2024.09.22
初代ホンダ CR-Xはどこまでもカッコ良く乗って楽しいクルマだった!
息子(岡崎五朗)さんが18歳で免許を取った時、筆者が専用のクルマとしてプレゼントしたのが初代ホンダ CR-Xでした。実は誰よりも自分が乗りたかったCR-Xはカッコ良くて楽しくて、岡崎家の3台目のクルマとして家族のカーライフを幸せな思い出で彩ってくれました。
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第242回
息子への免許取得プレゼントはホンダ CR-X
前にも書いた通り、僕は教習所には行かず、独力? で免許を取った。でも、息子の時代にもうそんなことはできなかった。
なので当然教習所に通ったが、なんのつまづきもなく、最短で免許を手に入れた。文句なしのスタートだった。
僕は仕事でフル回転。原稿を書くとき以外はほとんど家にいなかった。息子も免許を取ったとなれば、家で大人しくなどしているはずはない。
となれば、家内の乗るクルマがなくなる。家内も活発で、よく外に出ていたし、クルマが自由に使えないとなると可哀想だ。
そんなことで、息子が免許を取ったら、3台目を買うことに決めていた。それに、3台目として「絶対にほしいクルマ」があった。
息子のクルマとして最適だと思うと同時に、僕もまた乗りたくて仕方がないクルマがあったのだ。それは初代「ホンダ CR-X 」。
単純に言えば、シビックのホイールベースを短くしてコンパクトなHBクーペに仕立てただけ、、、と言えないこともない。
CR-Xは2代目、3代目と続いていくが、僕も息子も初代がいちばん好きだった。あれこれ小細工などしない、シンプルでコンパクトで引き締まったルックスがカッコよかった。
とくに上部が白、下部がグレーの2トーンの精悍なイメージが気に入って、初めからボディカラーはこれに決めていた。
息子のクルマなのに、自分のクルマのように夢中になった。でも、僕の意見に息子が首を横に振ることはほぼなかった。たぶん、好みはほとんど共通していたのだろう。
CR-Xの定員は4人。だが、事実上は2シーターと言えるほど後席は狭い。ホンダもそれは認めていて、「ワンマイルシート」、、「無理やり乗っても1マイルが我慢の限界」と自ら公言していた。
というのも、上記のように、わが家にはアウディ80 クアトロと、スバル レオーネ ツーリングワゴンがあったので、友達と遊びに行く時はそのどちらかを使えばいいからだ。
わが家には昔から、「どれが誰のクルマ」という縛りはまったくない。3台あれば、3人がその日の目的にいちばん合ったクルマを使えばいいというだけのこと。
だから、3台目が2人しか乗れなくても、何の問題もない。いや、というよりも、「気分と用途に応じて使い分けられるバリエーションが増えた」ことを3人とも喜んだ。
単純に言えば、セダン(80クアトロ)とワゴン(スバル)とスポーツカー(CR-X)の3台を、その時の用途や気分に合わせて3人で使い分ければいい、、ということ。
ちなみに、CR-Xは3代目まであるが、僕が好きなのは初代。コンパクトさと無駄のないシンプルなデザインにいちばん強く心を惹きつけられたということだ。加えて、軽快な走りも大いに気に入っていた。
もし、今、CR-Xを手に入れるとしたら、初代の最終モデル、1,6ℓの「S i 」を選ぶ。そして、初代のメインカラーと同じ白とグレーの2トーンで塗装。上質なコーティングで仕上げる。
前後バンパーと一体になった、グレーのパネル上部を巡る赤のアクセントラインは、できるだけ深みのある赤を使ってインパクトを高めたい、、とも思う。
もちろん、インテリアもできるだけ上質に仕上げたい。コンパクトでシンプルながら、スタイリッシュで、上質感も存在感もある、、初代CR-Xの魅力を、最大限に高めるようなレストアをしたいということだ。
初代CR-Xをホンダは「デュエットクルーザー」とも呼び、デートカーとしての魅力もアピールしていた。たしかに、デートカーとしてもピッタリだった。
ただし、大きく贅沢なクルマを好むような女性には当然ながら好まれなかった。これは仕方がない。でも、明るく楽しく活動的、、そんな女性たちには、好かれ喜ばれた。
息子がCR-Xでモテたかどうかは知らないが、当時の息子は、そんなことより、CR-Xの運転しての楽しさにかなり取り憑かれていたようだった。
2代目CR-Xは一回り大きくなり、低くワイドになり、重量も増えた。初代より大人っぽくなり、デザインも、乗り味走り味もより幅広い人たちウケするようなクルマになった。
もし、コンパクトで、シンプルで、走りが楽しい、、といった、初代モデルの特徴と魅力を、しっかり受け継いで進化していったら、CR-Xにはもっと別の未来があったのではないか、、僕にはそう思えてならない。
息子のCR-Xは初代初期型の「1,5i」で、パワー的には「もっとほしい!」とも思ったが、それでもかなり楽しませてくれた。
でも、2200mmの短いホイールベース、800kgの軽い重量、そして運動性を重視したサスペンションセッティングの組み合わせがもたらす、軽快で切れ味鋭い身のこなしは、さらに楽しさを加速してくれた。
軽快とかシャープといった形容を超えた、「スリリング!」といった形容の方が馴染む⁉、、、そんな味付けだった。
これを言い出したのは息子ではなく僕の方。でも、息子にしても、賛成はしても反対するはずはない。
で、僕は仲のいい、ホンダのエンジニアA氏に相談したのだが、さすがホンダ!。
間髪入れずに、「いいですよ! 栃木でお預かりします。楽しみにしていてください!」との返事が返ってきた。
栃木とは、いうまでもなく、ホンダ技術開発の中枢の地、栃木研究所のこと。ホンダファンにとっては聖地とも言えるような場所だ。
そんなところで、1個人のクルマのチューニングをしてくれる、、、今では考えられないことだが、当時はまだ、のんびりした時代だったということなのだろう。
で、栃木から帰ってきたCR-Xがどんな変化をしていたのかというと、、いちばん先に気づいたのは「滑らかさ」だった。
だが、栃木バージョンのそれは、走り始めた瞬間から違いがわかった。滑らかさのレベルは完全に1ランク上がっていた。パワーもすぐ感じられるレベルで上がっていた。
滑らかさが増したのはエンジンだけではない。フットワークも滑らかになっていた。凹凸をパスする時の乗り味 / 接地感も明らかにアップグレードされていた。
栃木から戻ったCR-Xは、多くの点で完全にランクアップされていた。間違いなく、「日本一のFFライトウェイト スポーツ」に進化していた。最高のプレゼントをもらった。
僕が免許を取って初めて運転したのは「ダットサン110型セダン」。860ccのSVエンジンで出力は25ps。乗り心地も身のこなしもトラックと大差なかった。
箱根越えにしても、途中で休んだり、ラジェーターの水を補給したりして、「やっとなんとか」乗り切った。
こんな原稿を書いていると、もう一度初代CR-Xに乗りたくなってくる。写真を見ていると、楽しかったあれこれが次々頭を過ってゆく。初代CR-Xは息子だけでなく、僕にとっても大切な思い出になっている。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。
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