2024.08.03
女優、57歳で歌手デビュー。「何でも自分でやれるいい時代。それを楽しまなくちゃ損ですよ」
17歳でモデルとしてデビューした後、俳優へと転じ、芸能生活40周年を迎えたとよた真帆さん。その記念の意味もこめ、この度、歌手としてCDアルバム『WILD FLOWER』をリリースしました。新たな挑戦に至った心境とは。
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写真/岸本咲子 文・編集/アキヤマケイコ
歌うきっかけをくれたのは、亡くなった夫。それがCDの形になりました
とよた真帆(以下とよた) 歌うことを勧めてくれたのは、夫の青山真治なんです。
結婚して10年目くらいのある日、自宅で、私がTVの歌番組の曲に合わせて歌ったら、そばで仕事をしていた青山が驚いて「真帆、歌えんの?」って。それで浅川マキさんのアルバムを持ってきて「この『セント・ジェームス病院』って曲、歌える?」って聞いてきたんです。
私も浅川さんが好きだったし、キーも一緒なので歌ったら、「この曲を歌える女優を探していたんだけど、家にいたのか!」って感激してくれて(笑)。翌日くらいには夫婦で初カラオケに行きました。
── それまで、お互い歌を披露したことがなかった?
とよた そうなんです。私たち夫婦って変わっているのかもしれなくて、お互いに「自分はこれが好き」とかあんまり言い合わなかった。青山が「茄子が好物」だと知ったのも、結婚して7年目くらいですから。歌も、私はもともと好きでしたが、人前で披露する機会もなかったですしね。
でもその後、一緒にカラオケに行くようになったら、青山がその度に、私の歌を褒めてくれるんです。だから私も調子に乗って、歌唱力を上げたいと思うようになって、ボイストレーニングを始めたんです。で、徐々に青山が演出を手がけた舞台で歌ったりするようになって。
夫と関係の深い人たちの協力を得てCDを制作。思い出の声も残せました
とよた ええ。そんな中で青山と、青山の映画や舞台の音楽を担当してくれた山田勳生さん(今回のアルバムのプロデューサー)とで、「いつか昭和歌謡のアルバムを作りましょう」という話になった。その時は、ふわっとした話だったんですが、青山が亡くなって、山田さんがお焼香にいらした時に「例のアルバム、作りませんか」と言ってくださったんです。で、「じゃあ、やろうかな」と。
── でも、簡単には……できないですよね。
とよた クライアントもいないので、山田さんに「CDってどう作るの?」「費用はどのくらいかかるの?」というところから相談して。それから、ミュージシャンへの依頼、レコーディングのスタジオの確保、スタッフへのお弁当や駐車場の手配に至るまで、ほぼ自分でやりました。
とよた オリジナル曲は、私と、山田さんとピアノを担当してくださった土井淳さんとで、自宅に時には泊まり込みで制作しました。あと、青山が歌っている『もう少しよ』は、ドクター・ジョン(マック・レベナック)の曲の替え歌なんですが、それは山田さんのパソコンの中に残っていた青山の声から作りました。歌の前後には、青山が映画を撮っている時の「スタート!」と「カット!」の声を重ねて仕上げています。青山映画の音響担当だった菊池信之さんに頼んで、残っている音声の中から「スタート!」と「カット!」のあらゆるテイクを集めてもらって、ひとつひとつ聞いて選んで……。
膨大な作業でしたけど、その声は、私が一番、忘れられない青山の声なので、この形で残せてよかったと思います。
いい縁が次々繋がって自信作に。皆にカラオケで歌ってほしい!
とよた 斎藤さんは、青山作品に出演していただいたご縁もあり、プライベートでも仲良しなので、快く引き受けてくださいました。またMVを撮影した下北沢のジャズバー「LADY JANE」は、青山も通った場所。ほかにも青山映画の常連だった俳優の斉藤陽一郎さんや、愛弟子の映画監督の甫木元空さんもコーラスで参加してくれました。
手探りで作ったアルバムで、もちろん私自身が出したかったものだし、芸能生活40周年の記念でもあるんですが、結果的には青山に縁のある人たちに協力していただいて、追悼のような気持ちがこもったものができて、うれしいですね。
── 歌手としての次の夢や目標はありますか?
とよた 楽曲は、青山が脚本を書き残した『東京酒場』の映像化が実現した時に、使ってもらえれば、という思いもあります。でも基本的には、この歌や楽曲で、いろんな人と楽しいことができればいい。ライブとか、コラボも大歓迎です。
最近、昭和歌謡やポップスが、若い人や海外の方に人気だそうなので、そういう人たちにも聴いてほしいですね。せっかく自分のYouTubeチャンネルでも配信しているので。
あ、すでに一つ叶えた夢もあります。自分の曲をカラオケに入れること。 こちらも、知り合いの尽力があって、8月1日から「カラオケDAM」で配信がスタートしました! だから、ぜひ、多くの人に歌ってもらいたいです。
ネタ探しも撮影も自分でやるYouTube も新鮮な気持ちでやっています
とよた 自分がやりたいと思って、やり方がわからなかったら「これどういうことですか?」と、知っていそうな人にすぐ聞いてしまうタイプではありますね。相手に純粋にやりたいという気持ちが伝わったら、わりと助けてくれるんですよ。
── YouTubeチャンネルも、1年ほど前から始められてます。
とよた これも自分で企画を立てて、週3回くらい自撮りしています。最初は忙しいし、無理かなと思ったんですけれど、やると決めてからは、一生懸命やっています。他のYouTuberの研究もすごくしていますよ。
1週間コーディネートの洋服選びも、街ブラ企画で撮影させていただく商店街やお店の許可取りも、全部、自分。お電話をして「私、とよた真帆と申しますが、撮影許可をいただけませんか?」って聞いたりして。そういうことを自分でやるのに抵抗はないですね。
とよた いや全然。でも青山が亡くなってから、1人で夕飯を食べることが多くなって、夕方からの時間を誰かと一緒に過ごせないかな、って思うようになって。そんな時、ちょうど好条件で物件のお話が来たんです。レストランをやれば、シェフもいるし、お友達も来てくれるからいいかも、と始めました。そうしたら、ここで人の輪がすごく広がった。だから楽しくて、ほぼ毎日のように顔を出しています。
夫と過ごしていた時間を、今はフルで自分のために使っています
とよた ほかにも、日本盲導犬協会の理事や、不動産会社の社外取締役も務めています。
私、子供の頃からハングリー精神の塊で、興味の湧いたことには常に種まきをして、活動を広げる手立てを増やしておきたいタイプなんです。
それに夫が亡くなって、自分のために使える時間がより増えた。ちょっと言葉は悪いかもしれませんが、夫と一緒だと夕方に「真治くん、ご飯どうしようか?」みたいな感じで時間がとられたりしますよね。でも今は、犬、猫、金魚、植栽、母のケアをすれば、あとは自分の時間。「ちょっと休めば?」と止める人もいないから、ずっと仕事ができるんです。
── 普通は、そんなに時間が捻出できないですよ。休みたいし。
とよた あまり休みたいとも思わないんですよ。俳優の仕事だけは、真剣になるスイッチが入って重圧を感じるんですが、その他の仕事は、これも言葉が悪いかもしれませんが、自分の楽しみの延長という感じなので、苦にならないんです。
それに、今はやろうと思ったら、YouTubeの撮影でも何でも自分でできる。すごくいい時代ですよね。私が芸能の世界に入った頃は、こうなるとは思わなかった。だから、今後も面白そうなことがあったら、自分でどんどんやっていくでしょうね。
もう10年、この体力があるうちに遊び倒したい。時間が足りないです(笑)
とよた 年齢は普段は忘れています。でも今、57歳で、この体力でいろいろ挑戦できるのはあと10年くらいかなとも思うんです。10年しか遊べないなら、今やらなきゃ! とやる気が出る。仲良しのモデルの前田典子ちゃんも同じような思考で、お互い「遊ばなきゃ! 時間が足りない」「あなた、毎回、それ言ってるよね」なんて笑い合っているくらい。
── 10年後も、そう話していそうですね(笑)
とよた そうかも(笑)。私、けっこう長生きしそうですしね。だから若い友人、20歳下じゃ足りなくて、30歳下くらいの友人がたくさんできるといいなと思っているところです。
LEONの読者のように、いつまでも“モテたい”気持ちを忘れないことも、すごくいいと思いますよ。私は、“モテたい”はないですけれど、男女や年齢を超越して“一緒にいると楽しい人”でありたいな、と思っていますね。
■ とよた真帆 芸能生活40周年記念アルバム『WILD FLOWER』(ワイルドフラワー)
芸能生活40周年にして、歌手デビューを果たす、俳優・とよた真帆のフルアルバム。昭和歌謡へのリスペクトと、2022年に逝去した映画監督の夫・青山真治氏への追悼の祈りを込めた楽曲を収録。全10曲のうち、俳優の斎藤工氏とデュエットした2曲を先行配信中。CD3000円。SPICA.inc より7/31リリース。
CD販売サイト:楽天