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2024.12.25

【榊原信行・前編】大晦日は格闘技! を根付かせた男の“紆余曲折”人生訓

「PRIDE」、「RIZIN」と30年間にわたり日本格闘技界を代表するプロモーターとして活躍を続ける現・RIZIN CEOの榊原信行さん。「PRIDE」消滅を経験した後、約8年間の沈黙を経て、すべてを賭けて勝負に出た「RIZIN」を成功に導きます。そんな氏の勝負論とは……?

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文/野中真一 写真/トヨダ リョウ 協力/Kaori Oguri 編集/Web LEON編集部

トレードマークの眼鏡。「PRIDEの頃はalain mikli(アランミクリ)を愛用していました。最近は少しフレームが大きくて色が入った眼鏡にしています」
▲ トレードマークの眼鏡。「PRIDEの頃はalain mikli(アランミクリ)を愛用していました。最近は少しフレームが大きくて色が入った眼鏡にしています」
── 「PRIDE」、「RIZIN」でお茶の間を賑わせ、過去30年間にわたり、日本格闘技界を牽引し続ける榊原信行さん。日本で初めて「K-1」のテレビ地上波放送を実現させたのは、東海テレビ事業の社員の時代でした。その後、自ら立ち上げた格闘技興行「PRIDE」では、当時世界最強と謳われた髙田延彦と“400戦無敗”ヒクソン・グレイシー戦を皮切りに、桜庭和志VSホイス・グレイシーなど数々の伝説的マッチメイクを手がけます。 

── 2000年代に世界的格闘技コンテンツに成長した「PRIDE」でしたが、2006年6月5日、突如、フジテレビが夕方のニュースでPRIDEを主催するDSE(ドリームステージエンターテインメント)との契約解除を発表。当時は週刊誌が13週連続でネガティブキャンペーンを張った影響も大きかったと言われています。DSEの代表であった榊原さんは当時のことを鮮明に覚えていました。
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榊原信行さん(以下、榊原) 晴天の霹靂でした。60年間の人生で色んなことがありましたが、あれが一番驚きました。10年間、フジテレビさんと「PRIDE」を一緒に作り上げ、仲間もたくさんでき、一番大切なパートナーだと思っていました。

いや、本当に突然で……。お昼にフジテレビのコンプライアンス担当の方が会社に来て「今日をもってPRIDEの放送は中止します。今後、フジテレビの社員には連絡をしないでください。夕方のニュースでそのことを発表させてもらいます」と……。こちらとしては到底受け入れられないし、納得できなかった。

でも、当時はテレビで流れたらそれで最後。フジテレビの決断によって、週刊誌で書かれていたことがすべて真実だと思われてしまった。その流れは、止められませんでした。
12月31日の大晦日に開催される「RIZIN DECADE」を約2週間後に控えた忙しい時期のインタビュー。
▲ 12月31日の大晦日に開催される「RIZIN DECADE」を約2週間後に控えた忙しい時期のインタビュー。
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── その日以降、周囲の反応はどのように変わったのでしょうか?

榊原 銀行をはじめ、関係のある様々な会社から「もうお付き合いできません」と言われて。実はその年の10月にラスベガスに進出することが決まっていました。当時は米国の「UFC」、日本の「PRIDE」という2大メジャーでやっていこうとしていた矢先だったのです。

── 銀行からの融資が止まった榊原さんは「PRIDE」の興行権を「UFC」を主催するズッファ社に譲渡するほか、虎の子の「PRIDE」を残す道がなかったと言います。

榊原 それ以前にも「PRIDE」の買収話は沢山ありましたが、首を縦に振らなかった。ですが、フジテレビとの契約解除によって僕自身が疲弊していましたし、弱っていて……。もはやリングに上がる選手、応援してくれていたファンのために「PRIDE」を存続させるには(ズッファ社への)譲渡しかなかったんです。僕がいなくなるしか、選手、団体が残る道はなかった。交渉の席では何度も「PRIDEを存続させる約束だけは守ってくれ」という話をしていました。
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インタビューは予定時間をゆうにオーバー。「PRIDE」、「RIZIN」、朝倉兄弟のことなど、さまざまな本音が飛び出しました。
▲ インタビューは予定時間をゆうにオーバー。「PRIDE」、「RIZIN」、朝倉兄弟のことなど、さまざまな本音が飛び出しました。
── 売却された後、「PRIDE」が開催されることは一度もありませんでした。

榊原 「UFC」側との約束では、「PRIDE」は存続させて日本の「PRIDE」、米国の「UFC」と2年に1度、スーパーボールみたいな対抗戦ができたら盛り上がるだろう。「UFC」と「PRIDE」がワンオーナーになったら、ゆくゆくはそういうメガイベントも実現できると思っていました。

でも、結果的に裏切られる格好となり、その後は逆に僕が裁判で訴えられて……。その理由は“買収したビジネスが上手く機能しない”というもので、むちゃくちゃな話だと思いましたが、当時は国際法の訴状のルールもよくわかっていませんでした。なので裁判の勝ち負けで言えば、ボロ負けでした。
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── PRIDE」を手放しただけでなく、榊原さんには7年間の競業禁止が課されることに。その後、榊原さんは2007年12月から沖縄でFC琉球の運営に参画。沖縄初のJリーグ入りを目標にして、元日本代表のフィリップ・トルシエを監督に招聘します。2009年からはJFLの理事もつとめ、2013年9月までFC琉球の球団代表をつとめあげました。

── その当時、格闘技界に戻りたい気持ちはあったのでしょうか?

榊原 はじめは格闘技ビジネスに戻るつもりはありませんでした。でも、「PRIDE」が消滅して日本の格闘技界がどんどん小さくなっていき、格闘技の火が消えかかっていることは実感していて。テレビからも格闘技番組は完全になくなり、本物の格闘家が“食えない時代”になったのが悔しかったし、「PRIDE」を開催できなくなったことでファンにも申し訳ないという気持ちがどんどん強くなっていきました。

そうした流れで『残された人生を、このまま悔しい思いを抱えて生きていくのか』と自問自答したのです。当時は50歳くらいだったのですが、これが最後のチャンス、もう1回やってやろう! と、人生も、自分が持っているお金もすべてを賭してやってやろうと思うに至ったんです。
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── そして2015年10月に新たに「RIZIN」を旗揚げします。「PRIDE」消滅から8年近く経っていましたが、“皇帝”エメリヤエンコ・ヒョードルをロシアから呼び、さらに“ミスターPRIDE”桜庭和志と青木真也というスーパーカードを実現。「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」がその年の大晦日にフジテレビで放映されることになりました。

── 再びフジテレビでの放映が決まった時は、どういうお気持ちでしたか?
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榊原 まだ1試合もやっていない「RIZIN」を、フジテレビさんが大晦日に5時間以上放映してくれることになったのです。一度フジテレビに蹴り落とされた男のイベントにですよ(笑)。でも、実は「PRIDE」時代に一緒にやっていたフジテレビの心ある仲間はずっと、僕達に申し訳ないと思っていたようで、「RIZIN」の放映は「弔い合戦だ」と言ってくれる人も多くいたんです。

── 紆余曲折を経て、日本の大晦日に再び“格闘技”が帰ってきました。手応えのほどは?

榊原 正直に言うと、この程度のなのかと……。ヒョードルも桜庭もいる。世界最強を決めるトーナメントを開催したつもりなのに、実は思っていたほどの反響ではありませんでした。

── しかし2016年以降、「RIZIN」は飛躍的に注目度を上げていきます。同年、那須川天心が「RIZIN」デビュー。朝倉未来・朝倉海の兄弟の活躍は格闘技界を超えて話題となっていきました。そして2018年には“無敗の神童”那須川天心と“史上最高のボクサー”フロイド・メイフェザーとの一戦を実現させます。
「僕も61歳。今後はRIZINを組織として環境整備していきながら次の世代に継承したい」
▲ 「僕も61歳。今後はRIZINを組織として環境整備していきながら次の世代に継承したい」
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── 「PRIDE」から「RIZIN」へ。榊原さんのプロモーターとしての姿勢に変化はありましたか?

榊原 「RIZIN」を立ち上げる時、ひとつの強い思いがありました。「PRIDE」をやっていた時代と違って、2015年には世界各地に格闘団体が乱立していたのですが、そういう団体と競争するのではなくて、共存するビジネスをしたかった。「PRIDE」時代は、あっちがいくら出すから、うちはいくら出すみたいな、選手の奪い合いに疲れていたんです。

そういう流れだと、選手やマネージメントは稼げますがプロモーターサイドはどんどんシュリンクしていって……。だからこそ、新しく立ち上げた「RIZIN」はフェデレーション(協会)の立場を取り、団体の垣根を超えたマッチメイクをすることで、世界中の団体と共存することを目指したんです。それぞれの団体が縦方向にビルを建てているとしたら、我々はそこに横串を指していくことを目標としました。
2018年9月30日の「RIZIN.13」で実現した那須川天心と堀口恭司の試合は今なお語られる名勝負に。結果は天心の判定勝ち。©RIZIN FF
▲ 2018年9月30日の「RIZIN.13」で実現した那須川天心と堀口恭司の試合は今なお語られる名勝負に。結果は天心の判定勝ち。©RIZIN FF
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── 榊原さんのフェデレーションという信念が功を奏したのが「THE MATCH 2022」での那須川天心vs.武尊戦。かたやRISEのチャンピオン、かたやK-1のチャンピオンと、それぞれ所属団体が異なり、かつ看板選手のため、実現は相当に困難とされていましたが、実現した。それゆえ“奇跡の一戦”と謳われました。

榊原 結果的には大成功でした。東京ドームに6万人を動員しただけでなく、PPVが53万件、総売り上げは50億超え。これまでさまざまありましたが、ここで信念が報われた気がしましたね。

── 続く後編ではレジェンドから現役まで、カリスマ格闘家との逸話、朝倉兄弟への思い、そして通算10回目となる大晦日興行「RIZIN DECADE」の見どころをリポートします。
負ける勇気を持って勝ちに行け! -雷神の言霊-』

● 榊原信行 (さかきばら のぶゆき)

1953年、愛知県生まれ。少年時代はサッカー、ボーイスカウトに夢中になった。大学卒業後は東海テレビ事業に就職。社会人になってはじめて見た「K-1」に衝撃を受け、格闘ビジネスのプロデュースの道へ。「PRIDE」を世界的格闘技コンテンツとして成功させるも、2007年に消滅。約8年間の沈黙を経て、2015年に新たに格闘技フェデレーション「RIZIN」を旗揚げ。2022年の「THE MATCH 2022」那須川天心VS武尊戦では総売り上げ50億円を記録した。2023年に刊行された初の著書『負ける勇気を持って勝ちに行け! -雷神の言霊-』(KADOKAWA)が発売直後に重版。オーディオブックも発売された。2024年の大晦日にはRIZIN10周年、大晦日興行10回目の節目となる「RIZIN DECADE」を開催。

『負ける勇気を持って勝ちに行け! -雷神の言霊-』

● 著者 榊原信行
● 定価1760円(本体1600円+税) 
  https://amzn.to/3Wj4NO8
● 発行(株)KADOKAWA
● プロデュース Kaori Oguri

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『RIZIN DECADE』

『RIZIN DECADE』

開催/2024年12月31(火)
時間/11:30開場/13:00開始(終了予定時間24:00〜25:00頃)
会場/さいたまスーパーアリーナ

主な対戦カード
・フェザー級タイトルマッチ/鈴木千裕vsクレベル・コイケ
・ライト級タイトルマッチ/ホベルト・サトシ・ソウザvsヴガール・ケラモフ
・フライ級タイトルマッチ/堀口恭司vsエンカジムーロ・ズールー
・バンタム級王座次期挑戦者決定戦/元谷友貴vs秋元強真
・伊澤星花 vs. ルシア・アプデルガリム
・久保優太 vs. ラジャブアリ・シェイドゥラエフ
・上田幹雄 vs. キム・テイン
・矢地祐介 vs. 桜庭大世
など。さらなる詳細はコチラ

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