2022.07.16
「日本語はラップに向いていない」は本当か!?
KICK THE CAN CREWが、It's not overを「イツナロウバ」と表現して「静まろうが」で韻を踏む──あ〜なんて格好いい!と、日本語ラップに惚れ込んだ言語学者が「日本語ラップはダサい」という議論にガチ反論。
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文/川原繁人(慶應義塾大学教授)
これに真っ向から挑んだのが、ドラクエ、ポケモン、メイド喫茶など、あらゆるテーマを対象に言語学的な分析を行い、反響を呼んでいる気鋭の若手学者、川原繁人氏である。新著『フリースタイル言語学』より、日本語ラップに惚れ込んだ筆者が「日本語ラップはダサい」という議論に学術的に対抗する。
人生を変えたZeebra、ライムスター
そんなDJを目指していた彼が、お薦めの日本語ラップの曲を見繕ってくれたのである。その中には、KICK THE CAN CREWの『イツナロウバ』や、DJ Hasebe feat. Zeebra/Mummy-Dの『MASTERMIND』、DJ Tonk feat. 宇多丸の『バースデイ』なんかが入っていた。もともと言葉あそびが大好きだった私は、日本語ラップにすぐにはまり、大学の行き帰りにずっと聞いていた時期がある。
日本語ラップを聴きながら通学していると、私の悪い癖が出た。そう、分析を始めてしまったのだ。最初は些細な観察だった。なるほど、日本語の韻っていうのは、最後の母音を合わせるだけじゃなくて、単語内の母音を全部合わせたりするのか。
例えば、ライムスターの宇多丸さんは「バースデー[baasudee]」と「待つぜ[matsuze]」で韻を踏んでいる。KICK THE CAN CREWの曲では、英語のIt's not overを日本語っぽく「イツナロウバ」と表現して「静まろうが」で韻を踏んでいた。
あー、英語(っぽい表現)と日本語を合わせることもできるわけね。[iuaouai]って母音が合致しているじゃん! すごい! 格好いい〜。そのうち、字余りが気になってきた。宇多丸さん、「はい注目」と「始終を」で韻を踏んでるけど、「注目」の[ku]が字余りだな。どんな字余りが多いんだろう〜、っと。ただ、この時期はまだ所詮は学部生である。たいした分析はできていなかった。
ネット上で盛り上がった日本語ラップをめぐる論争
曰く「日本語ラップはダサい」。もっと言うと「日本語はラップに向いていない」。気になる方は「日本語はラップに向いてない」で検索すれば、当時の雰囲気が伝わるだろう。
言語学的な論考だと、こんなのがあった。英語の母音はたくさんあるけど、日本語の母音は5つしかない。しかも、英語は子音で終わる単語がたくさんあるけど、日本語にはそのような単語がない。
つまり、英語の韻では、「母音+子音」の組み合わせが星の数ほど存在するのに、日本語は母音5つだけ。小節末に母音が1つだけ合っていても、それは技巧でもなんでもなく、ただの偶然だ。よって、日本語は韻に向いていない。q.e.d. 証明終了。
すでに日本語ラップに恋をしていた私は、ガチ反論を試みたくなった。しかも、私は当時、言語学者の卵であった。そちらが言語学的な分析を用いるのであれば、こちらも言語学的に反論しようじゃないか。
賢明な読者の方は、すでに上の日本語ラップdisの論理に穴があることに気づいたかもしれない。そう、先に紹介した宇多丸さんやKICK THE CAN CREWの韻の例からもわかる通り、日本語ラップにおいて、合わせる母音は1つではなく、単語内の複数の母音を合わせている。「母音が1つだけ合っていても」の前提部分が間違っているから、その論理は成り立たない。
しかし、それ以上の反駁を私は試みたかった。
理論的な意義を示してくれた恩師に出会う
ルーマニア語では、小節末で合わせられる子音が同一でなくても、似たような子音であるなら許されるとのこと。しかも同じ傾向は英語やドイツ語、アイルランド語、ロシア語、トルコ語など世界各国の詩的表現で観察されるらしい。
ふむふむ、なるほど。では、日本語ラップで同様の現象が観察されてもおかしくはないのだね。そして、韻を分析するというのは言語学的にも意義のあることなのだね。
すっかりインスピレーションを頂いた私は、講演会後のパーティの際、「僕も日本語ラップの韻が気になっているんです」と伝えた。そうしたら、Doncaに「ちょっとやってみて」とラップを披露させられた。
披露した曲はKOHEI JAPANの『Go to Work』。「男なら働け 空にはばたけ」。自分でラップなどしたことのない私だったから、いきなり同僚の前でラップをさせられ、恥ずかしさ大爆発だったが、Doncaは私を辱めたかったわけではない。「『はたらけ』と『はばたけ』で韻を踏んでいるのね。そこの部分に特徴的な音調が聞こえるわ。分析したら面白いんじゃない?」とアドバイスをくれた。
次に問題となったのは、分析の技法だ。Doncaが言っていた「韻では、似たような子音が組み合わされる」ということが日本語ラップでも成り立つという感触はすでに持っていた。例えば上記の宇多丸さんの「バースデー」=[baasudee]と「待つぜ」[matsuze]の韻を考えてみよう。
読者にも自分で発音して確認してもらいたいのだが、[b]と[m]は発音するときに両方とも両唇が閉じる。[s]と[ts]が近い音であることは、発音記号の表記からも明らかであろう。[d]と[z]もどちらも舌先を使って発音する。
けっとばせ:get money の美しさよ
あまりに美しすぎる韻だし、今回も自分で発音してみて確認してほしい。[k]と[g]では口の奥が閉じる。[tt]-[tt]は同一の子音だから、まぁ置いておこう。[b]と[m]は両方とも、両唇が閉じる。[s]と[n]は舌先を使う。素晴らしい。
しかしである。これらの例をもって上記の「日本語はラップに向いてない説」に反論したとしても「都合のいい例ばっかり持ってくんじゃねーよ、ばーか」と言い返えされるのは目に見えている……。
これで理論的な素地も、技術的な素地も整った。大学院生だった私は、上記の命題を統計的に検討するために、1日1曲、自分の好きな曲の韻をテキストファイルに落とし込むことを自分に課した。同時に、そのテキストファイルから子音のペアを抽出し、それぞれのペアの数を数え上げるプログラムも用意した。そして、100曲そろったと思ったその日、分析を開始したのである(痛恨のミスで、曲数を間違えており、実際は98曲だったのはご愛敬)。
ついに日本語ラッパーたちの優秀さを示した
まず、韻における組み合わされやすさの尺度として、観測値を期待値で相対化したものを計算。それだけでは、分布がかたよっていたので対数変換を施した。ちょっと難しい表現だが、これは「2つのものの組み合わされやすさ」を統計的に計測するためによく使われていた尺度だ。
「音声学的にどれだけ似ているか」という尺度には、「調音点(=口のどこで発音するか)」「調音法(=どうやって発音するか)」「有声性(=声帯は振動するかどうか)」など音声学で使われる尺度を用いた。この分析の結果、図に示すように、「韻における組み合わされやすさ」(縦軸)と「音声学的にどれだけ似ているか」(横軸)という2つの尺度に統計的な相関があることを見出した。
それだけでなく、重回帰という手法を用いて、どの音声的な特徴がどれだけ韻の踏まれやすさに影響を与えるかまで考察した。そしてこの考察をもって「日本語ラッパーたちは、適当に子音を選んでいるわけではなく、音声学的にも理にかなった方法で韻を踏んでいる。彼らは言語学的感性に優れた人々なのだ」と結論づけたのである。
ついにラップバトル番組の審査員に
私の審査方法について賛否両論あったことは知っている(「エゴサなんて二度とするか」と思った)。ま、私のことを知らない人たちからすれば、「へんなインテリ野郎が、俺らのテリトリーに踏み込んでくるんじゃねぇ」くらい思うのも無理はない。
しかし、私は日本語ラップを愛し、ラッパーでもないのに、勝手に日本語ラッパーの言語学的な感性を擁護してきた、そういう人間なのだ。そこんところをわかってくれれば嬉しい。
それでは最後に、ちょっとしたクイズを1つ。
Q. 日本語ラップの字余りに含まれやすい母音とはなんでしょうか?
A. 「い」と「う」。
これらの母音は、日本語の母音の中でもっとも短く、もっとも静かな母音です。また無声化して聞こえなくなることもあります。「字余りは主に『い』や『う』だけ」という観察もまた日本語ラッパーの言語的な感性の鋭さを示していると言ってよいでしょう。