2024.10.08
建築家: 丹下憲孝 編
思い出のオーデマ ピゲと、出会いを引き寄せるフランク ミュラー、ロレックス……
お洒落な男性なら誰もがステキな時計を持っているものです。そこでこだわり男子に、こっそり愛用時計にまつわるエピソードをインタビュー。実に興味深いお話がアレコレと飛び出します。
- CREDIT :
写真/高橋敬大 文/長谷川 剛(Table Rock Script)
建築と時計には共通するエッセンスがある
その丹下憲孝さんが手掛けた著名な建物と言えば、フジテレビ本社ビルやモード学園のコクーンタワー、それにザ・プリンス パークタワー東京など、気宇壮大にして美しくその土地のランドマークとなる建物ばかり。
そしてご自身は、日常的に英国的なテーラードスタイルにて仕事に向うことで知られるウェルドレッサーです。そんな人物が着こなしのランドマークとなる時計に興味を持たないワケがありません。ご他聞に漏れず、感度の高い時計をあれこれ楽しむ素敵なウォッチ・ジェントルマンであるのです。
運良く今回は、レジェンドクリエイターが愛用する秘蔵コレクションを、特別に見せていただくことができました。
「間違いなく祖父の時計好きが起点になっているように思います。僕の祖父は懐中時計のミニッツリピーターを愛用するほどの時計好き。また、当時は自宅の方々に時計を置いており、一日の始まりは時報放送に合わせ、自ら家中の時計の巻き上げとセッティングを行うような人でした。
そしてその血は(憲孝さんの)父親にも引き継がれ、色々な時計のコレクションを側で見てきました。
父との時計にまつわる思い出といえば、シンガポールでの出来事でしょうか。父は当時シンガポールの首相であったリー・クアンユーさんと昵懇であり、その関係からシンシア(シンシア ファイン ウォッチ)という時計店をよく訪れていました。
ある仕事の時に僕もシンガポールまで帯同し、空いた時間に父とシンシアを覗きに行きました。恐らく自分だけ購入するのが気掛かりだったのでしょう(笑)。『なんか欲しいものあるか?』と聞かれたことを今でも覚えています」
製造時に名入れを施した貴重なオーデマ ピゲ
その“理想的”のひとつが、お父様から譲り受けたオーデマ ピゲの一本。ユニークな造形美が目を引くドレスウォッチです。
ポイントは文字盤に父の名が入っているところ。カスタムではなく製造時に名が入るよう、シンシアからオーデマ ピゲにオーダーを入れていただいた一本です。
ただし、現在は電池切れにて不動。いつでも出掛けられるよう、電池を替えておくべきですね(笑)」
これも世界に一本だけのフランク ミュラー
当初は冨田さんの作風が分からなかったので、他の時計からカスタムをお願いしました。実際に仕上がってみたら非常に繊細で美しい彫り込みにすぐ惚れ込んでしまい(笑)。
これなら大事にしていたパーペチュアルカレンダーも任せたい! と、お願いしたのです。彫金ケースはそれまでにもいろいろ拝見しましたが、冨田さんの彫り込みは緻密で彫り自体が深い。たまにプリントのように浅い彫り込みのものも見掛けますが、僕はこれぐらい深いほうが好み。
冨田さんはステンレスなど硬い素材を彫るのも得意とのことで、非常に美しく陰影あるアートワークを巧みに彫り込んでくれました」
「それが、この時計を作ったフランク・ミュラー本人(笑)。ちょっと彼を驚かせたいと思い、ある時黙って彼のところまで見せに行きました。
そしたら非常に気に入ったらしく、“コレは実にいいね!”ととても喜んでくれました。僕とフランク・ミュラーは昔から交友があって、どうしても見せたくなったのです(笑)」
カラフルダイヤルが目を引くレアなステラダイヤル
その自由闊達なマインドは、当然時計選びにも表れています。この次にご紹介いただいたロレックスも、まさにそんな一本。
恐らく僕は史上初となるカラフル好きの建築家(笑)。だから今日着てきたジャケットの裏地もホラ(ジャケットのフロントを広げアロハ柄の裏地を披露しつつ)。
やはり明るいカラーは見ていて気分が自然と高まります。シックな時計ももちろん好きですが、時にはこういったカラフル時計を取り入れ、勢いを付けたくなるんです(笑)」
聞けば、ロレックス銀座ブティックのオープンイベントのためスイスから駆けつけた本社CEO、ジャン・フレデリック・デュフールから、“来日の際には是非、丹下建築を見たい”と突然のオファーがあったのだそう。
丹下さんは、このステラダイヤルのデイデイトを付けてお会いしたところ、デュフール氏から“良い時計ですね”と声を掛けられたとのこと。
ステラダイヤルから話題は広がり、近年のカラフル・ロレックス、特に“パズル”(オイスター パーペチュアル デイデイト36)についてあれこれ話し合ったと振り返ります。
● 丹下憲孝 (建築家)
学習院初等科、中等科を経て、1973年よりスイスの寄宿学校ル・ロゼに学ぶ。1985年ハーバード大学デザイン大学院建築学専門課程修了し、1985年丹下健三・都市・建築設計研究所に入所。その後、2002年に丹下都市建築設計に改組し代表に就任。2016年会長となる。優れた建築デザインと技術が評価され、エンポリス・スカイスクレイパー賞及びグッドデザイン賞、令和4年度外務大臣表彰など、多数の賞を受賞。