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2024.12.15

僕が内定していたTV局を蹴って、小さな自動車雑誌の編集部員を選んだ理由

今年、モータージャーナリストとして60年を迎えた筆者。しかし最初に夢見たのはシナリオライターでした。大学時代はTV局でアルバイト、卒業時には内定までもらっていったのに……。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第248回

僕がモータージャーナリストになるまでの道程

イラスト 溝呂木 陽 フォード マスタング
僕がモータージャーナリストの仕事を始めたのは1964年。60年前だ。

前にも話したが、元々、僕が目指していた職業はシナリオライター。大学を卒業する数カ月ほど前まではそうだった。

僕の父は、サラリーマンだったと同時に、童話作家であり、子供向けラジオ番組の台本なども書いていた。

そんな影響を受けたのか、、父親の本を読んだり、ラジオ番組を聞きながら、なんとなく憧れを持つというか、「物書きの仕事をしたい」と思うようになっていったのだろう。
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青山学院中等部1年の時、毎日中学生新聞(2006年で休刊)が募った「全国中学生綴り方コンクール」に応募。「優勝した!」ことも、そうした気持ちをさらに後押しした。

このコンクールの優勝のご褒美は、羽田から北海道まで飛行機で往復。洞爺湖で2泊するという、、当時としてはとてつもない贅沢な旅だった。

とくに、1953年、、71年前に飛行機に乗れたのは、まさに「夢のような!!」出来事であり、僕の一生の宝物になっている。

でも、時が経つにつれ、物書きになることへの憧れは徐々に薄れていった。

青山学院中等部、高等部での楽しさにどっぷり浸かり、友人たちとの付き合い、16歳になってすぐ乗り始めたオートバイに夢中になるなど、、フル回転で「青春を満喫」した。

大学もエスカレーターで青山学院に進んだが、将来への具体的な目標はぜんぜん見えていなかったし、見ようともしなかった。
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単位を取れるギリギリの出席/勉強しかせず、ほとんど遊びに明け暮れる日々だった。

でも、、シナリオライターになるという想いが完全に消えたわけでもなかった。ぼんやりながらだが、頭の片隅にはあった。だから、クラブ活動も「放送研究会」に入った。

、、のだが、まるで面白くない。どんなクラブ活動の内容だったか、ほとんど覚えてもいないが、、要は、僕の期待したようなクラブではなかった。で、結局、早々に退部した。

ところが、いよいよなにもやることがなくなり、将来への目標もさらに虚になってしまったことが、結果的には良かった。

そう、、どん底状態(とはいっても悲壮感など欠片ほどもない)になってしまったことで、もう一度、「シナリオライターになろうか」という思いが湧き上がってきたのだ。

で、なにをしたかというと、、青山学院大学をやめ、日大芸術学部放送学科に入ったのだが、、授業が面白かったかと問われれば、答えは「ノー」。
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でも、授業は面白くなくても、学生は個性的で面白いやつが多かった。放送学科以外にも多くの友達ができたが、誰といても、いろいろな話で盛り上がった。楽しかったし、勉強にもなった。

そんな仲間たちが目指している仕事で、もっとも多かったのは、当時全盛期を迎えていたテレビ局への就職。

僕も卒業まで1年ほど残した頃から、テレビ局への就職を目指し、まずはテレビ局でのアルバイトを探した。

幸いなことに、親のツテでフジテレビの役員を紹介され、アルバイトをさせてもらえることになった。

で、与えられた仕事は、当時人気だった番組を牽引していたディレクターの付き人。簡単にいえば、ディレクターの雑用係だ。

付き人になったディレクターは、花柳流家元の家系をもつ著名な方で、雑用係とはいえうれしかった。日芸の友人たちにも言いふらして自慢したかったが、そこはグッと堪えた。
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著名な方なのに、とても優しい方で、アルバイトの僕にも丁寧な言葉を使い、温かく接してくださった。ほんとうに、ありがたく、うれしかった。

花柳さんが僕に何かを手伝わせることはほとんどなかった。ただ、「出演される方々、スタッフの方々のやること、動き、そしてやりとりを、注意深く見ていてください。それがいちばん勉強になりますよ」と言われただけだった。

「注意深く見る」とはいっても、初めは何のことやらわからず、ただ漫然と見ていたのだが、回を重ねるごとに、花柳さんの言われたことがわかるようになり、どんどん面白くなっていった。

演出という仕事が、番組にとっていかに大事なことかをだんだん実感できるようになり、台本/シナリオの良し悪しが、番組の命運を大きく左右することをも実感できるようになっていった。

花柳さんと個人的に話せたのは、立ち話程度の機会しかなかったが、担当ディレクターはよく時間をくれたし、話し相手にもなってくれた。バイト最後の日には、食事にも誘ってくれた。
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そこで言われたのは、「もう、わかったと思うけど、TV業界は外から見るほど華やかでもないし、こんなの付き合ってられないよ! といったところも多い仕事だよ。もし、TVの仕事をするのなら、そこのところをよく考えてね」と、貴重なアドバイスをもいただいた。

そこは僕も実感していた。TV局のあれこれに実際に接しているうちに、重苦しい現実の比重が徐々に大きくなり、TV局に入り、シナリオライターを目指すという夢は、じわじわと萎み始めていったのだ。

そんなタイミングでの、上記したディレクターの話が強く胸に刺さり、僕は一気に、長年の夢を捨て去る決断を下すことになった。

ちなみに、その頃には、すでにTV局への入社は内定していて、家族も友人たちも大きな拍手を贈ってくれていた。、、なので、とても辛く厳しい決断だったが、僕はナタを振り下ろした。

となれば、次に目指すのはなにか、、もう3月に入っていたので、時間の余裕もまったくない。当然、大手の会社の就職活動時期はとっくに終わっている。
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途方に暮れていた時、温かいアドバイスをくれたのは、義理の父(家内の父)だった。

「君は文章を書くのが好きで、クルマが好きなんだろう。だったら、とりあえず、自動車雑誌の編集部にでも入ってみたらどうだ。ツテはあるから聞いてみようか?」と、、。

僕はその言葉にビビッとはきたが、なかなか現実感として捉えることはできなかった。

当時はまだ、自動車関係のライターでは「豊かな未来は望めないだろう」と考えていた。そう思いながらも、一方では「クルマに乗って原稿を書く仕事」には強く惹かれた。やってみたかった。

「一生の仕事を決めるわけでもないし、とりあえず一度やってみてもいいか」という気持ちが日々強くなり、結局、父に頼んだ。

東京駅八重洲口にある小さな出版社だったが、編集長との一度の面接だけで、編集部員として入社することが決まった。
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「花形のTVディレクター」から「誰も名も知らない小さな自動車雑誌の編集部」への変更に、家族はガッカリしていただろう。でも、誰もなにも言わず、受け容れてくれた。

僕はクルマの試乗にも、記事を書くことにも夢中になった。朝の4時~5時まで仕事をして、始発電車で帰宅することも日常だった。

大好きなクルマに乗り、評価をし、批評を書く仕事は、予想以上に面白かった。やり甲斐もあった。

そして、1年も経たない内に、「これが僕の一生の仕事になる」との思いは確固たるものになっていった。

あれから60年が経ったが、この仕事を選んだおかげで、世界中を走り回り、多い時は10紙誌にも及ぶ連載ページをもった。

自動車雑誌だけでなく、一般紙誌からの原稿依頼も多かった。中央紙で1ページ全面の署名入り週1の連載を10年続け、著名週刊誌で750回の連載を書いた。
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まさにハッピーでラッキーな仕事人生を送ることができたのだ。

フトした思いや出会いで、人生は大きく変わる。シナリオライターへの夢がより膨らむはずだったTV局のアルバイトで夢が萎み、父のひと言で飛び込んだモータージャーナリズムの世界で、思いもよらぬ大きな夢を掴むことができたということだ。

もしも、TV局のアルバイトが面白かったら、僕はヒット作を書けるシナリオライターになれていただろうか、、。面白いTVドラマを観ているような時、ふとそんな想いが頭を掠めることもある。、、が、すぐに消える。

60年前、「当時は誰も知らないような自動車ジャーナリストという職業」を選んだ幸運を、ただただ「神に感謝する」だけだ。

ちなみに、フォード マスタングの挿絵は、1964年、初めての海外取材での1コマ。場所は、サンタモニカビーチ前の大通りです。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

ほかの岡崎宏司の「クルマ備忘録」は如何ですか?

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