷川あや 写真/Hidetaka Nobu 編集/森本 泉(Web LEON)
同店を立ち上げたのは、1990年生まれの井崎英典さん。2012年に史上最年少でジャパン・バリスタ・チャンピオンシップにて優勝し、2014年には、ワールド・バリスタ・チャンピオンシップで、アジア人初の世界チャンピオンに輝いています。
彼はいかにして、弱冠24歳で世界チャンピオンにまで上り詰めたのか、そしてほぼ9割が海外からのお客様という特別なコーヒーバー「珈空暈」をオープンさせた理由とは? お店を訪ねると、やんちゃで気の強そうな面影を残した井崎さんが格別の笑顔で迎えてくれました。
自分が納得できるカップを作りたいと有田焼窯元とコラボ
井崎英典さん(以下、井崎) クセが強いですよね。クセしかないとも言いますが(笑)。まずはせっかくなので、コーヒーをお召し上がりください(と出されたカップがまた変わっています)
── ありがとうございます。これは特注品ですか。
井崎 はい、自分が納得できるカップを作りたいと僕がデッサンして、有田焼窯元・アリタポーセリンラボの七代目・弥左エ門(松本 哲)さんに作ってもらったものです。ウイスキーのテイスティンググラスから着想を得てデザインしました。コーヒーの香りがぐっと凝縮するように、ふっくらとした胴にしています。
井崎 飲み口の部分を薄くしているのもこだわりのポイントです。釉薬も300種類ほどの中から自分で選びました。最終的には窯変釉薬というものを用い、黒地にプラチナとゴールドを焼き付けています。一つひとつ、表情が違うでしょう? この景色が月の表面のようにも見えるので、moonになぞらえて「The M」と名付けました。
── コーヒーのチョコレートのような香りが立ち上がってきて、すでに飲む前から美味しいです(笑)。
井崎 そう言っていただけるとうれしいです。
井崎 はい、父の影響で、コーヒーは子どもの頃から僕の身近にありました。僕の父はすごく変わっていて、九州大学の医学部を目指しつつも「写真を撮りたい」とカメラの学校へ。でもそこも辞めてしまい、食べていくために地元で学習塾を始めました。しばらくは順調だったのですが、「遊びも勉強もしっかりやろう」という父の教育理念は時代に合わなくなってしまいます。
そんなある日、日常的に通っていた地元のコーヒー店のオーナーに、店を引き継いでほしいと言われ、二つ返事で購入(笑)。それが、「ハニー珈琲」です。「突然、コーヒー屋を買って帰ってきたので、びっくりしたわ」と母は笑って話していました。僕が幼稚園の年長か小学校1年生の頃でした。
他に選択肢はなく、16歳でコーヒーの世界に飛び込んだ
井崎 まったく考えていませんでしたね(笑)。父はいつも夜遅くまで家に帰ってこなかったし、帰ってきたと思ったら、母と一緒にハンドピックといって、生豆に入っている欠点豆を取り除く作業に明け暮れていました。子ども心に大変な仕事だなあ、僕には絶対にできないと思っていました。
ただコーヒーは小学校6年生くらいの頃から飲んでいました。普通の家では食後にお茶が出てくるようですが、うちはコーヒーでした(笑)。
井崎 僕、高校を中退しているんです。勉強が嫌いで、アルファベットも全部言えませんでした(笑)。人間関係もうまくいかなくて行き場をなくした僕に、父が「やる気があるなら、バリスタをやってみないか」と声をかけてくれたんです。
父は、「何をして何を選ぼうがお前の自由だ。ただ、自分でちゃんと責任を持て」というタイプ。勉強しろと言われたことは一度もありませんでした。その父がそんなことを言うのは初めてだったし、当時の僕には父を手伝うほか選択肢はなく、16歳でコーヒーの世界に飛び込んだわけです。
井崎 右も左もわからない16歳にできることは限りがあります。丁稚奉公に近い状態で、掃除をしたり、重い物を運んだりといった作業が中心でした。でも、すごく楽しかったんです。父の店にはいいお客さんが多かったし、行くあてのない10代の少年を、お客さんは「ヒデくん、ヒデくん」と言って可愛がってくれました。
井崎 不純な動機です(笑)。アメリカで発行されているコーヒー専門誌『バリスタマガジン』の表紙に出ているバリスタがめちゃくちゃカッコ良くて、僕も表紙に登場したいなと思ったんです。「バリスタの世界大会がある。優勝すれば、載れるぞ」と父から発破をかけられ、挑戦することにしたのですが、アホな僕は後になって、WBCに出場するには、日本大会で優勝する必要があることに気づくわけです。
世界チャンピオンになって自分の無知を痛感
井崎 17歳の時、WBCの予選も兼ねているジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ(JBC)に初めて出場し、参加160人中24位に入りました。その大会が終わった瞬間、「ここが僕の輝ける場所だ」と確信した感覚は今も鮮明です。
そして、世界一を目指すには英語力をはじめ、教養が必要なことに気づくわけです(笑)。父はよく仕事に僕を同行させてくれました。でも仕事の話を聞きかじっても円安とか為替市場とか、当時の僕にはさっぱり理解できません。
コーヒーは為替や世界情勢が密接に影響する、そして、コーヒー一杯で世界の人たちと繋がることができるグローバルなプロダクト。そのコーヒー市場を理解するための教養を身につけるべく、高卒認定試験(旧大検)を取得し、法政大学国際文化学部国際文化学科で学びました。
井崎 前年の世界大会で大きな失敗をしてしまい、やるだけのことはやって臨んだ大会でしたが、正直、優勝できるとは思っていなくて。驚きましたが、世界チャンピオンになり、「これで僕の人生、バラ色だ」と思いました。もちろん世の中、そんなに甘いものではありませんでしたが(笑)。
井崎 世界チャンピオンになった瞬間、今まで冷たい態度だった大人たちがいきなり手のひらを返したように態度を変えてきて、僕はこんなにダサい大人には絶対にならないと心に決めました。自分の無知さも痛感しました。
世界王者の僕に、周囲の人はコーヒーに関してはなんでも知っていると思って聞いてくるのですが、コーヒーはとても複雑なプロダクト。生豆の生産から焙煎、抽出まですべてを知っている人はまず存在しません。自分なりに勉強したつもりだし、知っている素振りでなんとなく答えたこともありましたが、だんだんとそのギャップが苦しくなっていきます。
そこで、ある時、韓国のイベントで一緒になった、2007年の世界チャンピオンで、今は世界随一のコーヒー系YouTuberであるジェームス・ホフマンに相談したのです。「僕はこのままでいいんだろうか」って。
● 井崎英典(いざき・ひでのり)
1990年生まれ、福岡県出身。高校中退後、父が経営するコーヒー店「ハニー珈琲」を手伝いはじめたことをきっかけに、16歳でコーヒーの世界に。大検を取得し、法政大学国際文化学部への入学を機に、丸山珈琲でアルバイトを始め、2013年に大学を卒業後、丸山珈琲へ就職。バリスタ日本大会では2連覇(2012、2013年)を達成し、日本代表として出場したバリスタ世界大会では2度目の挑戦となる2014年に、日本人初、アジア人初の世界チャンピオンに輝く。現在は、商品開発からマーケティングまで幅広く手がけるコーヒーコンサルタントとして活躍。日本マクドナルドの「プレミアムローストコーヒー」「プレミアムローストアイスコーヒー」などの監修、カルビーの「フルグラビッツ」ペアリングコーヒーの開発なども担当した。著書に「ワールド・バリスタ・チャンピオンが教える 世界一美味しいコーヒーの淹れ方」(ダイヤモンド社)など。YouTube「世界一美味しいコーヒーの淹れ方 〜ワールド・バリスタ・チャンピオン井崎英典が教える6つのポイント〜」は累計再生回数177万回を突破。
■ 珈空暈(コクウン)
住所・電話番号/非公開
営業日/日・火曜
HP/https://cokuun.com/
予約方法/オフィシャルHPのReservationより予約可能
■ アリタポーセリンラボ
HP/http://aritaporcelainlab.com